第4話 異世界:呪い

 皹割れの音とほぼ同時にガラスケースが砕け散り、内側から真っ黒なが溢れ出す。武器を構えていた男が反射的に腕を振り抜くと、切り離されたの一部が勢いを失ってばさりと床に落ちた。

 糸より更に細い、黒い髪の塊だった。床に広がった髪の一本一本が明確な意志を持ち、蛇の如くうねっていた。


「ひっ……」


 粗野な男には相応しくない悲鳴が漏れる。いつの間にか天井、壁、床、辺り全てを夥しい髪の毛が這い回り、艶のない黒色で覆い尽くしていた。

 嘲笑う微かな声は尚も続く。半ば混乱状態にあった男達が必死に声の正体を探っていた時、割れたガラスケースの破片が目にとまった。曇りのない薄いガラスで作られた高価な箱を失った口惜しさの後に、何故突然割れたのかという疑問が湧く。次いでガラス片の中に転がる、見慣れない衣装を着た高価そうな人形に目をやった。


 その時ようやく気づいた。辺りを覆う黒髪が集まるその先に、人形がいる。男達の怖気を見透かしたかのように、音もなく人形の体が浮かび上がった。

 薄い笑みを浮かべた人形の唇は微動だにしていない。瞳は瞬き一つせず、眉根が寄せられることもない。――だが笑い声は間違いなく人形から聞こえてくる。悪意を持った視線が人形から注がれている。


「な、な、なんだよ、この化物! ゴーレムか!?」


 当たり前にモンスターが存在する世界の人間故に、彼らは目の前のをゴーレムだと疑った。各々が人形本体を攻撃するため武器を振りかぶるが、即座に床に広がる髪が足を絡め取ってくる。

 体勢が崩れた瞬間、天井や壁からも髪が槍の如き鋭さで男達に向かい、全身を強固に縛る。最低限の呼吸も危ういほど首を締め付けられ、ぐう、と男達の喉から潰れた呻き声があがる。

 完全に身動きが取れなくなった男達の姿は、蜘蛛の巣に囚われた獲物のそれだった。宙に浮かんだ人形はゆらりゆらりと男達に近づき、強張った顔を覗き込む素振りをする。


 ふふふ。


 響いた笑い声には、確かに冷たい嘲りが滲んでいた。

 ――ゴーレムは機械的に行動する"意志なき人形"だ。だが目の前の人形は違う。明確な悪意を持って男達を甚振り、嘲笑っている。。どうしてこうなった。は自分達をどうするつもりだ。


 男達の恐怖が高まり、人形に注がれる。失われかけていた力が戻る度、粘つくような禍々しい空気が増してゆく。

 男達のうち一人に接近した人形は硬質な頭部を男の額にぶつけた。端正に描かれた涼しい目元を間近で見交わすうち、男達全員の脳内に抑揚のない幼子の言葉が響いた。


「お前達は――」









 冒険者ギルドの仕事を終え、風邪に効く薬草を手にセルマが帰宅すると、家の中に見知らぬ男三人が白目を剥いて倒れていた。その向こうには薄汚れた袋を頭に被せ拘束された状態のハリエとエレナがいて、一気にセルマの背中に寒気が走る。

 男達の体を避けて妹達に駆け寄り袋を外すと、涙に濡れた瞳がセルマの顔を映した。猿轡の間からくぐもった泣き声が零れる。外傷はないように見えて僅かに安堵しながらエレナの猿轡を外すと、彼女は泣きすぎて嗄れた声で「ごめんなさい」と謝りの言葉を絞り出した。


「えっ、エレナがおにんぎょうを……だしたからぁ……ふえっ、ごめ、ごめんなさぁい……わあああぁ……」

「違う、違うよエレナ……何も悪くないの、あんたは何も!」


 外傷はなくとも、幼い少女が感じた恐怖は如何ばかりか。仕事などせずに薬草を採ってすぐ戻って来ていたら、とセルマは自分の行動を後悔した。少しでも傷ついた心に寄り添いたいと泣きじゃくるエレナの体を強く抱きしめる。


 エレナとハリエの全ての拘束を解き終わっても、男達三人はぴくりとも動かなかった。三姉妹はすぐに家を出て村の自警団の詰所に駆け込んだ。警備の男達が顔色を変えて鍬やら鋤やらを手に家に雪崩れ込んだが、その状況になってさえ犯罪者達の意識は戻らないままだった。


 警備の男達を連れてきた三姉妹は、乱暴に引き摺られていく犯罪者達を見送った。家の中へ目を向けると、割れたガラスの破片が散らばる中に日本人形が転がっている。あれが原因で妹達はつらい思いをした――とセルマの胸に苦々しい思いがこみ上げる。

 だがそれまでセルマの首にしがみついて離れなかったエレナが突然セルマの腕から飛び降り、人形に駆け寄って拾い上げる。ハリエも涙を浮かべてエレナごと人形を抱きしめた。


「ありがとう、ウェンディ、助けてくれてありがとう――」


 例え視界を塞がれていても、が自分達を助けてくれたのかは察しがついていた。わんわんと泣き声をあげる二人を、セルマは戸惑いながら見守る。

 日本人形はいつもと変わらない、穏やかで優しげな微笑みを浮かべていた。




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