第13話 初めての訓練

 県道33号線から支道に入り数分、救助隊第五隊のミニバンは双子山登山口前の駐車場に到着した。

 傍らにはプレハブの事務所があり、中からクリーム色の隊服を着た目つきの鋭い男が二人現れる。各山の登山口に常駐するハルナ山核本隊の隊員だ。

 違法入山者の監視と氾濫を警戒する役目を二十四時間交代で担っている。


 先に車から降りた副長が彼らに対応する。


「ここが、登山口?」


 車から降りたかいは、周囲の雰囲気に飲まれながら小さな声を出す。


「いや、車はここまで。ここから少し登ると広場があってな、登山口はそこにある。行くぞ」


 所属と人員、訓練内容を記録した副長が戻り、隊長の号令で歩き出す。

 駐車場の脇に大きな案内板があった。

 ずっと昔からある、まだ山核に支配されていない頃のものだ。

 そこには『ハルナ森林公園登山道マップ』と表記があった。

 双子山に向かう登山道や、風穴や東屋らしき案内を見ることができたが、これを頼りに登山に臨む人はいない。


 隊長を先頭にアスファルトの先、土の斜面を百メートルほど歩くと、大きな岩があり、周辺に老朽化した木製のベンチが点在する広場に辿り着く。

 その先の風景は、なんと表現するのが妥当なのだろう。

 よく言われる表現として、透明な表面に、ところどころ虹色が輝く姿から、シャボン玉の膜に覆われてるようだといった感想が多い。

 ただその膜は触れても壊れる訳ではなく、侵入者はほんのわずかな抵抗の様なものを感じるだけで、その境界を簡単に越えることができる。

 そしてその先は、人の世の条理が通用しない、山核に支配された空間だ。


「双子山の正式な登山口がここ。それがこの山の石板。えっと、現在カード持ちの入山者はいないな。そして、ここから先が山核だ」


 隊長は幅50センチ、全長一メートルほどの艶なしの黒板を確認しながら新人二人に説明する。


「入山者がいると石板に表示が出るんですか?」という百合香ゆりかの疑問に

宗太そうた、入山」と隊長が促す。

望月宗太もちづきそうた入ります」


 宗太そうたが何の気負いもなく歩いて膜を越えると、彼の姿が薄くなったように見える。

 同時に石板上に白い文字で『SOUTA・M 14:08』と表記が現れた。

 宗太そうたは入山した場所からこちらを振り向きにこやかに手を振っている。


「名前と入山時間だ。ちなみに中で死ぬとこの表示が灰色になる。死体は死んで三日で跡形もなく消えてなくなり、この表示も消える」


 かい百合香ゆりかも知識としては知っていることばかりだが、こうして初めて現物を見て説明を受けると嫌でも緊張が高まる。


「なんで、消滅するんですかね」

「魔獣や魔樹だって倒すと消えるぞ。偉い人はとりあえず魔素ってやつのせいにしてるけどな。山核内の構成要素は全部魔素でできていて、我々もそいつに還元されるって話だ。装備も何も一切合財消滅するから大事なモノは持ち込まないように。あ、カードと……かだけは消えないんだけどな」


 隊長は言いよどむ中、二人は自分たちが消滅するところを想像しているのか、神妙な顔で思案を続けていた。


「よし、それじゃあ訓練を開始する。宗太そうた、戻れ」と隊長は宗太そうたを手招きし、彼もするりと山核エリアからこちらへ戻る。

 隊長の前、自然に五人が並び指示を待つ。


「定例の訓練だ。入山し、ワシノ風穴まで横移動し、旧登山道三合目まで。所要時間は片道一時間ほど。下山は16時半を目安にする」

「はい!」と新人以外の返事。「は、はい!」遅れて二人も返事をする。


「でだ。二人はここから駐車場までの斜面を、そうだな、駆け足で三十往復しておいてもらおうか。それとな、17時を過ぎて俺たちが戻らない場合か、全員の名前が灰色になったら、さっきの詰所に報告してくれ。報告したら宿舎に帰って別命あるまで待機」


 隊長は感情の変化もなくあっさりと告げるが、自分たちが全滅するという仮定はあまりにも現実感に乏しく、かい百合香ゆりかもどう反応していいか分からない。


「二人とも、分かった?」副長が心配そうに二人の顔を覗き込む。

「は、はい。えっと、俺たちやっぱり山には……」

「入れるわけないでしょ」


 かいの疑問が言い終わる前に、祥子しょうこが呆れたように答える。


「僕らはここまで来るのに二か月かかってるからね」

「そういうことだ。俺たちの帰りを待つ、見届けるってのも大事な仕事だぞ」


 宗太そうたと隊長の苦笑に、かいはなんとなく楽観視していた自分自身の考えが恥ずかしくなる。

 カードがなくても、山核内に入れるんじゃないかと。

 これまでの説明で、カードを簡単に持たせない方針は分かった。その上で安全に配慮したかたちで入れてもらえると思っていた。


「安心して、中に入らなければ魔獣に襲われない。ハルナエリアでは氾濫しないから大丈夫よ」


 残念に思う気持ちを、放っておかれる不安と思われたのか、副長は明るい声で言ってくれた。そんなことは、心配どころか想像すらしなかったかいは、身を案じてくれる副長に感謝の意を込めて会釈を返す。



「それにしても、みんな何も持たずに入ったけど、そんなもんなのかな?」


 四人が入山し、石板に四人の名前が白く表示され、彼らの姿が木々の奥に消えるまで見送った二人が指示された訓練を開始する。

 百合香ゆりかがそんな問いかけをしたのは、十往復して休憩に入ってからだ。


「拡張バッグなんじゃない?」


 揃いの紺の隊服に、揃いの黒い軽リュックは容量が20リットルほどに見えたが、少し前に異常なバッグを目の当たりにしていたかいはそんな理解をしていた。


「そっか。なるほど」

「……百合香ゆりかはさ、残念じゃない?」

「入れないこと? んー、残念だけど、ここまで来た以上、焦ってもしょうがないのかなと。かいは、残念なの?」


 百合香ゆりかの言葉に、かいは自分の心に渦巻くもどかしさが、焦りと言う感情にあると改めて気付かされる。

 それと、機会。

 すぐそこに、いろいろな奇跡を手に入れられる場所がある。


「残念、か。そうなのかも」

「でも、当たり前の話なんだけど、隊長たちも危険と隣り合わせなんだよね」


 彼らは訓練と言ったが、その場所は人類にとって治外法権の異界。だからこそ、全滅した時の行動について言及があったのだ、とかいはあらためて思い至る。

 

「俺たちってセイバーで、それでさ、一人前なんだよな。それなのに助けに行けない、同じ仲間を助けられないって、情けないよな」

「たぶんさ、それって危ない考えだと思うよ」百合香ゆりかたしなめるように返す。

「危ない?」

「セイバーイコール要救助者を助ける人って考え」

「え? だって俺たち救助隊だろ?」

かいはさ、私が足をくじいて歩けないってなったらどうする?」

「そりゃあ、承諾を得て、おんぶするよ」

「じゃあ、私と湯狩ゆがりさんの二人が足をくじいてたら?」

「えっと、状況に応じてとしか……」

「すぐそこに魔獣が迫っていて、どちらか一人しか救えない場合は?」


 百合香ゆりかの静かな声にかいは、背中の重み、ベトついて滑る血液、限界を越えた足腰の痛みを思い出す。



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・山核内訓練に新人二人は同行させてもらえず山核の外で訓練を行う。開はその状況に焦り、百合香が救助の心得を諭す。開には負傷者に関与した過去があるらしい。

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