第36話 赤朱空拳と丁丁発棘

「……なるほど。俺は神山唯人かみやまゆいと。援護頼むぞ、ミョウギの解放者」


 神山かみやまと名乗った男は、そう言って赤いケモノにとびかかる。

 同時に白いケモノも加勢し、一対二の構図を作る。

 百合香ゆりか神山かみやま陣営に向かい左腕を伸ばす。

 相変わらずかいには見向きもせず、神山かみやまの意図を悟りつつもかいはその現実にいら立つ。


百合香ゆりか!! 俺はここだ! 俺を見ろーっ!!」


 ここから広がって見えるだろう関東平野に届けとばかりにかいは叫ぶ。

 彼女の注意を逸らし、まず赤いケモノを倒す。

 そんな神山かみやまの指示より、ただ単純に、かい百合香ゆりかに自分を見てもらいたかった。


 今朝、別れたばかりなのに、まだ数時間しか経っていないのに、会ったら謝りたいことがたくさんあって、だからどうしても会いたかったのに。


「なんでお前は俺を見ないんだ!」


 (まるで道化なのか、俺ばかりがお前を求めていたのか?)

 (お前はなんでこんなところにいて、こんな男と戦ってる?)

 (なんでナベワリの赤い魔獣と共闘してる?)

 

「俺を見ろ! 百合香ゆりか!!」


 かいは走る。

 百合香ゆりかまで十メートルもない。

 神具であるブーツなら、その距離は一瞬で縮まるはずだ。


 だが、百合香ゆりかが無造作に振った腕から炎の豪流が生まれかいを襲う。

 しかも、百合香ゆりかの視線は未だ神山かみやまたちを追ったままだ。

 脅威ですらない羽虫を払いのけるように、それでもその力はかいの全身を灼く。


 耐火コートがボロボロに炭化し、辛うじて隊服の防御機能が上回るが、激しい熱は露出した素肌を棘のように刺す。


 脅威として認めさせ、囮になるどころか、足手まといにしかならない。

 かいは今一度距離を取り、これまでの道のりで理解した隊服の自己回復を待つ。


 二頭と二人の戦いは続いている。

 神山かみやま側が押されているのは最初の頃と変わらない。

 そのバランスを崩すには、かいの存在が不可欠だった。


 そう、かいの武具が不可欠だった。

 だが、かいの武具は攻撃するものだ。

 赤い魔獣と対峙するならまだしも、百合香ゆりかに対してその力を行使できない。

 彼女の放つ赤い炎とかいの武具は、矛と矛のぶつかり合いに他ならない。


 それは、彼女と命のやり取りをするということ。


 かいが迷う中、状況が変化する。

 これまで辛うじて拮抗していたバランスが崩れる。

 白いケモノが大きく吹き飛ばされる。

 ケモノはその途中、空中で姿が変わった。


(女の子?)


 かいの瞳は、吹き飛ばされる女の子をふわりと捕まえて飛び退る神山かみやまの姿を映した。


神山かみやまさん!」


 消耗を回復するとばかりに、百合香ゆりかと赤いケモノも追撃はせず、戦場に静寂が訪れる。


「まいったな。他にもプランがないこともないが、無理するメリットがない」

「その子は、魔獣なんですか? 大丈夫なんですか?」

「君も、この子を心配してくれるのか? 二人そろって、お人好しなんだな」


 神山かみやまかいの言葉に少し驚き、それからこの場にそぐわない、人好きのする笑顔を浮かべた。


百合香ゆりかも、その子を知って?」

「こいつが山核の外で遊んでいて、見つかって、山核に逃げるのを彼女が心配して追いかけたんだ。ご丁寧に山核の中までな。そこで魔獣に襲われ、俺が助けた。大氾濫が始まりそうだったんでな、俺のセーフハウスで休ませて、氾濫に合わせここまで同行させた。そしたら、ああなった」

「あなたの目的は?」

「氾濫に合わせてナベワリの山核を狙ったんだがな、最後の最後で、保護した少女が魔獣と共闘なんて、俺も焼きが回ったかな」

「あなたも、魔獣と共闘してるのに?」

「使役の仕組みが違うだろ? 俺は一応人間側の人間だぞ?」

百合香ゆりかも人間です!」

「今は山核側だ。現実を見ろ」

「どうすれば……」

「ヨーコがこんな状態なんで、俺は降りるよ」

「そんな!」

「あのな、俺がやってもいいが、その場合あの子の命の保証はできない。魔獣として処理するってことなんだぞ?」

「手を貸してはもらえないんですか?」

「言っておくが、立場が違う。俺はその気になれば君もあの子も倒し、山核だって手に入れられる。それをしないのは、二人ともヨーコを案じてくれたからだ。だから俺は手を引く。あとはお前さんの仕事だ。救助隊なんだろ? ミョウギの解放者」

