10-2
二日後、既にこの日は季節外れの初夏というべき、朝から二〇度を超える気温となっていた。
そんな中私は、先日卒業した横山先輩が薦めてくれたピアニストの『ノクターン』を聴き比べながら、今日も今日とて潮湯で働くべく、鶴見の駅を降りる。
汗ばむ陽気に反し、それでも街中はすっかり春らしい光景が広がっていた。桜並木の商店街を抜け、川沿いの橋では猫がにゃあと鳴いている。民家の庭から漂う沈丁花の香に、よし今日も頑張るぞと、潮湯の隣の公園を前にしかけたところで、
「だから、ごめんって、何度も言ってるじゃん!」
園内から漏れ聞こえる、女子の大きな金切り声に、思わず足を止めてしまう。ややあり、憤然とした表情のツインテール姿の女の子が(後を追うように、もう一人の丸顔の色白の少女も)颯爽と私の横を走り去っていく。
喧嘩か。彼女たちの後ろ姿を心配そうに眺めながらも、再び歩を進めかけたところで、もう一人公園口から、俯き加減で、うっすらと涙を流す少女と鉢合せしてしまう。
途端に、私の中で、それまでの春の浮かれ気分が、忽ち霧消する。小学生最後の春休みだからであろう。着飾った明色の半袖ワンピに、対極的な彼女の表情が、一層胸を締め付けられた。
「……千里ちゃん」
咄嗟に声をかけると、二か月ぶりに遭遇した相手は、心底気怠そうに首を上げる。瞬間、彼女は自分の惨めさを思い知らされたように、刮目し、思わず駆け出していた。
「あ、ちょっと待って!」
私の叫びもむなしく、彼女は決して背後を振り返ることはなかった。
一人取り残された私の横では、既に無人の公園が広がっていた。そんな園内でもまるで新年度を祝すかのように、満開の桜が燦然と咲き渡っていた。
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