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「それで、毎日公園に足を向けているけれども、例のその子には会えないって訳ねぇ」
「まぁ駄目元ですし……というか、恭介さん、クーリッシュ食べてる暇があるくらいなら、早く原稿を進めてください」
「執筆前に糖分が必要なの! いやぁ、あの杉中って人の画、難解すぎて、俺には物語が紡げないよぉ……」
白々しく苦渋の表情を浮かべながら、吸い口を咥える彼の背後では、今回は由紀菜さん作の『潮湯初夏芸術祭』のチラシを置いた番台にて、既に博人と宮田さんが開店の準備を進めていた。
「どうかお手伝い、よろしくお願いします!」
潮湯バイトの休日、私は授業後、博人組の面々を、浜田湯に呼び寄せていた。
「ふーん、初企画の割には、随分攻めた出し物だねぇ。これ、一定の来客の見込みはありそう?」
今回、運営を担当いただく由紀菜さんの一言に「丁度、その日、区制イベントがあって、街全体が盛り上がっているんです。それに、不参加の代わりに、美香さんもSNSで大々的に宣伝してくれるようで、閑古鳥状態にはならないかと」
「なら、逆にイベントの合間の時間をもう少し考慮すべき。後、お風呂も当日は制限時間制にしないと、万一人でごった返した時に、機能不全に陥る」
既にこういったイベントは(博人の時を通し)慣れっこな状態の瑞希さんが、目を落とす資料には、私の実にざっくりとした文面にて、
――――――――――――――――――――
〇七月二七日 潮湯芸術祭
【予定】
午前の部 今岡卓司×黛瑞希 二人の芸術家による書とアートのコラボ
午後の部① 絵画から紡がれる物語@杉中佳奈子・戸田恭介
午後の部② 三浦侑磨・滝香澄・本田繭・小川あけび 四人の音大生による音楽演奏会
イベント終了~二二時 浴場開放 イベントに合わせた芸術の湯で皆ホッと一息
【人員配置】
…
――――――――――――――――――――
簡素な概要がA4用紙一枚に記されていた。
「えっとぉ、ちなみに私たちも参加するのですか?」
と、本日の業務開始前に急遽集められた宮田さんの一言に、私は躊躇いがちに頭を下げる。
「一応、その日も湯を沸かす予定ですので、参加いただけると有難いです。でも、うちの人員でも当然成り立ちますので、決して無理強いはしません」
「ちなみにその日は、うちは臨時休業にする予定だから。宮田さん、当然、バイト代は潮湯から出るんだけど、全くうちの雇用外の話だから、遠慮なく断っちゃっても全然大丈夫です」
「いやぁ、どうしましょうか……」
博人さんの声掛けにも、宮田さんは、以前困惑顔であった。もちろん判断は当人の自由だ。しかし、そんな彼の背後では、小さく腕組みをしながら、
「潮湯、横浜は鶴見か……ふっ、横浜の下町銭湯で働くの、十年ぶりだな」
口角を上げてぽつんと呟く太田さんに、彼は一瞬気圧された。
「あ、ちなみにその日、前来た麻里江さんもお手伝いに来るつもりです」
私の追加の一言に、宮田さんもついに折れた。「分かりました。是非当日、私もご協力させてください」
「宮田さん……ありがとうございます!」
こうして博人組に加え、チーム浜田湯も参加と相成り、その日の打ち合わせは上々に終了した。
「きょうちゃんさぁ、珍しく家でも『分からん。非常に、読み解けない』って終始唸っているんだよね。いつもは、すぐに筆を執るのに、ここまで頭を抱えるのはめったにないことだ」
打ち合わせが終わり次第、瑞希さんと由紀菜さんは用事があるのか早々に帰宅した。そして件の恭介さんも「俺を甘く見てもらっちゃ困るよ。俺は出来る、なんでも書けるんだ!」と半ば暗示をかけるように、糖分摂取後は退店していった。
その後、私は引き続き開店時間まで、休憩スペースにて今回の打ち合わせの再整理をしていた。その横で、暫く(仕事関係?)のPCを叩いていた誠さんであったが、いつしかスマホをいじりながら、おもむろにこう呟いた。
「すいません……相手の画家の方が、凄く抽象的な絵を描かれるようで。とはいえ、恭介さんの創作力に賭けている部分もありますが、きつければ、プラン変更しましょうか?」
正直、恭介さんにはやや強引に、今回のコラボを請け負わせてしまった経緯はある。私がやや心配そうに誠さんに目を向けたところ、
「いや、どうだろ? とはいえ、今のところは、本人はやる気状態だから、もう少し見守っていてほしいかな。俺のきょうちゃんだもの、こういう時にこそ本領を発揮するよ……自分は持たざる人間だからさ、そういったところに、惹かれちゃっているんだよね」
ごめんね、忙しいところを、ちょっとした惚気です。そう苦笑い気味にPCを片付ける彼に「いいえ……私もここだけの話ですが、一貫して恭介さんの創作は大好きですよ」と小さく微笑みながら、同じく机の散らばった資料をリュックに詰め込んだ。
「ありがとう。ふふっ、芸術祭、楽しみだね。そういえばさっき少し話していた女の子にも、願わくば会えるといいね」
誠さんの何気ない一言に、私は「ですね、それまでに会えることが出来たら」と小さく嘆息する。無論、彼が純粋に発した言葉であることは重々承知している。それでも、今の私にはそれが、紛れもない小さなしこりであることは、間違いなく疑いようもなかった。
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