第7話 託すもの

 私は社会人になりました。私は衣料品メーカーに就職し、デザイン部門に配属されました。まずは先輩デザイナーに教えてもらいながら、ノウハウを学んで行きました。学生時代にデザインしていた時とは違い、ラインの描き方もとても繊細でした。デザインしたものを先輩に見てもらっても、最初のうちは、これでは伝わらないと却下されてばかりでした。


 この会社は新人のデザインもよければ商品化してもらえましたので、それを目標にして頑張っていました。ただ私のデザインが商品化されるのはまだ少し先でした。先輩デザイナーの描いたものは、風合いまでわかるもので、描き方が自分のものとまるで違っていました。毎日家に帰ってからも、注意されたことを思い出し、何度も練習をしました。


 私は去年の夏に卒論を書く為に西脇市の親戚の方々に話を聞き、戦前戦後の人々の暮らしや生き方、播州織の今と昔を調べていく中で、物事に真摯に向き合うことや、人を大事にすること、そしてこれから社会に出る姿勢について、教えられた気がします。言葉遣いもその一つです。


 両親は私が社会に出てから、最初は心配していましたが、仕事に向き合ってる姿を見て、少しは安心してくれているようです。


 施設にいる祖母は、亀さんに会ってから私も頑張らなきゃと、足腰を鍛えるようになり、以前より元気になっていました。たまに顔を見せると、持ち帰った播州織の生地で人形を作ったりして、出来上がったものを部屋に飾っていました。


 両親は相変わらずですが、弟が大学受験の年になりましたので、毎日遅くまで机に向かっていました。もちろん塾にも通っていました。音楽をやっていたのでてっきりその方向に進むのかと思いましたが、外資系の企業に将来就職したいということで、英語が充実している大学に行くんだと言っていました。そして、叔父さんの奥さんのクリスチーナさんに、英語の習得にむけてパソコンで繋がりネイティブな英語を習うようになりました。たまに叔父さんも協力してくれているようです。


 昔の話を聞いてから私達兄弟の進もうとしている道について考えてみると、私も弟も私達の繋がりのある人達のアイデンティティをしっかり受け継いでいるんだと感じます。そしてまた誰かに受け継がれるんだろうとも思います。



 西脇にいらっしゃる亀さんとはたまに連絡をとっています。デザインや生地について、教えてもらうことが沢山ありますし、亀さんと好きなデザインの話をするのはとても楽しい時間だからです。また長期の休みには、祖母とともに西脇の梅之介さんの家に滞在させてもらいながら、直接指導を仰いだりしています。いつも新しい発見があり、考えたものを形にさせてもらえるので、デザインを描く上でとても参考になっています。


 そういう風に色んなことを吸収して、気づくと仕事をしだして三年が経ちました。私はふと今までデザインしたデザイン画を見ながら感じたことがありました。私が今までデザインしてきたものは、亀さんの要素が、魂が入ったもののように感じました。そして、悩みましたが、お盆で西脇に行った時、おばあちゃんと亀さんに、自分の思いを聞いてもらいました。


「私は学生の頃に播州織に出会ったでしょ。そして社会人になって今の会社でデザインしていく中でね、一つ一つのデザインの中に、亀さんから教えてもらった技術や素材の活かし方が入っていたのね。もちろんそれが悪いことなのではなくて、この亀さんが築いてきたものって残していくべきものなのではないかと思うようになったの。それでね、動くなら今しかないと思ったの。受け継ぎたいって。だから西脇の亀さんの工場で働きたいの。」


 二人は私が何を言いだすのかと思っていたようですが、亀さんが諭すようにして言いました。

「うちで働くのは構わないけどね、受け継ぐだけじゃダメなんだよ。そこに香織ちゃんの要素が入らないとね。」と。


「香織、おばあちゃんはそういう風に言ってくれるのは嬉しいことなんだよ。だけど受け継ぐだけじゃ香織らしさがないだろう。そこに香織のスパイスを加えるんだよ。そうしないとね、時代に取り残されてしまうんだよ。前にね、おばあちゃんと話した時のこと覚えてるかい?介護サービスや体育の日の話だよ。今も時代とともに変化していってるだろ。その時代にあったものに変わっていく。だから今度は香織が播州織に新しい風を入れていきなさい。」と祖母にも言われました。


