第3話 今回も駄目だったよ


 危機を脱する術を期待していた隼は、渡されたヘラが身に迫る窮地に対して全く何の助けにもならない、ごくごく平凡なヘラだと知って床に崩れ落ちた。

 しかしヘラは隼が数年前に貸与したものらしいが、隼にそのような記憶はない。紛失したと思い込んでいたし、そもそも妖精の存在を忘れるなどあり得るのだろうか。隼は胡乱にハナを見やった。


「所有者の知らない間に持っていった物って、貸与品じゃなくて盗品って言うのでは?」

「なっ……間違いなく貴方本人が貸したものですよ! いいですか、私達のことを他人に話そうとすると自動的に記憶が消去される決まりになってるんです、自分の口の軽さを棚に上げて毎度毎度本ッッ当に失礼な人ですね!」


 隼の周りをぶんぶんと飛び回って怒りを露わにする妖精ハナ。それを払う気力すら湧かずしばらく床に伏していた隼だが、にわかにポケットに手を入れ駅前で受け取ったポケットティッシュを出し、ハナに渡した。内部に差し込まれたけばけばしい色合いの飲み屋の広告が、今の隼にとって遙か遠くの俗世の出来事に思えた。


「これを貸与する」

「あ、どもども。でも消耗品は基本的に寄付でしか受け付けてないんですけど」

「いいんだよ、返ってくるのが包装紙や広告紙だけでも。ただの縁起担ぎなんだから」


 売れない芸人を続けて六年経つが、節目節目に必ず芸事の神様の神社に参拝し、仕事の前にはカツ丼やら出世魚やらキットカットやらを食べて験を担いできた。効果があったとは言い難いが、それでもここ一番の気合いを入れるために"縁起担ぎ"は隼にとって必要なルーティーンだった。


(ポケットティッシュは"貸す"だけだ。どっかの誰かがアレを使い切って返却してくる頃、俺は売れっ子お笑い芸人になってドッカンドッカン笑いをもぎとって――ないとしても、最低限生きてはいて、ティッシュの残骸ゴミを受け取ってる。きっとそうなる!)


 だから頑張れ俺――となけなしの勇気を奮い立たせ、武器代わりのヘラを握りしめる。脱出までの道のりを幾つか頭に思い描きながら、隼はゆっくりと倉庫の出入り口へ歩き出す。扉を開く前にハナを振り返り、引きつった笑顔を向ける。


「……じゃあな妖精。またな」

「はいはい、行ってらっしゃーい」


 小さな手を振って見送るハナを背に、隼は意を決して部屋の扉を開けた。板一枚隔てて聞いていた獣の咆哮が途端に大きく鮮明に響き、背筋に冷たい震えが走る。

 声と反対側の方へ向かっても脱出可能な経路はない。ダンジョンの戦利品ドロップを扱う施設であるため銀行並みの頑強さで、窓なども少ない。つまり、どうしても今異常が起こっている現場に近づかなくてはならないのだ。

 もし何かあれば脱兎の如く逃げる構えで、慎重に歩を進める。曲がり角に差し掛かると身をかがめて壁にへばりつき、ヘラの反射を利用して向こう側の様子を窺った。


「ん、んんー……? よく見えんな……この間のスパイ映画、こんなことしてなかったっけ……やっぱヘラじゃ駄目――」

「何してんの中村」

「ひえっ」


 前触れなく上から降ってきた声に、あれだけ"何かあれば逃げる"と心構えをしていたにも拘らず、腰が抜けてしまい尻餅をついた。

 辛うじて働いた防衛行動で突き出したヘラの先には、何故か虫取り網を手に隼を見下ろす男――隼と同じアルバイトの飯田いいだが立っていた。特に慌てている風でもなく普段通りの気怠げな様子でしゃがみ込み、ヘラを指先で摘まんで隼の手から引き抜いた。


「何でヘラ持ってんの、ウケる」

「ウケるってお前そんな悠長な……えっ、飯田、お前どっから来た? 無事か?」

「無事? ……あー、この警報? 大したことないっぽいよ」

「は?」


 ――曰く、小さな鳥の陶器人形が戦利品ドロップとして持ち込まれた。どういう品物なのか調べていると急に鳥人形が動き出し、獣の声で鳴きながら施設中を飛び回っているそうだ。

 恐らく危険性は無いだろうが念のため施設を封鎖し、警報を鳴らして施設内の人員総出で鳥人形の捕獲にあたっている。飯田も鳥人形を追い回している最中に隼と遭遇したのだという。

 死さえ覚悟して脱出を目指していた隼は、あまりの脱力感にそのまま床に倒れ伏した。


「何だよそれぇ……生きた心地がしなかったわ……!!」

「館内放送でアナウンスあったじゃん。聞いてない?」

「聞いてない!」

「そ。とにかく詰め所行ってきなよ。で捕獲用の諸々受け取ったらこっち手伝って」


 この辺で声がするんだけどなあ、と良いながら虫取り網を手に周囲を見廻す飯田。何とも平和的で長閑な光景に一層の虚しさと気恥ずかしさに襲われ、隼は呻き声をあげて床を転げ回った。




 その後鳥人形は無事捕獲された。鑑定によると音声を録音・記録し宛先を指定して飛ばせる道具らしく、施設内を飛び回ったのは不適切な触れ方で起動してしまったのが原因らしい。録音の上限や飛行可能範囲などの詳細は調査中だそうだ。

 隼がアナウンスを聞き逃したのは、避難先の倉庫の放送機器が故障していたせいだと判明した。警報器と放送機器はそれぞれ独立した仕組みで、警報器の方は問題なく作動していた。「怖い思いをさせられたねえ」と施設内の技術者に笑われたが、本気で命の危険を感じていた隼は笑えなかった。


 しかし時間が経って落ち着けば気持ちも変わる。笑い話ネタとして昇華出来るようになってきた頃、隼は例の妖精のことが今更気になり始めていた。

 神が運営する慈善団体、妖精が仲介する地球と異世界の寄付・貸与、ダンジョンの外に現れた前代未聞の異常存在――という複雑な情報についてではない。


(命の危険を前にして現れた妖精、何の関係もない話、何の役にも立たないヘラの登場、と思えば意外に使えたけど意味はなかったオチ。今にして思えば、面白すぎないか? いや、絶対面白い)


 "面白い"と感じた時から、隼の脳内では漫才の組み立てが始まっていた。他人に組織の存在を話そうとすると記憶が消去されるというのなら、ある程度詳細をぼかせばいい。

 これは絶対にウケる、間違いなくウケる。興奮した勢いのままネタを書き出そうとノートを開いた瞬間――


「……、あれ?」


 隼は全てを忘れた。

 本人は知る由もないが、通算の忘却であった。






 次に彼が妖精と出会うのは、急に催して公衆トイレに駆け込んだものの紙が無く立ち往生した際、妖精ハナが使い切られたポケットティッシュの残骸ゴミを返却しに来た時である。

 きっと十六回目も忘れるだろう。九十九 隼が芸人であるからには。

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