第10話 入山許可証

 かい百合香ゆりかは唖然としたまま隊長がバッグから引っ張り出す品々を眺め続けていた。


「え? ちょ、二重底? でもそんなに入る場所なんてなかった!」


 自分で運んできたバッグだからこそ、その形状や重量は知っていた。にも関わらず、その状況からありえないほどの物品が取り出され、百合香ゆりかは若干の恐慌に陥る。

 彼女の取り乱す姿を見て、かいは少しだけ冷静になれた。


(あの二人の技能ってのは、百合香ゆりかでも聞かされてないってことか)


 恐らくは、ゲームや創作の世界で見るような、容量が拡張された収納袋ってことなのだろうとかいは想像する。

 空間拡張と重量軽減なのか、どこか別の置き場につながっているのかは分からない。


「拡張バッグ、ですか」

「さすが、若いと理解が早いのね」

「私はいまだに理解してないけど」

祥子しょうこの場合、理解したくないんだろ?」

「自分がコントロールできない事象は嫌なのよー、判断に迷うでしょー?」


 開の言葉に真鍋まなべ副長、祥子しょうこ宗太そうたが反応する。


「拡張、バッグ?」百合香ゆりかかいに説明を求める顔を向ける。

「知らない? ファンタジー系の物語でも、四次元につながるポケットでもいいんだけど、たくさん入るバッグのこと」

「えっと、意味はなんとなく分かるけど、頭が納得しようとしない……」


 百合香ゆりかが頭を抱える。

 山核発生などという理不尽な現象が発生した現代に於いて、現実主義を貫こうとする気持ちも分からなくもないと、かいは頷く。

 

(現実離れした出来事が多いから、現実にしがみついていたいんだろうな)


裾野すその、こんなことで驚いてたり現実逃避してたらセイバーとしてやっていけんぞ?  つーか卓磨あいつは心構え以前に自分たちのやってることを姪っ子に説明するべきだな」


 隊長はバッグから出した物品をテーブルの上に並べ終え、やれやれと笑う。


「えっと、真理まりちゃんと卓磨たくまさんが何かをいろいろ創ってるってことは聞いていましたけど、それは主に登山に関する道具だと思っていたんです。登山靴とかトレッキングポールとか」

「登山に荷物問題は不可欠だろ?」

「普通は、どのくらい入るリュックを選ぶとか、収納性、背負った時のバランスなんかを考えるものでは? それが拡張って……」

「とりあえずこれまでの常識は捨てておいてね。驚くことは多いけど、私たちだって毎日驚くことの連続なのよ」


 隊長と百合香ゆりかの会話に真鍋まなべ副長が困り顔で介入する。


「そーそー。こんなの序の口。山核に入ればもっと理不尽なことがいっぱいだから」


 祥子しょうこが上から目線で百合香ゆりかに告げる。


「分かりました。一生懸命現実を受け入れます!」

「あんまり意気込まないほうがいいよ。そんなもんか、って感じに流すのが正解だよ」


 百合香ゆりかが思いつめた顔で両手をグッと握り、宗太そうたが苦笑で戒める。


「おっと、もう午後の訓練時間だな。二人にはさっそくこれらに着替えてもらおうか」


 隊長は並べてあった紺色のツナギの様な衣類をかい百合香ゆりかに渡す。

 渡された衣類の胸元には、救助隊の隊章とそれぞれ『山際やまぎわ』『裾野すその』の名前が刺繍されていた。


「ブーツはこれな。インナーは寒さとか気にしなくていい。自室で着替えて10分後に集合だ。トイレも済ませて来いよ」


 現在履いているハイカットのブーツよりもソールの凹凸が目立つ、こちらも隊章とネームプレート付のトレッキングブーツも渡され、二人は気持ちを引き締めながら動作を開始する。