 やはり二人に相談してよかった。自分がやりたいことに一歩踏み出せる。そう思いました。


 そして私は仕事を退職し、西脇に住むことになりました。もちろん一人暮らしです。梅之介さんや亀さんは自分達の家に住んではどうかと言ってくれましたが、それに甘えてしまうとダメだと思ったし、安心して守られていると、新しいものが生まれてこない気がしたからです。私の両親は自分達と離れて暮らすことに寂しさを感じているようだけど、私はこうと決めたら突き進むタイプなので、遠くから見守ってくれています。


 西脇にきて、私は常に動いています。播州織を基礎から教えてもらい、まず機械に慣れること、そしてそれぞれの糸の特性を知ること、昔ながらのデザインなど色々学んでいきました。また地域の行事などにも積極的に参加しました。


 最初の頃は、あの子は誰?と、突然いつもと違うメンバーがいるので驚かれましたが、一所懸命していると見ていてくれる人がいまして、新しく若者のコミュニティが誕生したりしました。そして皆んな播州織を知ってもらう為に、協力して新しいブランドを立ち上げたりしました。


 そしてそういった活動をすることによって、私も町の人達に受け入れてもらえるようになったと思っています。若者がファッションとして取り入れやすいデザインだったり、新作ファッションを披露する場を用意したり、皆んな楽しく活動しています。


 あっ、そうそう、プライベートでは彼氏ができました。もちろん播州織に理解のある地元の方です。おじいちゃんやお父さんみたいな人だったらいいなぁとは思いますが、そうなるかはまだわかりません。まだ親には言っていないので、わかったときどう思うだろう。亀さんやおばあちゃんはこのことは知っています。デート現場を見られてしまいましたから。でも両親に言わないようにお願いしています。東京に連れ帰られても困りますから。


 あっ、最近とても悲しいことがありました。それは梅之介さんの奥さんのしずさんが、亡くなられました。私がこちらに引っ越しをしてきてからも、たまに食事に呼んでもらったり、雨の音が酷い時は裕二さんが迎えにきてくれて、一人じゃ危ないからと泊まらせてくれたりしました。私の活動も温かく見守ってくださいました。ですので亡くなられた時には直ぐに駆けつけました。凄く感謝をしていました。おばあちゃんやお父さんにも直ぐに連絡し、皆んなで葬儀に参列しました。

 

 梅之介さんはとても辛そうでした。あの家に梅之介さん一人になったので、息子さん夫婦と暮らすことになりました。息子さんたちが梅之介さんの家の離れに引っ越してきたようです。そして機織りの機械ですが、私が使わせてもらっています。しずさんが織っていた機織りの音を思い出して、私が織るときにうまく織れているかの基準にしています。


 お母さんの里のおじいちゃんおばあちゃんも亡くなりました。紘耶おじいちゃんが亡くなった後くらいに続けて病気で亡くなってしまったので、お父さんがずっとお母さんに寄り添っていました。鶴おばあちゃんも若い頃からの付き合いだったので凄く悲しんでいました。絹おばあちゃんも梅之介さんの工場で働いていたんだなぁと今更ながらに感じていました。


 裕二さんの工場は今でもアメリカの叔父さんの奥さんの会社と提携をしています。クリスチーナさんがお母さんからビジネスを受け継いだようです。お母さんはお仕事を引退されたようなので。


 今度アメリカに住む従姉妹のステファニーが私たちの住む町にやってきます。それでね、亀さんの家にホームステイして播州織を学ぶらしいです。小さい頃から彼女もアメリカのおばあちゃんの影響で、播州織に触れてきたのでどうしても学びたいと言って、鶴おばあちゃんに相談したようです。まさか自分の孫二人が播州織に興味を持ってくれるとは思っていなかったと思いますが、亀さんと話す機会が増えるので、嬉しいみたいです。


 亀さんも、自分の孫は外に出てしまって寂しいけれど、姉の孫が頼りにしてくれるので、頑張らないとと生き生きとしています。




 そして私が西脇に住み始めて十年が経ちました。元号も昭和から平成、そして令和になりました。私は今も西脇に住んでいます。変わったことと言えば、私の苗字が変わりました。お付き合いしていた彼と結婚しました。そして子供も二人います。


