第6話 夢から覚めて
妖精の話が終わる頃には、机上の安っぽい煙草の箱が大げさではなく確かに"命を救った物"だったのだと理解出来た。治臣が箱を軽く振ると、中から鈍い金色の硬貨が一枚転がり出てきた。真円ではなく妙に歪んだ輪郭で、見知らぬ動物の模様が描かれている。
翡翠色の妖精はまじまじと硬貨を見て「あれま」と零した。
「あの子達、銀貨じゃなくて金貨をぶち込んでたんですか。ちゃんと手元にお金、残ってるんですかねえ?」
「……」
「どうしました、おじさん。しょっぱい顔しちゃって。思ったより地味なファンタジーでがっかりしました?」
「そうじゃなくて、何て言うか――恥ずかしいんだ、俺は」
子供達が文字通り命懸けで生きている異世界の過酷さと、そんな状況でも鬱屈することなく支え合う絆の強さ。決して相まみえることのない見知らぬ他人にさえも礼を尽くそうとする誠実さ。
憧れたファンタジーの世界に生きる若い世代を羨み、"選ばれた側の人間ではない"、"誰にとっても特別ではない"と卑屈になっていた自身が、余計に小さく惨めに思えた。他人から貰った使いかけの煙草一箱を適当に渡し、異世界だ非日常だと浮かれていた自分が恥ずかしい。
「……なあ、この金貨、その子達に戻してやってくれよ。必要だろう。元々苦しい理由付けで運んできた物だ、返すのは簡単だろ?」
「簡単ではありますけども。うーん、おじさん、何か勘違いしてません?」
「勘違い?」
「貴方が"他人から貰った使いかけの煙草一箱を適当に渡し"ていなければ、失われていた命がみっつ在ったということです」
開封済であったから取り出し口から中身を取り出すだけでよかった。もし新品であったなら、暗闇の中で開封の仕方もわからず手間取っている間にモンスターに襲われていた。
そもそも煙草が寄付されていなければ、モンスターを避けてダンジョンを進むことなど不可能だった。
彼女達が死んでいれば、病に伏せっていた次女ハリエはそのまま独り息を引き取っていた。
「高尚な意志も高潔な魂も、高価で希少な物品も、あの時の彼女達には無意味です。使いかけの煙草が必要で、それを貴方が選んだのです」
「それは、」
「偶然とか必然とかクソほどどうでもいいのですよ。物語じゃないんですから」
鬱々とした思いを容赦無く切り捨てられ、治臣は一時面食らったが、しばらくして笑いがこみ上げてきた。
ファンタジー代表の妖精の口から飛び出た"クソほどどうでもいい"という台詞は、
(そうだな。確かにどうでもいいことだな)
今この時も三姉妹が揃って恙なく暮らしている。それが全てだ。
気の済むまで笑った後、治臣は金貨を煙草の空箱の中に再度滑り込ませた。
「わかった、ありがたく受け取らせてもらう。……でもそれで本当に彼女達は生活出来るのか?」
「えぇー? 私に聞かれましても」
「……わかった。じゃあまた寄付……いや待て、こっちの金は芸術品扱いなんだったか? 何かこの家の中で、生活の助けになるようなものはあるか?」
「寄付は大歓迎ですけど、直接相手を指名して寄付することは出来ませんよ」
異世界平和と摂理支援の会はあくまで"必要としている人に必要な物を届ける"組織であり、個人への支援は受け付けていない。逆に"これが欲しい"と支援物資の内容を注文することも出来ない。
支援する側にもされる側にも優しくない、融通の利かない運営方法だ。神が関わっていなければ確実に顰蹙を買うだろう。
「そんなこと言ったって決まりは決まりですぅ。……まあ、女の子の家庭に必要なものの寄付なら選ばれやすいんじゃないですか? 確約は出来かねますけど」
「女の子に必要なもの……?」
恋人無しの期間が長い治臣には難題だった。妖精は「あっ私その表情を何て呼ぶか知ってますよー、宇宙猫って言うんですよね!」と、手を叩いて喜んだ。何処から仕入れているのかわからないが着実に地球のインターネットミーム侵食が進んでいるようだ。
「ま、気長に考慮してください。準備が出来たら"異世界平和と摂理支援の会に所属する妖精87番さん"と呼んでいただければ出てきますので」
「無理ゲーが過ぎる……」
「本当に本っっっ当に仕方がないワガママおじさんですねえ! 大負けに負けて"
「ハイアリガトウゴザイマス……」
翡翠色の妖精は腰高に腕を組んで「よろしい」と頷いた。
治臣は考えた。すれ違う子供達、町の通りに並ぶショーウィンドウ、若者向けのテレビ番組、目に付くもの全てをまじまじと観察しては"女の子の家庭に必要なもの"を考えた。数日経っても明確な答えは出ず、頭から湯気が出て来る気さえした。
ただ寄付をするだけでもいいのだろう。何を差し出したとしても神が良いように取りはからい、最も必要としている人間のもとへと届くのなら、相手が誰であっても良いことに違いはない。だが出来ることなら、あの三姉妹に届いて欲しい。
(金貨一枚はやっぱり多いからな。――救われたのは俺も同じなんだから)
あれ以来、不思議と荒んでいた心が落ち着いた。テレビに新世代のダンジョンでの活躍が映っても、以前ほど卑屈な気持ちは起こらなかった。異世界ファンタジーの過酷な現実を知ったせいか、現実を少年時代に夢見た英雄譚が多少なりとも叶ったせいか、"クソほどどうでもいい"と切り捨てられたせいかはわからないが。
そこまで考えてふと「それ感謝するなら三姉妹じゃなくて私にですよね?」と例の声が今にも聞こえてきそうな気がして、治臣は恐る恐る周りを見回したが翡翠色の妖精の姿はなく、かわりに同僚の北迫と目があった。
「どうしたんですか佐上さん。誰か探してます?」
「あー……気にするな。それより丁度良かった。北迫、お前、」
若い女の子に必要なものが何かわかるか――と質問しようとして、妖精が"他人に話そうとすると自動的に記憶が消去される"と言っていたことを思い出した。
どの程度のぼかし方なら許容範囲なのかわからない。そもそも何故若い女の子に必要なものが知りたいのか問い返された時、上手く説明出来る気がしない。
「……いや、何でもないわ」
「えぇ? 何ですかそれ。もしかして最近ご機嫌なのと関係あります?」
「ご機嫌?」
「荒んでいた目が輝いていて生気に溢れてる感じですよ。違い過ぎて逆に怖いっす。何かいいことありました?」
憎まれ口を過分に含んだ質問に顔が引きつる。ただ外から見て変化が顕著であるのは確かなようで、治臣の返答を窺う北迫以外の同僚の視線をいくつか感じた。
なるべく事実から遠いぼかした言い方を探して頭を巡らせ、やっと一言口にする。その顔には、本人も意図していないであろう微笑みが滲んだ。
「応援したい子達を見つけたから、これから頑張ろうってだけだよ」
――後日、会社内で「佐上が生き生きとしているのはアイドル箱推しに目覚めたからだ」と密かに噂が広まって頭を抱えることを、この時の治臣はまだ知らない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます