第2話 妖精はかく語る:先輩の話1

 これは"異世界平和と摂理支援の会"が発足したばかりの頃の話です。

 ただでさえお忙しい神様方が主導の、別世界を股にかけた組織ですから、当初は尋常ではない慌ただしさでした。何もかも手探りなのに手が足りなくて、問題が多発していた時期です。


 とある妖精が――ええ、私じゃない別の妖精ですよ。黒髪に赤い目をした、怪しげでちょっと怖い先輩妖精です――ごく一般的なアパートを訪れました。今まさに殺人事件が起きたばかりといった様子の、事切れた血まみれの男性の遺体と包丁を手に立ち尽くす女性のいる状況に。

 私には真似出来ませんが、先輩妖精は至っていつも通りに女性に声をかけました。


「やあ、こんばんは。慈善団体"異世界平和と摂理支援の会"の者だけど、何か寄付しても良いものはない? お嬢さん」

「……はあ?」


 血走ったギラつく眼差しに晒されながら、先輩妖精は平然と組織についての説明を定石セオリー通りに行いました。組織について余所に漏らそうとすると自動的に記憶が消えること、寄付あるいは貸与した物資はこことは異なる世界に渡ること等です。

 妖精が現れるという非日常的な出来事が目の前で起こったにも拘らず、女性は「はあ?」以降一言も発さずにいました。先輩妖精は意に介さず、組織の成り立ちから異世界がどういう所なのかまで話題を問わず話し続けました。

 やがて握りしめた包丁の赤い輝きが酸化して濁り、徐床に広がる血溜まりが女性の足元をすっかり囲むほどの時間が経った頃、女性は包丁の刃先を遺体の方に向けました。


「ならを寄付するわ」

「寄付や貸与が出来るのはその人間に所有権があるものなんだ。だから確認するけど、は君のかな?」

「私の部屋に落ちているだから、私のよ」

「……うふふ。そう。それもそうだねえ。なら、そのゴミは頂いていこう」


 信じがたいことに先輩妖精はその寄付を受理しました。明らかに駄目な案件なのに何で通したか聞いてみたら「面白そうだから」だそうです。

 もう一度言いますけどこれはウチの組織が発足したばかりの頃の話であって、今あんな世紀末な取引をしたら消されますよ物理的に。私の87番より古い番号の妖精が今何人残っているか教えましょうか? はあ、怖い話の間に怖い話を挟むのは止めろって? ワガママさんですねえ全く。


 とにかく遺体は先輩妖精が支援物資として受け取り、床の血溜まりも包丁についていた血液も跡形なく回収されました。

 何事もなかったような綺麗な部屋で、女性は包丁をシンクに放り、縁を掴んで俯きました。シンクに映る歪んだ彼女の表情は笑っていました。笑いながらぶつぶつと呟いていました。


「いい気味だわ、散々人を弄んで食いつぶして捨てようとした報いよ、神様は私に味方してくれたんだわ、そうねあんなゴミのせいで罪人になって償いたくもない償いの時間を過ごすなんておかしいもの、ああ神様感謝します、私これから楽しく生きていきます、あのゴミが知らない世界の何処かで腐って獣に食い散らかされて骨も残らない姿を思いながら心穏やかに生きていきます――」


 一体何をしたらそこまで憎まれるんでしょうね? 女性のあの笑顔を思い返すといつも背中が寒くなります。

 ……いやだから私じゃないですって、先輩妖精の話ですって。組織の妖精は互いの記憶を引き出せるので、興味本位で過去のトラブルの記憶を閲覧した時にえらいもんを見てしまったって話なんです。可愛い私がそんな物騒な寄付を受け付けるわけないでしょー?

 で、話を続けますね。……ええそうです、恐ろしいことに続くんですよ。

 遺体を受け取ってからしばらくして、先輩妖精は例の女性に呼び出されました。最初に会った日とは正反対の、目が爛々と輝いて異様なほど上機嫌な笑顔を浮かべた女性は、跳ねるような声で楽しげに遺体の様子を聞いてきました。


「ねえあのゴミはどうなった? 獣に食い散らかされたかしら」

「そうだね、小さいモンスターに囓られているみたいだよ。あれなら肉が食い尽くされるより腐る方が先かな」


 そのやり取りの後、またしばらく日が経つと女性は先輩妖精を呼び出し、楽しそうに同じ質問をしました。


「あのゴミはどうなった? 酷く腐敗したでしょうね、虫が湧いて悪臭もしているのでしょうね」

「そうだね、段々形も崩れてきたよ」


 そうやって何度も遺体の様子を聞いては満足そうに笑って――大丈夫ですかおじさん、顔色が悪いですけど休憩します? あ、ハイ、わかりました話を先へ進めますね。

  人一人失踪して女性の所にも何度か警察がやって来たようですが、そもそも殺害された男性は女性関係でも金銭関係でも問題だらけの人で、おまけに遺体も無いわけですから、女性もさして深く聴取されずに済んでいたようです。

 だからああも勝利を噛みしめているかのような……妙なハイ状態だったんですかね? 他人の前では隠せていたんでしょうか? いっそ捕まっていた方が、彼女にとっては幸せだった気がします。

 しばらくの間はただの遺体損壊報告が繰り返されましたが、ついにそれが崩れる日がやって来ました。


「あのゴミもそろそろ骨だけになる頃でしょうね。モンスターは骨も食ってくれるのかしら? 糞塗れで粉々になって、一片たりとも世に残らなくなればいいのに」

「残念だけど、今あのゴミは死霊術師ネクロマンサーに拾われてスケルトンとして働いている所だよ」


 想定外の返答に女性の満面の笑顔は急に真顔に変わり、光を失った淀んだ目で先輩妖精を凝視します。女性の代わりとばかりに先輩妖精は妖しく微笑み、指先に光を纏わせて円を描くと、空中に異世界の光景――美しい女性の死霊術師ネクロマンサーの傍らに立つスケルトンの姿を映し出しました。

 ええ、私達が"異世界平和と摂理支援の会"である以上、女性が望むような、ただ腐っていくだけの結末など起こりえません。最初から決まっていたことです。だからそう、きっと先輩妖精も最初からを楽しむつもりでいたのでしょう――


「君はどうやら私の話をろくに聞いていなかったのだねえ。言ったはずだよ、寄付されたものは必ずって」


 女性の顔が歪みました。今度は笑顔ではなく、男性を殺した日のような憎悪の表情で。



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