第2話 異世界:何やかんや
翡翠色の髪と瞳をした掌大の少女は両耳を塞ぎながら、床に座り込んで硬直している隼の太ももの上に降り立ち、地団駄を踏んだ。
「もー、いっつもいっつも大きな声を出して! 小さくて可愛い妖精さんにとっては体が吹き飛ぶくらいの爆音なんですからね! いい加減にしてくださいよ全くー!」
「ようせ、何、えっ、この騒ぎコレのせい……とにかく誰かァ――! 警備いィィィィ――ん!! 助けて目の前に地球外生命体がいるゥ――!!」
「ええ? やだぁ、またぁ……?」
妖精は心底うんざりした顔をして、細い足で隼を一蹴りした。途端、隼の叫び声の音量が本人の意志と無関係に抑えられ、同時に周囲の音も不自然に静まりかえる。混乱する隼を置き去りにして妖精は億劫げに、それも早口で説明を始めた。
曰く、彼女は慈善団体"異世界平和と摂理支援の会"に所属する妖精87番、自称"ハナ"。地球と異世界の神によって設立された、寄付あるいは貸与された物品を"必要としている相手"に支給する組織である。
「尚、今この場で起こっているトラブルと私は一切関係ありません。勿論貴方を害する気もありません。まあ蹴っ飛ばしましたけど、先に鼓膜に攻撃をしかけてきた方が悪いのです。理解しました? お静かに出来ます?」
妖精ハナに問いかけられ、隼は無言で頷く。ハナがゆるやかに指先を振ると、一気に音の濁流が復活した。部屋の外の張り詰めた騒々しさも、隼自身の激しい心臓の鼓動や荒い息づかいも、何事もなかったかのようにそこにある。
目の前の存在が幻覚ではないことを実感し、隼はごくりと唾を飲み込んだ。恐怖と不安の代わりに淡い希望が胸に灯る。
(もしかしてこの妖精、俺の窮地を救ってくれる"何か"を支給しに来たんじゃないか?)
そうとしか考えられない。神の使者より授かりし武器、その響きだけでダンジョン適性のない自分でもどうにか危機を乗り越えられそうな気がしてくる。
急にそわそわと落ち着きがなくなった隼の手に、ハナはそっと何かを握らせた。細かな傷がついた銀色の輝き、手に馴染む見慣れた形状――矯めつ眇めつ観察し、隼は「ヘラだな」と呟いた。
「そうですね。ヘラですね」
「……ビームが出せたり、万物を細断せしめる威力があったり?」
「ヘラに何を期待してるんです?」
「……何で今これを俺に渡したの?」
「えーっとですね」
ハナはひらりと宙を泳いで倉庫に備え付けてあるシルバーラックの縁に腰掛け、軽やかな語り口でヘラの説明を始めた。
異世界のとある国のお城にですね、とんでもない料理人がいまして。味覚の鋭さや調理の腕前は一流、ただし性格はド級のクソ野郎。ついた弟子の半分は半年持たずに退職し、残った者の半分は気を病む。
弟子がどれだけ城の主に惨状を訴えても、なまじ腕がいいせいで強く咎められることはなく、寧ろ訴え出た弟子の方が苛烈な嫌がらせにあい心折れてしまう――いやぁ見ていて胸糞が悪い職場でした。
そこに登場するのが、お好み焼きソースとマヨネーズがこびりついた
――世界は広い、自分はこのソースが何で作られているのかさえわからない。この美味なるソースを紐解くにはあまりにも見聞が足りない、あんなクソ料理人にかかずらっている場合ではない、と。
ヘラを受け取った時は"寄付するなら最低でも洗うべきでは?"って思ってましたけど、何が必要とされるのか世の中わからないものですねえ。
で、意外にもその弟子……いえ元弟子はクソ料理人に負けず劣らず天才肌だったらしく、僅か一年でお好み焼きソースに類似したソースを独自の方法で編み出しました。その味は瞬く間に評判となり、とある貴族の屋敷の料理人として雇われました。
盛り上がったのはここからですよ! 弟子の評判を聞きつけたクソ料理人が"例のソースの
「――で、何やかんやあって返却されたヘラがこちらです。貸与ありがとうございました」
壮大な料理サスペンスドラマを"何やかんや"で強引にまとめ上げ、ハナは話を終わらせた。隼は自身が握るヘラを再度まじまじと見やる。ハナを見る。再三ヘラを見る。ハナを見る。
「……えっ、終わり? 俺何かの話聞き逃してた? 今俺にこれを渡した理由、どっかで言ってた?」
「いやだから、理由も何も。普通に貸与品の返却に来ただけです」
「えっ」
「普通に貸与品の返却に来ただけです」
隼とハナの間に沈黙が満ちる。
言われてみれば数年ほど前、自室でお好み焼きを焼いている時にヘラを紛失したことがあった。
室外では相変わらず獣の咆哮と荒々しい物音が続いていて、一向に落ち着く様子はない。先程より遙かに近づいてきているその騒音を肌身で感じながら、隼は深く息を吸い込んだ。
「――本当にただのヘラじゃねえか!」
芸人・九十九 隼の、魂のこもったツッコミが冴え渡る。
唯一の観客であるハナは「最初からそう言ってるじゃないですか」と本来快活な彼女らしからぬ冷ややかな反応だったが。
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