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「昨日からスマホがどっかいっちゃってさー、仕方なく置時計で目覚ましかけたんだけど、やっぱ駄目だわ。でも、うおみーの鬼電で目が覚めたし、スマホも見つかったしで、やっぱ持つべきは、万能機具よりも、信頼出来る他者だねぇ」
振り返るとそこには、目鼻立ち整ったブロンドボブの女性が佇んでいた。出で立ちはグレーのパーカー姿ながら、すごい、綺麗に決まったスナッグピアス、私初めて見たかも。
「相変わらず変わんないねぇ、佳奈子、ほら黒田さんにけいしょーも来てるからさ、挨拶して、というかその前に、魚見に謝……」
「おい、正規な展示場じゃないとはいえ、なんで自身の展示会に遅れてんだよ! お膳立てした俺はともかく、場を提供した永沼先輩やせっかく来てくれた皆さんに失礼すぎだろ!?」
激昂して詰め寄る男性に、彼女はようやくそこで「ごめん」と眉を下げると、「あぁ、黒田さんに市川先輩、申し訳ございません。貴重な時間を奪ってしまい」と神妙に頭を下げる。
「まぁまぁ、たかだか三〇分だし、先程まで市川君と近況について、ずっと語っていたから気にしないよ」ポマードで髪を固めた(見るからにお金を持ってそうな)口髭の男性が、そう呟いたところで、「予想通りやから安心せぇ、いやぁ、それにしても前回の作品展より、一層モチーフに踏み込んできたやん」と丸刈りの先輩も同調する。
「すいません……今回の新作は、関西から東京に出てきて六年目の自分を、少し試してみました」
と談義が始まったところで、太鼓腹の男性が脱衣所から出てくる。「二〇番の方、大変お待たせしました」永沼さんの合図に、彼らの右端にいた幾分シミの目立つ(エンジニアっぽい)若者が席を立つ。それと同時に、その隣にいた優男も、苦笑いを浮かべ、居心地悪げにフロントを通り過ぎてしまった。
「ありがとうございましたー、またどうぞー」
私もそんな彼に少し同情しながら、そっと腰を上げかける。奥では彼女を中心に、話が盛り上がっている。うん、永沼さんには申し訳ないけど、とてもこの会話に加わる勇気などない。そうリュックを掴んだ瞬間、
「いかがでした、私の作品? 本当に率直でいいので、もし感想いただけると凄く嬉しいです」
私の行く手を阻むように、彼女がさっとこちらへ歩み寄って来る。何気ない笑みを浮かべていながら、そこには表現者が表現の場で抱く、あの感想に飢えた無言の圧があった。
「あ、えーと……正直、絵には疎い性質なんですが、それでも……すごく、センスのある画だなと思いました。身近な風景を、あくまで一歩冷めた目で見ているというか、それでいてそこに強く恋焦がれているというか……なんか私、凄く好きでした」
「あー、ありがとうございます! うひゃー、日常の暮らしって、私にとっては、非常に特別な大事な世界なんですよね。それを、一般の人に、そうやって捉えてもらえるなんて、いやこちらこそ、凄く嬉しいです!」
というと「もしかして社会人の方ですか? 美香先輩のとこにはよく来るんです?」と、ちょこんと地べたに腰を下ろす。「あ、えっとー」私は一瞬、奥に視線を向けたが、三人は、初めはこちらをチラチラ見ていたものの、今は特に気にするでもなく、話に花を咲かせている。
「いえ、私は大学生です。最近銭湯にハマっていて、ただここに来るのは初めて――」と咄嗟に手を振ったところ、彼女は「あれ、それって?」と私の左手首に視線を向ける。「違ってたら、すみません。もしかして……その手の方だったりします?」
彼女の真っ向からの質問に、私は躊躇いながらも、はっきりと頷く。え、えぇ、これは先日仲間が作ってくれて、と言った瞬間、彼女はおーと感嘆を漏らし、
「そうなんですね。いや、私も最近、LGBTの人たちと交流する機会があったので、もしかしてーと思ったんですが。先日もSNSで同性婚記事が炎上してましたし、そんな中でもこうして、包み隠さず発信しているなんて、本当に尊敬します」
先程とは打って変わり、顔を輝かせながら答える彼女に、私は面映ゆい気持ちながら、少し顔を綻ばせ、
「いえいえ、全然です。一応私は、アライの立場でいるんですが、もしかして当事者だったりするんですか?」
そっと尋ねた瞬間、「うぅん、私もアライですよー」と満面の笑みを浮かべる。「そうなんですか、本当に」と私も純粋にそれに微笑み返したところ、
「というか私もずっと、ハブられてきた身だから、なんか親近感湧くんですよ。まぁ、LGBTの語自体、上京して初めて知ったんですが、その支援がうちのアイデンティティの回復にもなるかなぁって」
彼女が何の気なく言った瞬間、世界が一瞬静寂に包まれた気がする。あれ?「え……それって」私の一瞬の間合いに、彼女は僅かに表情を無にしたが、やがて、まぁそんな反応をするだろうという顔で「ちなみにそちらは、どんなきっかけだったんですかー」と飄々と尋ねる。
「あー、私は」と気を取り直し、答えようとしたところで「おーい、来てやったぞー」という声が出入り口から響いた。
「おー、篠原―! わぁ、山辺先生も! ありがとうございます。え、今日は来られないんじゃなかったですか!?」
彼女が颯爽とそちらへ足を向けると同時に、「サ活最高ー!」という二人のOLが、ほてった顔で休憩所へと向かってくる。
私は彼女たちに席を譲るように、今度こそ腰を上げると、フロントを通過する。丁度永沼さんは、客の応対真っ最中であり、彼女にも一礼したものの、こちらを見てか否か、ただただ一つ頷くだけであった。
三島湯を出ると、住宅街は変わらず、無数の霧雨で覆われていた。私はもう一度、エントランスの立て看板を眺める。それは、中の展示品の一枚、色彩に満ちた抽象的なデザインながら、比較的庭の広い古びた一軒家の日本画だった。
先程はそれに、無意識的に強く惹かれたものの、今は少し例えようもない〝せまりくるもの〟を感じてならなかった。音にしなくちゃ。私は咄嗟に、半ば本能的にそう思い起こすと、六色のブレスレットを撫で、帰路の道を急いた。
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