 隊長の言う訓練がどういうものかまだ分からないが、卓磨たくまが創った特別な装備を身に着けるということは、本格的な訓練を始めるということなのだろう。

 そして、それは山核救助隊として山核に関わるということ。

 二人は競うように自室に走りながら、少しだけ高揚した顔でお互いに視線を絡ませる。



 慌ただしく用を済ませ、初々しい隊服で身を固めた二人が食堂に戻ると、他の四人も紺色のツナギという同じ隊服で待機していた。

 それまで四人とも、かい百合香ゆりかと同じカーキ色の上下に分かれた制服を着ていたのに、さすが先輩方は着替えも早い、とかいは感心する。

 百合香ゆりかは更に、誰の前でも躊躇なく着替えることが求められるのか、と戦慄する。


(私もかいの前で着替える日がくるのかな)


 隊服は軽く暖かで、防寒用のインナースーツは必要なかった。よって隊服の中身はほぼ下着のみの百合香ゆりかはそんな想像に顔を赤くする。羞恥を簡単に捨てるほどの覚悟はまだ持てていない。


「よし行くぞ!」


 言いながら歩き出した隊長に続き、食堂を出て出入り口横の事務所に「午後の訓練に出動します」と声かけする副長の声を聞きながら、かいは前を歩く宗太そうたに尋ねる。


「どこに行くんですか?」

「ん? 午後の訓練だよ?」

「あ、いや、それは分かってるんですが」

「考えるな、あるがままに!」


 当たり前すぎる返答に困惑するかいに、祥子しょうこが鋭い顔を向ける。

 駐車場にある黒いミニバンの運転席に宗太そうたが乗り込み、助手席に祥子しょうこ、後部スライドドアから中列に隊長と副長。かい百合香ゆりかは二人の間を通り後席へ腰を下ろす。


「全員で移動する場合、しばらくはこの配置になる。二か月くらいで前席と後席を入れ替えるから、ちゃんと道を覚えておくように」


 隊長がシートベルトを締めながら後席に指示を出し、二人は緊張声で「はい!」と返す。


「緊張しなくて大丈夫よ。緊急時は警察車両なんかよりも優先されるから」


 三隊の使用車両は、道路交通法ではなく、山核法が優先されるんだっけ? と、かいは勉強してきた法令を思い出す。

 山核法と言ってもその多くは『氾濫の対処は他のあらゆる法令・規則に優先される』という程度で、解釈の幅が広すぎるザル法などと呼ばれていた。


 車はゆっくりと発進し、ハルナレイクを周回する片側二車線を左回り、ハルナフジに向かう。


「まず本部に行って訓練開始の報告を行う。それから双子山に向かう」


 隊長は体を前に向けたまま、首を捻って後席に告げる。


「本部……あ、あの、それって入山許可証を取得するってことですか?」


 かいは、はやる心を抑えつつ質問を投げる。


「あー、その辺は見学させるけど、お前らがカードを得るのはまだ先だ」


 少しだけ言い辛そうな隊長の声に、隊としての思惑があることを感じたものの、やはりすぐに入山許可証カードが得られない事実に、かいは落胆する。


「理由を聞かせてもらってもいいでしょうか」


 百合香ゆりかが小さく手を上げて隊長に尋ねる。


「入山許可証について知ってることを話してみろ」

「はい。山核に入るために作られたシステムの一部で、所持している人がどの山に入山しているか、各山の登山口にある石板に表示されます。またカードには、名前、パーティメンバー、魔獣の討伐記録が表示されます。それと、一日に一回のみ、山核内から登山口に脱出することができます」


 百合香ゆりかは淀みなく答える。


「結構結構。ま、他にも公言されてない機能もあるんだけどな。で、だ。ウチが若い奴らにカードを持たせない理由が分かるか?」


 かい百合香ゆりかも隊長の続く言葉を待つ。


「簡単に言えば、命の価値を知るためだ」



=========


・卓磨から託されたバッグは拡張バッグで、中には新人二人の隊服やトレッキングブーツが入っていた。新人二人もその装備に着替え、双子隊の五人は訓練に出発した。

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