第5話 異世界:妖精と姉妹と煙草2

 暗闇の中を慎重に進む間、狐のモンスターはつかず離れずの距離で姉妹を追ってきていました。冒険者ではない姉妹には、気配も足音も感じられません。それなのに振り返れば必ず暗闇の中に、先程と同じ距離感で存在する目と目があうのですから、相当な緊張感だったでしょう。

 煙草が絶えそうになる度に足を止めて、新しく一本取りだし火をつけ直す。段々と箱の中身は減っていくのに、いつ出口に辿りつくかわからない。洞窟の足元は湿っていて滑りやすく、姉妹は何度も足を取られて転んでいました。幼いエレナさんが泣き出さなかったのが不思議なくらいです。


 魔法で倒さないのか、ですか? 異世界ちきゅうの人ってみんなそれ言いますねえ。

 ろくな訓練も受けていない一般人の、それも子供の使う魔法なんてたかがしれてますよ。ライターみたいな火力で精一杯です。それだって、何度も使えば低魔力で体調が悪化していきます。あの状況下では命懸けでしたよ。


 で、そうやってしばらく歩いて行くと、二股に分れた道に出ました。これまで黙々と足を進めていた姉のセルマさんが二つの道を見比べ、困惑の表情で私へ質問しました。


「ねえ……これ、どっちが出口?」

「わ、私に聞かれましても」

「チッ」

「し、舌打ちしたあ――!! 露骨に舌打ちしたあ――!!」


 酷くないですか? 酷いですよね? 私だって見知らぬ場所にいるのは同じなんですから、出口の方向なんて分かるわけないじゃないですか。

 解せなくて周りを飛び回ってたらですね、途中でエレナさんが「あっ」って言って私を鷲掴みにして、あろうことか煙草の火の側に近づけたのです!


「おのれー、可愛い妖精さんを火あぶりなんて正気かー! それでも人間かー!!」

「ようせいさん、しーっ。……みてお姉ちゃん、けむり」


 エレナさんが指差したのは、煙草の先でした。私の輝きに照らされて、煙草から細く立ち上る煙がふわりと横に流れたのが見えたのです。

 セルマさんは黙って別れ道のそれぞれの出入り口に立ち、煙の流れ方を見比べると、左の道の方がより大きく煙が動いているのがわかりました。


「エレナ、お手柄よ。偉いわ、よく気づいたわね」

「えへへ、ようせいさんがぶんぶんとび回ったときにみえたの。ようせいさん、おてがら、おてがら!」


 鷲掴みにされたまま掌でぐりぐり頭を撫で回されてもげるかと思いました。第一ぶんぶん飛び回るって言い方がもう羽虫扱いじゃないですか、可愛い可愛い妖精さんに対して誰も彼ももうちょっと……あ、話を先に進めろって? ハイハイ。


 先へ進むにつれて風も肌で感じられるほど強くなりましたし、若いダンジョンだったせいか浅い階層だったせいか出てくるのは全て狐のモンスターばかりでしたし、順調に足は進みました。

 遠くに外からの日差しが見えた時は流石の姉妹も半泣きで喜んでいましたね――何せもう煙草は残り数本だったので。


 ダンジョンさえ出てしまえばダンジョン産のモンスターは追って来られないので、姉妹は煙草の火が消えない程度の早足で光の方へ向かい、無事に脱出しました。

 出来たてのダンジョンで入り口もほぼ狐の巣穴みたいな見た目でしたので、誰もダンジョンだとは気づかなかったでしょうね。自力で脱出出来てよかったよかった。


「じゃ、今度こそ私はこれで失礼しますね。煙草はそのままお持ちください。売るなり捨てるなりご自由にどうぞ」

「その……ありがとう」

「んふふ。いえいえ、私は散歩してただけなので」

「この煙草をくれた人にも、お礼言っといてくれる?」

「ええ、機会があったら」


 ふわりと飛んで二人の側を離れると、エレナさんが手をぶんぶん振って「ありがとー!」と笑いました。可愛くて可憐な妖精さんは微笑んで溶けるように消えていきましたとさ――完。

 で終われば美しかったんですけどねえ。


 二日後、とんでもない勢いで"誰か"に呼びつけられたので飛んでみたら、あの姉妹の所でした。

 困惑しているのか怒っているのかわからない顔の長女セルマさんに、その時初めて会った次女ハリエさん。ベッドの上にはいましたが上半身を起こしていて、顔色も悪くはなかったです。ちなみに三女のエレナさんはハリエさんに抱きついたまますやすやお昼寝をしていましたよ。


「おやおやー、そちらが次女さんですか。お元気になりました?」

「えっ、あ、はい。お陰様で。その節は姉と妹がお世話になりまして……」

「いえいえー」


 この様子だとお薬買えたんだな、めでたしめでたしだなあ――で何で呼ばれたんだろ? と首を傾げていたら、セルマさんがボロい机の上にボロい袋を置いて、奇妙なくらい慎重な手つきで袋の口を広げました。

 中身は銀貨が結構な量詰まっていました。


「おやまあ。採取した薬草にエリクサーの材料でも混じってました?」

「新ダンジョンの発見で金貨五枚。残りの煙草数本を売ったら、研究用として更に金貨二枚で売れた。ハリエの薬を買ってもまだこんなに余ってる」

「良かったじゃないですか。貯蓄貯蓄ぅ、いえいいえーい」

「も、貰いすぎなのよ! だからこれ、半分くらい寄付してくれた人に渡して!」


 要するに三姉妹全員の命を救われた上、莫大な――少なくともあの姉妹にとっては――お金まで貰っては申し訳ない、少しでもお返ししたい、という健気な思いで私は呼びつけられたようなのです。

 しかし煙草は異世界ちきゅうではそこまで価値のある品物ではありませんし、そもそも"寄付"に対価は必要ありません。"貸与"のように品物を返却する必要すらないのです。

 そう説明するとハリエさんは溜息をつきました。


「お姉ちゃん、これ以上は困らせるだけだよ。……妖精さん、お礼だけなら伝えてくれるんですよね?」

「勿論、お礼だけなら――あっ、忘れてたや」


 いやあ、"堪忍袋の緒が切れる"ってああいう時に使う言い回しなんですねえ。セルマさんが憤怒の顔で私をひっつかんで「何でよ! 何で忘れるのよそんな大事なこと!」とか言って振り回してきた時はもう、死ぬかゲロ吐くかと……。

 そんなセルマさんの手をそっと握って止めてくれたのはハリエさんでした。女神かと思いましたね。


「まあまあ、わざとじゃないんだから」

「は、はわあ……めがまわるう……」

「大丈夫? ねえ妖精さん。異世界では大したものではないかもしれないけど、私達にとっては身に余るくらい貴重なものだもの。この箱だって綺麗な模様がいっぱい描いてあって、軽くて丈夫で、とても立派なつくりだわ。せめて箱だけでも寄付してくれた方に返してもらえないかしら?」

「ええ? 箱を……?」


 そこまで言われると流石に三姉妹の健気な心を無下にするのも気が引けてきて、まあ箱を返すくらいなら、という気になってしまいました。

 ハリエさんは優しい微笑みを浮かべて私に煙草の箱を渡しました――カラのはずなのにやたらに重いその箱を。


「え……えっ?」

「お願いね。土とか汚れとかついてしまって申し訳ないけれど」

「いや、あの、土っていうか」

ついてしまっているけど妖精さんは気にしないわよね?」


 はい。

 そういうわけで、笑顔の圧に負けて言いくるめられました。土とか汚れとかついているそうですけど気にしないでください。いいですね?

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