コトバクダン

伽戸ミナ

コトバクダン


 段ボールの中でボールペンが転がっている。せっかくだからいいものを、と思ってしっかりとしたペンを買ったが、仕事がはじまってみると書かなきゃいけない書類が多くて、すぐに安くて軽くて使いやすいものに買い替えた。何代目か分からない機能的な方は、今も手帳と一緒に胸ポケットに入っている。


 片脚を上げて段ボールを載せ、一瞬空いた右手で扉を開ける。

「今日からお世話になります、青山です。よろしくお願いします!」

 恰幅の良い人と細身だがよく鍛えられている人が近づいてくる。

「君が青山君ですね」

 恰幅の良い方が言う。

「私はコトバクダン対策室の室長の田所です。事件の時には私が全体の指揮を執ります」

 コトバクダン。都市伝説のようなものだと思っていたが、まさか自分が配属になるなんて。しかし室長と名乗った田所さんは、柔らかい声だが貫禄のある言い方をしていた。相当な現場経験を積んでいるのが感じられる。こんな人がいると信憑性が増した気がする。


「こちらは青山君の先輩になる岩城君です」

 隣にいる男性を指す。その人は、岩城です、とだけ言って頭を下げた。浅黒い肌と低い声から、厳しそうな教官をイメージしていた。

「青山君には、岩城君の下で現場での処理任務にあたってもらいます」

「分かりました」

「処理任務の現場は危険と隣り合わせなので、岩城君の命令には必ず従ってください」

 はい、と頷く。すると田所室長は相好を崩した。

「そうは言っても、ここ何年も大規模な事件なんて起きてないんですけどね。コトバクダンは中々大変だから」


 室長の言葉通り、僕のコトバクダン処理の初仕事はボヤ騒ぎ程度のものだった。高校生が自分のノートを爆破した、というものだった。彼が中学生の時に描いていた自作の漫画を初めてできた彼女に見られたらしい。自分の黒歴史を爆破したかったと供述している。黒歴史だろうと自分の歴史だ、と彼に語りかけていた岩城さんは、厳しいが愛のある体育教師みたいだった。


「お疲れ様!初仕事どうだった?」

 現場から戻ってきた岩城さんと僕を、室長が出迎えてくれた。

「思ってたのと全然違いました」

「ハハハッ!そうだよね~。爆弾処理とは似ても似つかないからね」

 今日は聞き込みしかしなかった。家族は動揺していたり、本人は中々心を開かなかったりと話を聞くだけでも相当骨が折れた。爆弾処理の「処理」という認識を改めようと思う。


「でも、今回は実際に火が出たんでしょ。かなり“想い”が強かったんだね~」

 岩城さんが頷いている。

「“想い”が強いってどういうことですか?っていうかそもそも“コトバ”が“バクダン”になるってどういうことなんですか?」

「そっか、まだ説明してなかったね」

 室長が続ける。

「言葉のチカラが強まってるというのは聞いたことある?」

「噂みたいな感じでですけど」

「それは真実なんだ。みんなが気軽に発信できるようになって、言葉が使われる機会が増えた。そうしてどんどんチカラを増していく。かつては爆発的な影響を与えれるだけだった言葉たちが、本当に 爆発を起こせるようになっていったんだ」

 言葉の端々まで気を付けるようになった結果なのだろうか。


「でもだとしたら、もっとたくさん爆発が起きるんじゃないですか?コトバだけで爆発が起こせるとも考えられますよね?」

「そういかなくさせてるのが“想い”なんだ。何としてでも爆発させたい、と強く想ってそれが届かないといけない」

「届く?どこにですか?」

「コトバに、ってことになるのかな。分からないけど。でも実際不発に終わることも多いよ。本当に爆発させたかったら爆発物を実際に使った方が確実だし。だからうちに回ってくるのは小規模な事件ばっかりだね」

