第4話 妖精16番、イム
「……以上です。繰り返しになりますがこれは"異世界平和と摂理支援の会"が発足したばかりの頃の話です。命に関わる不祥事はこれ一件きりですし、今は支援物資の規則も厳しく定められていますのでご安心ください」
ハナの話が締めくくられてからしばらく沈黙の時間が流れた。ホラー映画とは違う、目の前で語られた実際の話だ。拙い語り口も余計に現実味を増す要因で、治臣は緊張で張り付いた喉をごくりと鳴らす。
「こっわ! 登場人物全員怖ぇ!」
「ですよね! 皆が狂気に塗れてて超怖いですよね! 好奇心で記憶を覗いたのちょっと後悔したんですよ!」
「いや確かに映像付きで見てたらトラウマになりそうだ。オチも秀逸だった。素晴らしい。異世界怪談師になれるぞ」
「えっ、マジです? えへへ」
まんざらでもない表情で全身に纏う仄かな光を明滅させるハナ。
以前治臣は使いかけの煙草を寄付した結果見知らぬ異世界の三姉妹を救った経験がある。あの時も"そんなことあるか?"と思ったが、命を救うだけでなく命を奪う可能性さえ生まれ得るとは尚更考えたことがなかった。
改めて"異世界平和と摂理支援の会"と神の力の計り知れなさを味わい、治臣は小さく身を震わせた。
その時、前触れもなくハナ自身が放つ光が消えた。治臣の心臓が一瞬どきりと跳ねるが、自分が話の前に"百物語"を妖精に教えたことを思い出して安堵の息を吐いた。
「そうそう、話終わりに明かりを消すのが百物語だ。よく覚えてたな、さすが期待の異世界怪談師だ」
「い、いえ、私何も――」
「えっ……」
互いの動揺が暗闇越しに伝わり息を呑んだ瞬間、消していた部屋の照明が一斉に点灯し、眩しい程の光が溢れた。
目を瞑って痛みを耐える治臣の耳元で、くすくすと妙に婀娜っぽい笑い声が吹き込まれた。驚いてその場から飛び退いた治臣がチカチカする視界で何とか捉えたのは、翡翠色の妖精とは違う姿の妖精だった。
日本人とは違う、複雑な深みを帯びた黒髪。赤い瞳。輝く褐色の肌。彼女の姿を認識してハナは「ひえっ」と怯えた声を漏らした。
「じ、16番先輩……」
「何やらくすぐったいと思ったら可愛い後輩が人をネタにお喋りしてるものだから、遊びに来てしまったよ。……やあ初めまして、私は"異世界平和と摂理支援の会"所属の妖精16番だ。気安くイムと呼んでくれて構わないよ」
怪談話の当事者が突然目の前に現れ、しかもそれが翡翠色の妖精とは全く異なる妖艶な雰囲気の妖精で、治臣は戸惑いながら曖昧な返答をした。妖精16番、イムは全く気にした様子もなく、硬直したハナの体を後ろから抱いて治臣に笑いかけた。
「普段は横入りするような品の無い真似はしないんだけどね。神の名誉のために訂正は入れておくべきと思ってお邪魔させてもらったよ。夜分に申し訳ないね」
「は、はあ……いえ……」
「早速だけど、87番の推察は間違っているよ」
――彼女の死はある程度神様の御意志の範疇で、歪みを正すことに繋がるものだったのではないでしょうか? 神様は一度生まれたものは簡単に消せません。でも人間が人間を殺す分には"いつも通り"ですから……手段に選んでも不思議はないのです。
訂正を入れるべきハナの"推察"とはそれのことだろうか、と治臣が考えていると、妖精16番、自称イムが「そうそう」と口に出していない問いに答えた。
「神は一度生まれたものを軽々しく消さない。直接的には勿論、間接的であろうともね。私が物理的に処分されずに済んだのは"神様の御意志"ではなく、ただ単に仕事をしただけだからさ」
「し、仕事……?」
「そう。遺体の損壊状況を報告したのは彼女の要望に応えてのことだ。その後の報告は、異世界のスケルトンが"自分自身の話"を寄付したため、一番それを欲している地球の人間の所に届けただけ」
"異世界平和と摂理支援の会"は地球から異世界へ支援物資を送るだけではなく、異世界から地球へ支援物資が届く場合もある。ただの"話"でも支援物資として扱われたのは、組織の発足初期だからこその緩さなのか。
イムは抱きしめているハナの頬を指先でつついた。
「どうせ記憶を覗くなら最初から最後まできちんと見ればいいのに、怖がって飛ばし飛ばし見るからそういう勘違いをするんだよ。全く、困った後輩だね」
「ひゃい……すみません……殺さないでくだしゃい……」
「うふふ。さてどうしようかなぁ」
イムは実に楽しげだが、ハナはホラー映画を見た時以上にぷるぷると震えている。
女友達がじゃれあっているような距離感の二人をどういう目で見ていいのかわからず、治臣はそれとなく視線を逸らした。その時閉めきられたカーテンが意識に引っかかった。
(さっきの話が本当だとしても、イムがわざわざ窓を開放して出ていこうとした、ってのは確かに変だよな。それに殺された男――異世界のスケルトンは、何故自分の話を寄付なんかしたんだ?)
「おや、怖い話のおかわりが欲しいのかな。欲張りだね」
「うおっ」
ハナを拘束していたはずのイムがいつの間にか治臣の肩口に腰掛けていて、至近距離に艶やかな微笑みがあった。部屋にハナの姿は何処にもなく、治臣は"あいつ逃げたな"と察した。
妖精は耳元でくすくすと笑みを零して、小さいがやけに艶めかしい手で治臣の頬を撫でる。
「87番がいないと不安かな? 大丈夫、取って食いやしないよ」
「い、いや……そういうわけじゃないが……」
「そう? なら折角だ、期待に応えて話そうか。87番が読み飛ばした場面をね」
イムがぱちんと指を弾くと途端に部屋の明かりは全て消え、イム自身の纏う仄かに赤みを帯びた光だけになる。赤く輝く瞳が妖しげに瞬き、治臣は恐る恐る居住まいを整えた。
「では、私が彼の遺体を異世界に持っていった時の話だ――」
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