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前田先輩をはじめとした今年の卒業演奏会も無事堪能し終え、波乱万丈の三年生活もあと数日で終わりを迎えようとしていた。
「……分かりました。それじゃ当日は地域面一面にでかでかと掲載するよう、担当には伝えておきましょう。また追って、連絡あると思うので、それまで少々お待ちください」
「はい、よろしくお願いします。すいません、唐突な連絡にもかかわらず、お引き受けいただいて……」
「いいえ、弊社は文化事業、特に芸術系は十八番ですから、十分、協力しがいがあるんですよ……まぁ、最大の協力要因は……また、あの素晴らしいプーランクを聞かせてくれるんでしょ?」
頭上は一年前より多少、生い茂りながらも、ふくよかな体格は、港区のライブカフェの時と、あまり変わりはなかった。
私は少し間を置いた後、ええと頷く。瞬間、宇野康哉は満足しように、
「それは楽しみな限りです。しかし……もう二〇年近く記者をやっているけど、時々母校から、路線から外れたイカれた後輩が出てくるんですよね。ま、そんな彼女らを、人間模様を含めて取材するのも、記者の醍醐味ではあるんですが」
内なるものを吐き出したその先が、小川さんの場合、お風呂屋さんだったんですね。そう呟きながらスマホと手帳をしまうと、彼はもう一度、潮湯の店内をしげしげと見回した。
「……もしかして宇野さんも、同じ立場で中退したんですか?」
「それはもうご名答ですよ」
彼は平然と答えると、スッと腰を上げた。私がお見送りをするべく、外へと向かいかけるところを、彼は丁重に断り、
「ま、そんな話はどうでもいいんです……それより僕はね、実に随分、付け焼き刃感の『ノクターン』を聴かされ続けてきたから。小川さんなら、十分彼の作曲に寄り添った、素晴らしい演奏を、当日楽しみにしています」
私の肩をポンと叩くと、彼は振り返りもせず去っていった。私はそれに嫌悪感というよりも、失いかけていたもう一つの魂に再度火を灯してくれ、それは瞬く間にメラメラと燃え上がっていった。
「あれ、小川さん、打ち合わせはもう終わったの? なにぃ、朝陽新聞さん、本当にうちを取り上げてくれるぅ?」
私は前掛けをつけたことで、どうにか気持ちを切り替え、女湯の脱衣所へと向かう。
丁度この日は、甘夏みかん湯であったため、和歌山県から届いた(規格外の)夏みかんをカットする多英子さんに、私は首肯する。
「確約いただきましたよ、地域面の一面です」
私の力強い声に、彼女は「あらぁ」と感嘆したように、
「まさか、うちの銭湯ごときを取り上げてくれるなんて……いや、というか、小川さんは記者さんとも繋がりがあったのね。一昨日も、演者さんと打ち合わせしているし、まだ四ヶ月あるのに、随分順調そうねー」
「いえ、その分、多英子さん方には、通事の営業を任せっきりで、すいません……」
いくつか床にばら撒かれた種を拾いながら呟くと、「そんなの、元々だし、全然」と彼女は意にも介さず、切り終えたそれらを複数のネットへと入れていく。
「あれ、ちなみに清治さんは? 二人で作業するんじゃ?」
私の問いかけに、彼女は「寝てる、昨日は結局夜通し、本郷さんたちと囲碁の会だったし、もうそろそろ起きてくるでしょ」
彼女のこれまた淡々とした口調に「そっか月一会」と納得したように、(飛び散った果汁を片付けるべく)フロント前に置いたモップを取りに向かう。
そう、確かに(多英子さんの胸中は察するものの)変わりかけている潮湯でも、危惧していた元からの常連は失っていなかった。
いろはすを持参する頻度は減っても本郷さんは清治さんと一局に来るし、あれから再び今岡君も毎週木曜の夕方にやって来る。
多英子さんの近所仲間も相変わらず入浴後休憩所でお喋りに興じているし、占い老婆もたまに来て(マイペースに)その界隈を(地味に)賑わせている。ただ、
「千里ちゃん、また来るかなぁ」
九月の一件から暫く経って、(丁度、秋の終わり頃)彼女はまた潮湯に顔を見せた。
「ピアノ、とりあえず発表会までは頑張ることにしました。中学生になったら、ダンス部でもなんでも入っていいって、親も言ってくれたので、そこまでは全力出し切ります」
相変わらず、大人びて冷めた表情ながら、どこか納得した顔立ちに、私もとりあえずは胸をなでおろした。
実際、それから年明けにかけて、彼女は前と同じ頻度で(「なんか以前より賑わい増しましたよね」と感嘆しながらも)うちに来るようになった。しかし、二月の初週を最後に、彼女の顔は再び見かけていない。
入学試験や卒業準備で忙しいか。丁度、モップを回収したところで、(彼女が湯上りに必ず購入している)瓶コーラの自販機が目に入った。最近売れ行きが低迷するそれに、私は彼女への心配をいや増しながら、やや重たい足取りでゆっくりと脱衣所へと戻った。
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