 黒歴史を消したい高校生はそんなに強く想っていたのか。共感はできないが、自分にとって何よりも大事なものというのはそういうものなのかもしれない。


「具体的にコトバクダンってどうやって作られるんですか?」

 室長は逡巡してから、再び話し始めた。

「例えばこの部屋を爆破したいとしたら、まず紙に何月何日の何時にコトバクダン対策室が爆破する、みたいな爆破言葉、通称バズワードを手書きで書く」

「手書きですか?」

「そう。手書きの方が想いが強くなるでしょ。そしたら、その紙をこの部屋のどこかに貼る。これは想いを届けるってことに関係してるんじゃないかなって思ってる」

 だから時間指定を書かなければいけないのか。もし書かなかったら自分も爆発に巻き込まれてしまう。

「あと、想いを強くするのには他の方法もあるみたいなんだ。ボールペンじゃなくてわざわざ万年筆を買ったとか、自分で紙を作ったなんて人もいた。そういう人たちはみんな爆破させてたな」

「そこまでしたくなるのは何なんでしょう」

「さぁ。でも、みんな強くなったチカラに振り回されてる気がするな。言葉遣いが悪くなってる。そんな感じかな」


 突然、ジリリリッと生存本能に訴えてくる音が部屋中に鳴り響いた。肩と背中が脳よりも早く反応する。動物的に動いただけの僕とは違い、室長と岩城さんはすぐに有事の行動に移っていた。連絡を受けた室長が指示を出す。

「岩城と青山は準備が出来次第すぐに出動。情報は逐一共有するので無線はずっと繋いでおくように」

 了解、と言って部屋から出る。真っ黒な対爆スーツに着替える。動きにくいがしっかりと守られているという安心感がある。無線が耳に入っていることを触って確認し、ヘルメットで頭を覆う。

「青山はこっちのタンクを持って行ってくれ」

 酸素ボンベみたいなタンクが背負って運べるようになっている。背中でドォゥボンッと液体が動くのを感じる。真っ黒な特別車両に乗り込む。岩城さんの行ってください、という言葉で動き出す。


 耳の中で無線機が震える。

「こちら対策室。聞こえてたら応答を」

「こちら岩城。聞こえています。どうぞ」

「現場は帝国出版。犯人は池本雄二、47歳。20年以上勤めてきたが先月クビになったそうだ。クビになったのに社内にいるところを元同僚に見つかり逃走、その後警備に捕らえられて犯行が発覚した。現在取り調べ中で細かいことはこれからだが、作家の夢を諦めてまで勤めてきたのにクビにされたことを恨んでいるらしい。今回は爆発の可能性が相当に高い。所轄が避難誘導とバズワードの捜索を行っている。現着したら合流するように」

 了解、と言った後、無線機からは何も聞こえなくなる。岩城さんが気を抜くなよ、と言ったので、はいと答える。


 現着するとすぐに所轄の刑事と思われる人に案内された。そこは建物の奥の方にある倉庫で、裏口から入れば比較的人に見つかりにくい場所であるらしい。

 岩城さんが無線で話す。

「室長、発見しました。読み上げます。『本日(5月26日)16時30分に帝国出版を爆破する』以上です」

 16時30分。……もう15分もない。

「さらにもう一つ。箱入りです」

 “箱入り”。目の前の白紙に黒で書かれた少し崩れた文字は美術館で展示される絵画が入れられるような額縁に収まっている。植物をモチーフにしたと思われる精緻な装飾が施されている。臨界点を越えた緊張が張りつめている空気ではとても聞けないが、“箱入り”という言葉から察するに想いが強まるのだろう。

「箱入りで、建物を爆破……。これは未曾有の危機だ。所轄には避難範囲を広げるように要請する。犯人への交渉も進んでいる。我々も時間はないが冷静に処理するぞ」

 通信が切れる。僕は一度大きく息を吸い込んだ。


 仕掛けが何もないことを確認して額縁を壁から離す。長い方の二辺を岩城さんとそれぞれ持ちゆっくりと空中で床と平行にする。額縁に入った言葉を慎重に下ろす。ふぅと息が漏れる。それを一度起こして、僕が支えている間に岩城さんが裏の金具を外して本体を取り出す。怨念を守っているフレームは拒絶するように硬く、手袋の上からでも不気味な冷たさが伝わってくるような気がした。