「あなたはなんでそれを知ってるんです?」

「さあな。三年以上も山核に関わってると、いろんな情報が入ってくるのさ」


 神山かみやまはそう言って、ヨーコを抱えなおしかいに背を向ける。


神山かみやまさん!」

「一つ助言だ。お前さんの武具なら、あの魔獣を倒し、彼女の技能も無効化できるかもな。ただ、それ以上はお前と彼女の絆次第だ」


 神山かみやまかいが登ってきた登山道へ歩く。


「それなら、一つお願いがあります。その先に俺の上司がいます。一人で戦ってます。その人を助けてやってください」

「……分かった。無理やりにでも緊急下山させておこう」


 神山かみやまはそう言い残して振り返らずに歩き去って行った。


 かいは改めて百合香ゆりかと魔獣に向き直る。

 彼女はじっとこちらを見ていたが、それはかいを見ているわけじゃない。

 一定の距離を侵害すれば迎撃する。

 そんな意思を湛えた目だ。

 赤い狼は百合香ゆりかの傍らにじっとしている。

 それはずっと昔から主に従う下僕のような佇まいに見えた。


「やっと二人きりになったな。もういいかげん帰ろうぜ。みんな心配してる」


 かいの声は届かない。

 百合香ゆりかの周囲に広がる赤熱した壁は、辿り着く言葉すらも燃やしてしまっているのだろうか。

 かいは一歩進む。

 距離は二十メートルほどか。

 目を凝らすと、百合香ゆりかの後方にナベワリの山頂標がうっすらと見えた。

 そこにナベワリの山核がある。

 百合香ゆりかと赤い狼を倒さなくても、山核を手に入れれば事態は解決するだろうか。

 だが、解放を望んだ時、魔獣はどうなった?

 ミョウギでは一瞬で山核化が解け、魔獣も魔樹も消え去った。

 今の百合香ゆりかがどんな状態か分からないまま、それを選んでいいのか。

 もし、彼女が魔獣に取り込まれているのだとしたら、ナベワリの守護魔獣として登録でもされているのなら、それは彼女を失う可能性を孕む。


(ならば)


 かいの選択は一つだ。

 赤い狼を倒し、百合香ゆりかを元に戻す。

 どうやればいいかなんて分からない。

 それでも、神山かみやまはアドバイスをくれた。

 かいの武具なら、この局面を打開できるかもしれないと。


「顕現せよ、丁丁発棘ちょうちょうはっし


 両腕の痣に触れると、金色の腕輪が淡く光る。

 かいの両手に、慣れ親しんだ武具の重さが馴染む。


 瞬間、脅威度の判定が行われたのか、赤い狼が音もなく跳躍してくる。

 溢れんばかりの高熱の空気を纏って。

 かいは両手を揃え武具で迎撃する。

 質量だけじゃない、熱も炎も受け止められなければ、かいの戦いはそこで終わる。


 両腕の武具から広がった金色の力場が、熱と蒸気と炎を飛散させ、狼の爪を受ける。

 同時に力を解放し、狼を大きく吹き飛ばす。

 空中で姿勢を整えた狼が、百合香ゆりかの隣へ音もなく着地する。

 

(次は、同時に来る!)


 かいの予感通りに、再び狼の突撃と同時に、赤い光条がまっすぐに届く。

 武具を平行に並べ力を放って迎え撃つ。

 百合香ゆりかの放った熱線は、かいの武具の守りを抜けなかったが、態勢は崩す。

 そこに狼の咆哮。大きく開いた口の中には鋭い歯が並んでいる。

 それは捕食のためじゃない、相手を滅するためだけの牙だ。


 丁丁発棘ちょうちょうはっしで横っ面を張り倒し防ごうとするが、かいの力では赤狼の勢いを止められない。


「なにくそっ!」


 かいは崩したバランスとブーツの性能を利用する。

 左足で大地を捉え、伸ばした右足を魔獣の下顎に突き入れる。

 だらしなく開いた顎を閉ざしながら、その反力を使い後方に飛ぶ。


 かいの着地点に熱線が届き、地面を抉る。

 ブーツのアシストにより転倒は避けられたが、また距離が開く。


「ずいぶんといいコンビだな」


 かいは思わず苦笑をこぼす。


 中距離攻撃の百合香ゆりかと、前衛の赤狼。

 それまでも神山かみやまが手こずっていた相手を、かい一人でどうやって打開できるのか。

 

 いや、神山かみやまは、おそらく本気なんか出していなかった。

 彼は、言わずと知れた例の男だろう。

 山核を解放したタイミングはかいと同じだが、逃げていたかいと違って、その力を誇示したまま、三年以上に渡り山核と関わってきた男だ。

 だとすれば、彼は百合香ゆりかを殺めたくなかったから本気を出せなかった?


 神山かみやまはなんと言ったか。


『お前と彼女の絆次第だ』


 ならば、かいが向き合う相手は赤い狼じゃない。



=========


 神山と共闘する開に、百合香は反応を示さない。

 そんな中、ヨーコが倒れる。神山は途端に興味をなくし、後始末を開に託し山頂を去って行く。開は武具を顕現させ先に魔獣と対峙するが、向き合うのは百合香であると悟る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る