 最近困ったことが起きてしまいました。私は相変わらず播州織の仕事をしているのですが、たまにですが、私が意図せずに織り上げたものが変わっている時があるのです。何故かはわかりませんでした。一緒に今仕事をしているステファニーにも相談しましたが、どう考えても理由がわからないのです。


 デザインが違ったものは、改めて織りなすことになったりしますので、大変困っていました。機械にセットするデザインも、時折変わっていました。ただそれはそれでいい時もあるのですが、解決策が全く見出せないでいました。


 それで久しぶりに亀さんに相談することにしました。

亀さんはもう織ることは無くなりましたが、相談役として私たちを今も見守ってくれているのです。


 亀さんは今日は子供達はどうしたんだいと聞いてきましたので、保育所に行っていますよって言いました。そうかといって寂しそうな顔をしていました。いつも子供達は亀ちゃん亀ちゃんお話ししてって、亀さんのところに行くと必ず亀さんが座る横にピッタリとくっ付きます。亀さんも今日はどんなお話ししようかねぇと言いながら、おとぎ話や野菜の育て方とかをしてくれています。ですので我が家の庭では野菜を育てています。子供が亀さんに教わったことを実践しているんです。もちろん育った野菜は、亀さんにもおすそ分けしています。


 そして、最近の出来事を亀さんに相談しました。すると、香織がデザインしている時は、子供達はどうしてるんだいと言われました。そばで塗り絵をしてますよと答えると、子供をそのままにして席を外してしまったことないかいと言われその時に、ハッとしました。その私の表情を見て、子供達が保育所から帰ってきたときに、私から聞いてみようね。香織からだとただ怒るだけになって、子供達も何が悪いかわからないだろ。そう言われました。最近私は仕事に没頭するあまり、子供達のことをみていなかったのかもしれません。そして怒りっぽくなっていたのかも。私は言われて反省をしました。


 子供を迎えに行き、帰りに亀さんに会いに行くよと言うと、子供達は喜んでいました。そして、亀さんからちょっとお話しあるんだけど聞いてくれるかいと言って、子供達に話をしてくれました。


「最近雨が降って外で遊べなかったりするやろ?そういう時、どんな遊びしてる?」

「えっとね、ぬりえしてるよ。たまにね、お母さん大変そうだから、手伝ってあげるの。」

「どんな風に手伝うの?」

「お母さんも何かね、僕が塗り絵してる横で黒く塗ったりしてるから、内緒で代わりに塗ってあげるんだ。」

「そうか、お手伝いしてるんやなぁ。お手伝いすることはええことや。でもな、お母さんが色塗ったりするのはな、順番があるんやで。それは知ってるか?」

「ううん、しらない。」

「塗る順番はな、ママしか知らんからな。折角塗ってもな、お伝いになってないんや。」

「そうなん?」

「そうなんや、でもなお母さんが喜ぶお手伝いがあるで。」

「喜ぶお手伝い?」

「そうや。」

「朝起きたら服に着替えるやろ?着替えたパジャマはどうしてる?」

「ママが洗濯機に入れにいってる。」

「それできたらお手伝いやなぁ。」

「うん。」

「みんなご飯食べるやろ?食べたあとはどうしてる?」

「ママがキッチンに持って行く。」

「それ持っていってあげたらお手伝いやなぁ。後、遊んだとき、お片付けしなさいって言われてできてるかなぁ?」

「できてない。」

「それはあかんなぁ。今な亀さんが自分で出来そうなことお話ししたやろ?それできたらママ喜ぶで。どうや?」

「やってみる。」

その言葉を子供達が言うと、亀さんに偉い偉いと頭を撫でられていました。

そしてこの日は亀さんと一緒に晩御飯を食べました。


 この日のことをステファニーに報告すると、解決してよかったと笑っていました。


 私たちの子供達が成長し大人になった時、今私やステファニーが受け継いだ播州織が、どのように変化するのだろう。私たちがそうしたように…。楽しみです。


 



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鶴と亀 渡邉 一代 @neitam

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