麦わらの似合うあなた

南篠豊

第1話

【麦わらの似合うあなた】南篠豊






「麦わらのおにいさーん! かき氷みっつ、くださいなー!」






 海の家に響いた底抜けに明るいその声に智之ともゆきは心底げんなりした。






「……なにやってんだ、智里さとり


「もっちろん、海水浴! サークルのひとたちと!」






 もちろん、見ればわかる。


 智里さとりは水着だったし、彼女の後ろには大学で見た顔があったし。


 なので智之ともゆきが目の前の幼馴染に聞きたいのは、よりによってどうして自分がバイト中な海水浴場にやってきやがるのか、ということなわけで。






「もっと有名どころの海水浴場に行けばいいだろ。そっちの方が広いし」


「えーやだー。混んでるじゃん」






 言いながらカウンターに頬杖をつく智里さとり智之ともゆきは強調されたビキニの谷間からつとめて冷静に視線を剥がし、電動のかき氷機でがりがりと氷を削る。






「ここいいよねー、すっごい穴場。砂浜きれいだし、人もほどほどだし、海の家に行けば麦わらのトモもいる」


「やめてくれその呼び方。マジで」






 あいにく智之は海賊でもなければゴム人間でもない。ほどほどの時給を求めて首掛けタオルと麦わら帽子で暑さに立ち向かうバイト人間だ。冒険もバトルもあったものじゃない。






「ああ、たしかに穴場だな。これでおまえが来なければ最高だった」


「うわひっどー。せっかくおばさんにバイト先聞いてわざわざ来てあげたのに」


「余計なことを……」






 味は。んー、イチゴとレモンとブルーハワイ。はいよ。お安くしてね麦わらのおにいさん。ふざけんなバカ、倍もらうぞ。そんな軽口を交わしつつ。




 


「はいかき氷お待ち。二度と来んなよ」


「ありがとートモ。次来たらやきそばお願いね」






 腕にかき氷を抱えてサークル仲間のもとに戻る智里さとりを見送る。見覚えのある何人かがこちらに会釈をしてくる。


 智里さとりのサークルはたしか男女比半々くらいで、だから今日もあたりまえに男がいて、そのなかの男一人が智里さとりと妙に距離が近かった気がして。


 見たくもないものを見せられた気分で、条件がいいと喜んで選んだバイトをじわじわ後悔した。








 




 


 思いのほか忙しい時間を過ごして、あれよというまにバイトが終わる時間。


 とっぷりと暮れた夕陽が水平線に夜と昼のグラデーションを演出している頃、智之ともゆきは海の家を出た。






「やっほ」






 そして智里が待ち構えていた。軒先に座り込んで。迷惑な。






「……いや、なにやってんの?」


「うわ冷た。待っててあげたのにー」






 膝を抱えてにししと笑う幼馴染は、水着から着替えてシャツにハーフパンツという装い。火照った顔からして、さぞ充実した時間を過ごしたことだろう。けっ。






「サークル仲間はどうしたんだよ。見当たらないけど」


「え? 帰った。だいぶ前に」






 あっけらかんと言われて智之は目が点になった。






「……来た時はここまでどうやって?」


「そりゃ車だよ。ここ交通の便悪いし、電車やバスじゃ厳しいでしょ」


「一緒に帰っとけよそこは!」


「トモだって、ここまで家の車運転して来たんでしょ? 乗せてもらえば同じことじゃん」


「いやそういう問題じゃ……」


「わたしさっき告られたんだー。サークルの先輩に」






 ちゃんと会話しろよ話の前後がつながってねーよ。


 そんな指摘は不意に呼吸が詰まったせいで口にできなかった。


 沈黙を縫うように潮騒が際立つことしばし。






「…………断ったけどね?」






 智里さとりはちろりと舌を出した。






「その先輩、運転手だったからさ、もう帰りが気まずいのなんのって。だからみんなにごめんねしてここで待ってたの」


「……それは、また」






 淡く色づいた水平線の方に顔をそむける。声は平静を装えた。でも顔は別だ。いまの感情を悟られちゃいけない。悟られるわけにはいかない。






「相手は、サングラスで、茶髪の?」


「ん? そうそう、そのひと。よくわかったね」


「運が良かったな。俺がここでバイトしてて……」


「『ごめんなさい。わたしサングラスより麦わらの似合う男のひとがいいんです』」


「……っ!」


「…………って、断ったんだよね。あっちの岩陰らへんで」






 悪意の透けた差し込み方。からかうような間と声音。


 長い付き合いだ。彼女がどんな表情をしているか、顔をそらしたままでも手に取るようにわかる。麦わらを目深にかぶり、どうしようもなく火照った顔を押し込む。




 


「べつに、こんなの、ただの熱中症対策……いつもかぶってるわけでも……」


「ん? わたし、誰のことか言ったっけ?」


「っ……智里さとり、おまえなあ」


「ごめんうそ。今のはひどいね、さすがにね」






 立ち上がって、ざくざくと砂を踏みしだく音。


 なにか決定的なものを踏み越えようとする足音を、智之ともゆきは背中越しに聞く。際限なく大きくなるみずからの鼓動と一緒に。






「ねえトモ。……わたし、いい加減、もっとシンプルに断る理由がほしいな」




 


 水平線のグラデーションが夜の濃紺に染まっていく。


 あいまいだったものが境界を失いひとつの色に溶けてゆき。


 やっとの思いで振り返って応えた彼に、遅いよといって彼女は幸せそうに笑った。


 


 


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