第2話 異世界:転移
人形を囲む少女達は彫りの深い目鼻立ちをしていて、最も年かさの娘は小学生程度、最も幼い娘は幼稚園程度の年齢に見える。異国の人間は発育が良いと骨董品屋に並んでいた磁器人形に聞いた覚えがあるからもしかしたら更に下の年齢かもしれない、と人形は考えた。
「わあーっ! 女の子のおにんぎょうさんだあ!」
真っ先に歓声をあげたのは少女三人の中で最も幼い三女エレナだ。興奮した様子で人形の入ったガラスケースに手を伸ばすが、横に立つ次女ハリエがその手をぎゅっと掴んで制止した。長女セルマは怖々と人形に近づき、眺め回し、慎重な力加減でガラスを爪で叩き音を確かめる。
「本物のガラスだ……こんな薄くて曇りのないガラスで箱を作るって……服だってこんな細かい模様がいっぱい……うわあ、絶対高価な品物じゃない……」
「ねー、凄いですよね! 着ている服はキモノっていう伝統衣装だそうです! 晴れの日にしか着ないって言ってましたよ!」
「そりゃこんな綺麗な服、雨の日に着るなんて正気を疑うわ」
正確には"ハレの日"だが、間違いを正せる人間はこの世界にいない。
更に言えば人形がガラスケースに収められているのは少しでも早く売れるよう見栄えを良くするためであって、高価だからではない。元は箱に入れられもせず、人形を怖がる人間達によって長年雑に扱われてきたため、お世辞にも綺麗な状態とは言い難い。
だが妖精も姉妹三人も感心しきった顔を日本人形に向けている。久しくなかった好意的な反応を立て続けに浴びて、日本人形の混乱は頂点に達していた。何だこれどういう状況だ。
「で、なんでこんな高価な物をうちに持ってきたのよ?」
人形の疑問そのものの質問がセルマの口から放たれる。妖精はこてりと小さな頭を傾げた。
「さあ? "必要だから"以上のことは何とも」
「えええ……」
「まあ一つ届いただけでも良かったですよ。おじさんも喜ぶでしょう」
「おじさん?」
「以前の煙草の人ですよ」
セルマとハリエは揃って顔を見合わせ、どういうことだと妖精に詰め寄りだした。完全に話は治臣の方に移ってしまい、人形は何一つ情報を得られないままだ。
混沌とした中、エレナは姉と妖精のやり取りも意に介さず、夢見るような眼差しでガラスの向こう側にいる人形を見つめていた。
治臣が煙草を寄付した一件以来姉妹を気にかけていること、一つでも何かを届けたいと数多の物品を寄付したこと等、セルマとハリエに挟まれて根掘り葉掘り問われた妖精は疲れた顔でその場を後にしていった。
三姉妹は改めて人形を囲み、荒ら屋には不相応な高価な人形をどう扱うべきか首を捻る。
「神様が必要だって言うからには必要なんでしょうけど……ぶっちゃけ女所帯のボロ家にこんな高価な品があるとバレたら危険だわ。家の奥に隠して――」
「だめぇ! おにんぎょうさんがかわいそう!」
いたく人形が気に入ったエレナは姉の言葉に反応してガラスケースに飛びつく。人形もガラスケースも共に恐ろしい値段になるとわかっているセルマとハリエは、幼い妹の行動に「ひえっ」と背筋を冷やした。
「わ、わかった、わかったから。ぎゅうぎゅうするの止めなさい、ガラスが割れて怪我したらどうするの」
「えーっとぉ……い、入り口や窓から見えない所に置きましょう? それでいい?」
猫ならば毛を逆立てて威嚇しているような態度のエレナを宥め賺し、何とか人形から引きはがした。
――こうして人形は家の出入り口や窓からは見えにくい、家の奥まった場所に飾られることになった。
日本人形が異世界に渡ってから一週間が経過した。
親のいない三姉妹の朝は早く、質素な朝食を済ませるとすぐ働きに出ていく。仕事は近所の手伝いが殆どで、幼い三女エレナでさえ何かしらの労働に加わっている。
最近では冒険者ギルドが募集している薬草採取の仕事も受けていた。切っ掛けは以前新ダンジョンを発見した際ギルドと関わり、比較的安全な採取場所や方法を聞いたからだ。モンスターと遭遇する危険が全くないとは言い難いが、近所の小間使いよりはいくらか実入りも良い。
朝早く出て行った三姉妹が帰宅するのは大体日暮れ前だ。貧しい暮らし故に明かりも最小限しか使えないため、沈む太陽と競うように、セルマとハリエは夕飯の支度や繕い物などの細々とした雑事をこなす。
二人の手が足りている時、エレナは大抵人形の側で遊んでいた。
「これねえ、エレナのおにんぎょう!」
初めてエレナが人形の側で遊んだ日、ガラスケースの前に突き出してきたのは木や布を組み合わせて顔の模様を荒く削って作った何かだった。猫にも犬にも鳥にも見える、歪な手足をした妖怪にも見える、複雑骨折した人間にも見える。
エレナは満面の笑みで「あのね、これはきしのスウィーニーよ」と紹介した。なるほど騎士か、あの複雑骨折は数多の戦いを越えてきた名誉の勲章だろう。
「スウィーニー、こっちはね、おひめさまのウェンディよ」
ウェンディ、誰?
人形に声があったならそう言っていただろう。だが聞かずとも答えは明らかで、エレナの目は真っ直ぐに日本人形を映していた。
唐突に"お姫様のウェンディ"というハイカラな名前と設定を与えられ、そのまま騎士と姫の飯事が始まった。冒険あり秘めた恋心ありの中々に波瀾万丈な物語で、仕事をしながら聞き耳をたてているセルマとハリエも時折忍び笑いを漏らしていた。
三姉妹との――特に三女エレナとの日常は穏やかなものだった。まるで普通の人形になったようだ、と日本人形は思う。そして実際、普通の人形と相違ない。
呪いの日本人形を"呪いの日本人形"たらしめていたのは、土地の因縁や他者からの憎悪や恐怖が寄り集まったからだ。
異なる世界に飛ばされた時にそれら全てと切り離され、毎日綺麗だ可愛いと大事にされていれば、最後に身の内に残った呪いも段々と消えていく。日に日にただの人形になっていくのを感じていた。
なけなしの呪いをぶつけて三姉妹を不幸の底に叩き落とせば、あるいは異世界でも"呪いの人形"として新たに力を蓄えられるかもしれないが――
(結局ワタシも人形だった)
あれだけ憎み呪ってきた人間なのに、愛されれば嬉しい。綺麗だと言われれば誇らしい。
このままただの人形となってしまっても、芽生えた意志が薄れて消えてしまっても、それはそれで幸せなのかもしれない。
人形が収められたガラスケースの側に寄りかかる、ぼろぼろだが大事にされている複雑骨折した"騎士"スウィーニーの何とも言えない表情を眺め、"お姫様"ウェンディはそのようなことを考えていた。
――事件が起きたのはそれから幾日も経たない頃だ。
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