第3話 異世界:■■■


 その日、ハリエが熱を出した。幸い症状は軽いものの、念のため一日体を休ませることになった。

 セルマは風邪に効く薬草を採取しがてら冒険者ギルドの仕事へ、エレナは家に残って看病をすることになった。看病という体だが、実際は保護者セルマ一人で危険な森に連れて行くのは心許ないから留守番をさせよう、という理由だ。

 だが大事な仕事を任されたエレナは張り切ってハリエを寝かしつけ、濡らした手ぬぐいを額に乗せ、皮を剥いた果物を口にねじ込んだ。


「ふふふ。ありがとう、エレナ」


 覚束ない手で皮を剥く様子を微笑ましくも心配して見守っていたハリエは、厚く剥きすぎて歪な形になった果物を大切に食し、横になってからしばらく後に眠りに落ちた。

 穏やかな寝息を聞いて、エレナは日本人形が飾ってある奥の部屋まで行き、ガラスケースに寄りかからせた騎士スウィーニー人形を手にベッドへ戻る。


「いいですか、きしスウィーニー。これはじゅーよーなお仕事です。お姉ちゃんをまもるんですよ」


 ハリエの枕元に置いた騎士スウィーニー人形を満足げに見ていたエレナは、ふと奥の部屋にぽつんと置かれた日本人形のことが気になった。

 騎士スウィーニーを連れて来てしまったらひとりぼっちだ、きっと寂しいだろう、可哀想だ――そんな幼気な優しさから、エレナはガラスケースをハリエのベッドの側まで抱えてきた。窓からの陽光を受けてガラスケースはきらきらと輝く。


 何事もなければ"子供の優しさ"で終わった話だった。だが悪意は何処にでも存在していて、間の悪い時ほど遭遇するものだ。

 前触れなく家の扉が開かれたのは、ハリエにつられてエレナも寝入ってからしばらく後のことだった。姉が帰って来た音だと思い寝ぼけ眼で起きた二人は、出入り口に立つ見知らぬ男三人の姿に息を呑んだ。


「あ? 二人? 。何処行った?」

「別にいいだろ。ガキ一人分よりよっぽど高いものがあンだから」

「そりゃそうだ」


 男達は我が物顔で家に上がり込む。手には薄汚れた縄や布などが握られていて、真っ当な目的でやって来た人間でないことは明白だった。ハリエは咄嗟にエレナを背中に庇い逃げ道を探すが、それが見つかるよりも男の手がハリエ達を無遠慮に掴む方が速かった。

 泣き声をあげかけたエレナに乱暴に猿轡が噛まされ、音にならない悲鳴だけが漏れる。悲痛な表情にも溢れた涙にも一切興味を示さず男達はハリエとエレナを拘束し、頭に袋を被せた。ベッドの枕元に置かれた騎士スウィーニー人形がぼとりと床に落ち、泥で汚れた男達の靴に踏みにじられていく。

 男達は日本人形が収められたガラスケースを持ち上げ、にやにやと下品な笑みを浮かべた。


「いいねえ。こんなボロ家にこんないい物があったとは」

「今夜は良い酒が飲めそうだ。ひひ、ガキどもは売る前に肴にするか?」

「馬鹿だなお前、人形が売れりゃ立ちんぼじゃねえ女の一人や二人買えるだろうが」


 げらげら笑いながら交わされる言葉に、ハリエの顔色は青ざめていく。必死に助かる方法を考えるが何一つ思いつかない。姉セルマが来てくれたら――いや来ては駄目だ男三人に太刀打ち出来るはずがない――考えている間にも、普段気丈なハリエの目に涙が滲んでくる。

 被せられた袋越しにエレナのくぐもった泣き声が聞こえて、ハリエは必死に拘束された体を寄せて安心させようとした。




 ――それら全ての光景を、日本人形は見ていた。

 親のない三姉妹を見守りながら、ただの人形として呪いと自我を薄れさせていくのも悪くないと思っていた。彼女達の幸福のためなら売られたとしても怨みはしないと思っていた。貧しくも穏やかな日常、思いやりに満ちた家族の支え合い、そういう優しい人生が続くための糧になるならば――


(いつもだ。いつもいつもいつも、台無しにするヒトどもが出てくる)


 呪いの始まりは常に人間にある。憎み怨み嫉み。他人を食い物にして踏みにじる。自分の幸福のために他人を犠牲にして、仕方がなかったと正当化し罪悪感すら抱かない。

 ■■■もそうだった。幼いあの子も■■■された。最後まで親の名前を呼んで泣いていた。もう■■■■■■とも知らないで、■■■が■■■■■■■■のをただただ■■■■■■■■■■、だからワタシは■■■■■■■■■■■■■■■■は■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


(――思い出した)


 穏やかな生活の中で抜けていったはずのものが内側からふつふつと湧き出てくる。より強く、より荒々しく。

 床に落ち、四肢が取れてしまった騎士スウィーニーと視線が合う。長くエレナに可愛がられてきた人形の表情から口惜しさの感情が伝わった気がして、人形は


「……何だ、今の声」

「女の笑い声だな。もう一人のガキ、どっかに隠れてんじゃ……」


 男達が周囲を見まわす間も、ふふふ、と小さな笑い声が流れてくる。耳元からか地の底からか、何処からとも言い難い奇妙な響き方に男達の表情が曇り始めた。三人が背中合わせに集まって武器を構え、第三者の襲撃に備える。

 だが、無意味だ。敵は外ではなく、ごく近くにいるのだから。


(安心しろ、騎士スウィーニー。ワタシがいる。ワタシは"お姫様人形ウェンディ"ではない。ワタシは――"呪い人形"だ)


 ヒトに不幸を。

 ヒトに災厄を。

 薄汚れた命を削り喰らい、恐怖と憎悪の贄にする。新たな世界でも再び不気味がられ遠ざけられるとしても、その果てに"大切な記憶"さえ忘れて再び全てを呪う物に成るとしても、ワタシは大切なものを傷つけるヒトを許さない。


 男達が抱えた獲物――人形が収められたガラスケースに皹が入った。


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