3-2
「……分かりました? 自分では割と隠していたつもりなんですが、やっぱそういう風に聞こえましたかー」
少し道化じみた調子でおどけると「前から思ってたんだけど、小川さんは気持ちがもろに演奏に出るんだよ」と、良い意味でも悪い意味でも無い声で彼女は溜息を吐き、
「うん、イントロからもう、若干音が強かったように感じた。後、第三楽章? なんて音を追うならともかく、まるで早く終われとばかりに、若干だけど、終始テンポが早かった」
「すいません。あの時は……同期の演奏に気圧されてしまい、全く恥ずかしい限りですね」
東横線のホームは、街の喧騒とは反し、人の数はまばらであった。『区間急行・元町中華街行き―』特急の前に滑り込んできた電車に、目線を促したところ、「まぁ、いいけど」と彼女は苦笑いを浮かべながら、空いた席へと向かった。
「でも、へこたれることなく、今日みたいに練習に打ち込む小川さんは偉いわぁ。私なんて、去年の一樹と香穂の演奏で完全に、心が折られた口だから」
「いやぁ、言っても私もしばらくはメンタル死んでましたから……いやいや、大内先輩のベートーヴェン、私は凄く好きでしたよ!」
そうだ。去年は大内先輩に横山先輩、前田先輩の三人がロビコンの切符をかけて争った。口ではそういったものの、門下演奏会の段階では、これは横山先輩が二人よりずば抜けているなと思ったものだが(同期二人も同意見であった)、結果的には前田先輩が、その座を掴んだ。
少し気まずいように、楽譜の入ったリュックを握りしめる。しかし彼女は別段気にするでもなく、ちらとスマホのホーム画面を眺め、
「ありがと……でも、あの人も本当、性格が悪いよねぇ。ライバルの圧巻の演奏を見せつけ、当事者の未熟さを突き付けさす一方、本人も驕り高ぶらせ、本番では落とすって算段でしょ。実際、一樹も七奈子先輩も、門下演奏会では素晴らしかったのに、本番では落とされてる訳だし。まぁ、結局は実技試験でどれだけパフォーマンスを発揮てきるか、それに尽きるんじゃない」
特に感慨も込めず呟きながら、遠回しに落ち込んだ自分を励ましているということを私は十分理解した。空気を読んで道化じみたり、かと思えばしれっと的を射たように相手を分析したり。間違いなく大内先輩は教師にふさわしい、いやうちの門下では誰よりも協調性に長け、また人間力にも優れていた。
「まぁ、木谷先生の腹の内は定かではありませんけどね、でも……ありがとうございます、本当に励みになりました……正直、今の言葉でかなり救われました」
「ふっ、良かった……頑張ってよ! 私と違って、小川さんは、ポテンシャルは高いんだからさ。正直、課題さえこなせば十分戦えると思う」
少し皮肉めいた笑顔ながら、それでもはっきりと彼女が述べたところで、停車し一気に人の出入が激しくなる。「〝むさこ〟か」むわっとした人いきれに、彼女が無意識に渋面したところで、「正直、大内先輩がそこまで言ってくれるなんて、凄く胸が熱くなりました」とやや目を潤ませながら、相貌を見据える。
「いやさぁ、そりゃ最近は関わり薄かったけど。ゆうて一週間弱、秩父で寝食を共にした仲じゃん」
今年の三人では、圧倒的にあけびちゃん〝推し〟だよん。そう言うと「私も、教育実習頑張ってくるから、あぁ、でもだるい。やっぱり高校を選んどけば良かった」とそこから二〇分は、いかに母校が荒んでいたか、或いは今の癒しである韓国アイドルについて、彼女は熱弁をふるってくれた。
「今日は大内先輩と話せて、本当に良かったです。せめて実習だけは、実りあるものになることを願っています」
「ありがと、私も『実りあるものになることを願って』いるよ。それじゃ、また学校でー」
タイミング的にも完璧な別れの言葉を述べると、先程より一層人の出入の激しい駅に意識を集中し下車する。ホームから電車を眺めると、車内は既に満員で先輩の姿は見られなかった。それでも先程の彼女の語は、まるでゲームのMPのように、私の心をみるみる回復させてくれた。
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