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「あけびちゃん、何それ。頭に鉢巻して、白紙ににらめっこだなんて。ネタ切れ中の俺でも、そんな酷い顔はしないよ」

「……恭介さん、本当デリカシー無さすぎ……有名アニメの脚本家になった途端、生みの苦しみを味わう人には、随分冷たくなったんですね」

「なにぃ『同類相憐れむ』ってやつですよ。というか、有名アニメの脚本家、じゃなくてその下請けの会社の制作スタッフね。いやぁしかし、社会不適合者には、会社勤務は中々辛いっすねぇ」

「こら、恭介、下手な茶々入れをするな!……あけび、まだ時間はあるんだし、あまり根詰めすぎない方がいいよ」

「ありがと。場所を変えれば何か案でも出てくるかと思ったけど、あんまり効果無かったね」

「ねー、博人まであけびちゃんの肩持ってさー、太田さんは僕の味方ですよね!?」

 と、彼の筋張った体に泣きつく(それに対し、心底鬱陶しそうな太田さんの顔!)恭介さんをよそに、私は温めた珈琲牛乳を啜ると、再びクルトガを強く握りしめた。

 立春というには、まだまだ寒さの厳しい昼下がり。既に音楽大学は春休みに突入し、潮湯のバイトも無い完全オフの日であったが、それでも私は(自分でも苦笑してしまう程)浜田湯にて、来たる七月に開催する、私初の主催の「潮湯、初夏の芸術祭(仮)」の企画案に、随分苦しんでいた。


 きっかけは、美香さん新春お絵描き祭から三日後の夜のことであった。

 お絵描き祭は、無事大成功に終わり、一層WEBメディアを通じて、若者(やエンジニア、その他クリエイティブ集団等)が、三島湯に多く集まるようになった。

 そして、そのおこぼれは、駅を挟んだ、我が潮湯も例外ではなく、楠本夫妻が目を丸くするほど、実に外から幅広いお客さんがますます、サウナや入浴へと利用しに来るようになった(これは私のこまめな改革も実を結んだと好意的に捉えている……)。

「もうさぁ、若いやつがどんどんどんどん入ってくるからさ、さすがに気軽にいろはすを入れられなくなったんだよ……」

 清治さんとの囲碁に負けた(これは実に高度な対局らしく、SNSでも地味にバズっているらしい)本郷さんが捨て台詞を吐くのと入れ替わるように、スーツ姿の今岡君が『小川さん、こんばんは。多英子さん、今日いませんか?』と実に嬉々とした表情で、タブレットを表示した。

「おぉ、今岡さん、お久しぶりです! 多英子さんね、家にいると思うから、ちょっと呼んできますね!」

 今岡君とは、昨年の本郷さんとの対局以来、実にこの二ヶ月、全く顔を見せていなかった。最近多くの色んな人で賑わっているから、来づらくなったのかねぇ。少し前に、眉を下げながら、なんとなく多英子さんと会話した手前、私はほっと小さく安堵の色を見せる。

 そして、それに気づいてか否か、彼は申し訳なさげに笑いながら、コツコツとタブレットペンを駆使し、

『ご無沙汰していました。ちょっと、年末から作品を仕上げたりして、忙しくしていて。でもおかげさまで、今日これ』

 そう言って彼が差し出してきたのは、学校の卒業式なんかで貰う筒に入った、一通の書状であった。

「なになに、えー……全国書道コン……え、特選!?」

「お、今岡君、ついに念願成就!」

 片づけを済ませた清治さんの一言に、彼は力強く首肯した。凄い、確か全国書道コンクールって、書道者のエキスパートが選ばれるイベントじゃなかったっけ。それに受賞するなんて。

 感嘆の顔を浮かべる私たちの前で、しかし彼はほんの少しだけ、不満そうな表情を漏らし、

『そう、でも、受賞は本当に凄く嬉しかったんですが、優秀賞には後一歩届かずだったんですよね。国立新美術館での展示を狙っていたので、どうせなら、それも取りたかったなって』

「っかぁ、なんだかよくわからないけど、書道コンを狙っていたんじゃない? 受賞したんだもの、それだけで、十分凄いことだよ」

 彼の言葉に、今岡君も、欲を言えば程度で、特段気にせず、苦笑を漏らしていた。

と、その時、私の中で一つのビジョンが頭を巡った。私は咄嗟に、「ねぇ、今岡さん」と少し緊張した声で、

「もし、よろしければ、このタイミングで、潮湯に何か書を一つ展示してみませんか? 実はこの夏ぐらいに、潮湯で音楽や絵とかの芸術イベントを出来ればなと思っていたのですが、それにあたって、今岡さんも参加してくれれば凄く嬉しいなって」

「お、それ、いいじゃん! 作品展示のイベントなら、うちの負担も、随分少なくて済む。音大生の小川さんなら、その辺のお膳立てとか、十分出来そうだし」

 その思考には、随分苛立ちを覚えながらも、初めての意思表示に、清治さんが賛意を示してくれたのは非常に有難かった。そして、肝心の今岡君は、同様に首肯してくれた。彼は、大学生らしく、実に面白そうと目を輝かせ、

『もちろんです! 僕なんかでよければ、是非、作品を出展させてください』

「本当ですか!? ぜひ、こちらこそ、ありがとうございます!」

 こうして、図らずも私にとって初の(そして潮湯では恐らく最初で最後になるであろう)主催の銭湯イベントが、開催される運びとなった。

 その日の営業終了後、楠本夫妻に、改めて本件を伝えたところ(一瞬、清治さんの翻意を気にはしたが)、彼らは、小川さんが頑張るなら、是非お手伝いするよ、と協力の意見を表明してくれた。

 そして取り急ぎ、日程を(丁度その日、区制周年イベントで、駅周辺が盛り上がる)七月二七日と定め、音楽や絵、書道等の芸術イベントを潮湯で開催という、実に大まかな方針だけを、三人で決めたのであった。     

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