芸人:九十九 隼とヘラ

第1話 九十九 隼(本名:中村 正)


(詰んだ……)


 絶望を前にした九十九つくも しゅんの脳裏に、決して輝かしいとは言えない走馬燈が駆け巡った。


 岸里 隼は芸人である。本名は中村なかむら ただし。"一般的な日本名の例"を寄せ集めたかの如き平凡で面白みのない名前が昔から嫌いで、芸名は本名にかすりもしないものを選んだ。決して凡庸な人間にはなるまいという誓いと共に。

 芸歴はじき六年目に突入するが世間の覚えはあまり良くない。


 六年目ともなれば焦りも出てくる。志半ばで諦めて芸の道を去ってゆく同期の背中を幾度も見送った。人気芸人達の漫才を血眼で観察し、自分に足りないものを考えては答えの出ない歯がゆさに苛立った。

 だが逆境であるほど負けん気の強い隼の心は燃えた。折れたことは一度もなかった。――少なくとも今日までは。


 こぼれ落ちそうな溜息を飲み込んで、掌で顔を覆う。

 死に物狂いで逃げ込んだ部屋の扉の向こう側から、得体の知れないの声と切迫感漂う喧噪が聞こえていた。






 仕事の日より休みの日の方が多い隼は、笑いのネタを探してあらゆるアルバイトに勤めていた。中でも気に入っているのがダンジョン産の戦利品ドロップを選別するアルバイトだ。

 ダンジョン関係の職についていない限り、ダンジョン適性のない一般人が戦利品ドロップを直に目にする機会は殆どない。

 効果や扱い方が未知のもの、危険性の高いものが未だごろごろ発見され続けているだけに、戦利品ドロップが集まる場所もダンジョン適性持ちで固めるのが妥当だが、新人類達の数にも限りがある。故にある程度簡単で業務手順マニュアルが定まった作業は、隼のように適性のないアルバイトでも携われるのだ。


 非日常に触れるのはいい刺激になる。上司や同僚から聞く探索者達の冒険譚は良く出来たファンタジー小説のようで聞き応えがあった。有名な探索者を職場で見かけるとその存在感や堂々たる振る舞いに自分も見習わねばと思わされる。

 いつ来ても楽しい職場で、隼はすっかり忘れていた――このアルバイトの給料が高い理由を。施設は警備や安全設備が異様に厳重な訳を。単純作業ばかりの仕事とはいえ、アルバイト立ち入り禁止の場所が多々ある意味を。

 思い出したのは今日、独りでいつもの選別作業をしていた最中、どこか遠くの場所で聞き慣れない獣の咆哮が聞こえたと同時に、けたたましく警報器が鳴り響いた時だ。


(マジかよこれ何事だよこれ、モンスターパニック系ホラー映画かよ)


 近くの倉庫に逃げ込んで鍵をかけ、部屋の隅で震えている現状は、正しくホラー映画の犠牲者の様だった。映画を観ている時は何故すぐに逃げないのかと呆れ返っていたものだが、いざ自分の立場になると、あの犠牲者の気持ちが痛いほどわかった。

 アルバイトとして働き始める前、避難経路は上司に何度も確認させられた。だが得体の知れない声はそちらの方面から聞こえてくる。混乱する頭とガクガク震える足では、声と反対側にある倉庫に逃げ込んで鍵をかけるのが精一杯だった。


(芸でアドリブに弱いから現実でもトラブルに対応出来ないのか? くそが、この根性無し、小心者――ああ、もう、詰んだ)


 己の情けなさに涙も出ない。獣の声と緊張感漂う喧噪、時折響く不気味な建物の揺れ。段々と近づいてきている気がするそれらを聞きながら、隼は冷ややかな"死"の感触を実感していた。

 売れない芸人のまま、夢を叶えられずに死んでいくのか――体育座りで俯いていた時、ふと微かな違和感を覚えて隼は顔をあげた。

 そこにはがいた。子供用の着せ替え人形より少し小さく、羽が生えた翡翠色の髪と瞳の、明確にとわかる――


「どもど……」

「キャアアアアアアアアア―――――!!」


 が一言発するよりも先に隼の緊張が破裂した。心臓が跳ね上がり、咄嗟に今までの人生で一度も出した経験のない甲高い悲鳴が飛び出す。

 は自身の耳を塞いで「うるさっ」と顔を顰めた。決して玩具の人形でも緊張が生み出した幻覚でもない反応に、隼は第二の悲鳴をあげた。

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