 それを脇に寄せ、いよいよ心の闇を抽出した黒文字と向き合う。絵画のサイズの大きな紙の真ん中に書かれていて、周りに余白が多いせいかどっしりと構えて僕らを待ち受けているようだった。

「インクだからケシゴムは使えないな」

 はいと答えたが独り言だったのかもしれない。

「タンクを下ろしてくれ」

 背中から下ろす。受け取り、自分の荷物から刷毛を出して準備を始める。

「これはペンキだ。ケシゴムでは消せない場合にこれを上から塗る。言葉を濁すことで無力化する」

 刷毛を渡されタンクの中に入れる。粘り気の小さな抵抗を感じながら引き上げると、光沢のある黒色のペンキがたっぷりとついていた。紙の上に移し、塗り潰していく。岩城さんと手分けをして余白がなくなるまで塗っていった。徹底的にペンキを重ねる。床についても関係なく端までしっかりと塗る。岩城さんが、よし、と小さく言ったときにはもう真っ黒だった。もちろん文字は読めない。


 タイムリミットまであと3分。間に合った。

「室長。完了しました」

「おつかれ。よくやった」

 僕は目を疑った。喉を絞った声で、岩城さん、と呼びかけた。それを見た岩城さんも驚きのあまり声にならない音を発した。

「どうした!?」

 無線機が震える。


「文字が……また現れました……」


 そう。真っ黒になった紙の上に先程と同じ文言が現れた。しかし違う点は同じものが赤と青の二種類あるということだ。最初に在った黒文字の、上側に赤、下側に青が現れた。

「確認する」

 室長が慌てて言った。

「とりあえずもう一度塗ろう」

 岩城さんに言われて、再び刷毛をとった。しかしいくら上から塗ってもその文字は消える事は無かった。塗っても塗ってもその文字の部分だけは水を弾くみたいにすぅっと浮かび上がってくる。

「岩城さん、どうしましょう」

「分からない……」

 心臓が早鐘を打つ。鼓動に急かされ焦りが募っていく。頭が回らない。

 あと2分。

 無線機が震える。

「池本は本物のバズワードを紙から切り離せば爆発は止まる、と言っている。岩城ッ!頼むッ!」

 岩城さんは分かりました、と言ったきり口を開かない。鼓動が早まる。歯がガチガチいう。

「岩城さん!もう1分切りましたよ。出版社が爆発したら大変なことになりますよ!!」

「分かってる」

 今までよりも強い語気で言った。次の瞬間何かをひらめいたように目線を上げて、いきますっ、と言って思いきり紙を破く音が聞こえた。僕は目を閉じて次の瞬間を待っていた。


 タイムリミットから1分経過。

 やってきた次の瞬間は、火に包まれるでも、爆風に吹き飛ばされるでも、瓦礫の下敷きになるでもなかった。

「止まりましたぁ」

 岩城さんも脱力した声を出した。無線機が室長の歓喜の声で震えている。

 青の言葉を破っていた。

「どうして青の方を破ったんですか?」

「出版社だよ」

 ピンと来ない。

「出版社で赤い言葉と言えば、文章の添削や校正のことを“赤を入れる”って言うだろ」

 岩城さんは破られずに残った赤文字に視線を向ける。

「池本は文章をよりよくするために赤を入れてきたんだ。それは自分の言葉に赤が入っても同じなんじゃないかと思った。それだけなんだけどな」


 岩城さんは立ち上がり、これだけ強く“想える”ほど誠実だったんだな、と呟いた。

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コトバクダン 伽戸ミナ @kadomina

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