第3話 ハルナレイクタウン

 かい百合香ゆりかは双子隊の宿舎を出て、隣接する駐車場に歩く。

 目の前に広がるハルナレイクの湖面が、四月の肌寒い風にさざ波を立てていた。

 天気は上々。かいは湖畔から見上げるハルナフジと、周辺の八峰をぐるりと見回す。新緑にはまだ早く、ぼんやりとした緑色に染まる山肌は、そこがであることを忘れてしまうほど穏やかに見えていた。


「どうしたの?」


 じっと山々を眺めていたかい百合香ゆりかが声をかける。


「いや、ここが標高1100メートルの位置にあることを不思議に思ってさ」

「なんでここだけってこと? ここから上が山核に支配されているのは事実でしょ?」

「それでもさ、平地でもないのに、なんで世界中でここだけ山核化してなく、氾濫もしないんだろう? お使いに行くイカオ温泉だって平地以外で生き残ってる唯一の温泉街なんだよね?」


 隊長に頼まれたお使い。

 ハルナレイクから車で10分ほど下った先にある温泉街にある指定された場所に行き、依頼品を引き取って来るというのが二人に課せられた初仕事だ。


「氾濫しない理由は分からないけど、そのおかげでこの辺りが繁栄してるのも事実だし、私たちみたいな組織が訓練できるんだから、感謝しなくちゃ」

「感謝……ね」


 かいは苦笑しながら隊が保有する軽四輪のドアロックを解除する。


「運転、ありがと。山道って慣れてなくて」


 運転席に乗り込むかいに、百合香ゆりかが助手席に乗り込みながら恥ずかしそうに呟く。


「大丈夫だよ。この辺はずっと走り周ってたから」

「そうなの?」

「隊の車は初めてだけど、免許取ってから自分の車でさ。隊員特権がなきゃ山道を走るなんてできないからね」


 山核発生から、人類は山を失った。

 厳密には、標高1000メートル越えの山頂を有する山全体が、山核による支配を受け異界化していた。

 平地から少し登っただけで、外から見る景色が変化し植生や空気が変わる。

 そして魔素を浴びて変質した魔獣や魔樹によって、人々は山を構成する一合目にすら辿り着けなかった。

 このハルナエリアを除いて。


 かいは始動前点検を済ませエンジンをかけ、同乗者がいることもあり、いつも以上に静かな運転で宿舎を離れる。

 そのままレイクタウンから下界につながる唯一の県道を進む。

 一般車両が乗り入れられないとはいえ、利用する関係者の車両は多く、交通量自体は少なくない。

 

 ハルナエリアそのものは直径一キロほどの丸い盆地で、その中に直径500メートルほどのハルナフジが東部に位置し、残りの三日月のような形がハルナレイクという湖だ。

 その周辺には関係省庁の出先機関、病院や宿泊施設、滞在者用の歓楽街、飲食店やショッピングセンターなどが所狭しと賑わっている。

 山核発生前は、湖上でのボート遊びをする人や釣り客がいるくらいの、ひっそりとした避暑地だったが、今では一万人ほどが常駐する喧騒の街だった。

 公的に認められた入山者が多く、怪我人やいさかいも日常的に溢れ、殺伐とした雰囲気の住民も多かったが、一般市民が立ち入れないこともあり治安そのものは悪くなかった。


 ハルナ山核救助隊は、そんな窮屈なハルナレイクの周囲五か所に支隊がある。

 登頂隊と狩猟隊はレイクの東部、ハルナフジの麓に本部がまとまっているが、救助隊はその特性から、それぞれ担当する山があり、ハルナレイクの外周に沿って宿舎が設置されている。


山際やまぎわくんは昨日はどこに泊まったの?」

「昨日まではイカオ温泉のホテルに泊まってたんだ。今日からは宿舎だよ。裾野すそのさんは?」

「私は二日前から宿舎で生活してるよ」

「じゃあ隊のみんなとは面識があるんだね」

「顔を合わせただけで、みなさんほとんど出動してたみたいだけど」


 救助隊セイバーは、非番以外いつでも出動準備を求められている為、隊員の居住先は宿舎となる。

 事務員さんが控える事務所、食堂や会議室、訓練室、装備室といった共同施設の奥に居住部があり、風呂・トイレ・キッチン完備の1LDKが個々に割り当てられていた。

 百合香ゆりかは二日前に宿舎への引っ越しを済ませていたが、かいを見たのは今朝の顔合わせが初めてだったため、親交の切っ掛けにそんな質問をしていた。

 会話はスムーズで、同期の同僚が異性であると聞かされて不安に感じていたが、普通の少年であることにひとまずはホッとする。


 第五隊が担当するソーマ山と双子山を右手に、ガギュウ山を左手に、南東に延びる道を流れに任せて進み、ちょうどそれぞれの山をつなぐ、盆地から抜ける位置にある検問所を通過する。

 下る場合は車両に搭載されている識別信号だけで通過できるが、下から上る場合は停車し、一人一人IDの確認が必要になる。


裾野すそのさんは、なんでこの仕事を選んだの?」


 検問所を抜け、真っすぐな片側二車線を進みながらかいは問いかける。


「家族の影響、かな」

「家族?」

「うん。親戚の一人が山核に関わる仕事に就いていてね、その人が言うには救助隊がおススメって」

「そんな、何を食べるか決めるみたいに」


 思わず苦笑が零れる。

 かいにとって同期の同僚。それがこんな可愛らしい女性であることに驚いたばかりだが、志望動機も彼を驚かせるものだった。


(セイバーになりたいって人はたくさんいたけど、軽い動機の人もいるんだ)


山際やまぎわくんは? なんでこの仕事を?」

「んー、とりあえず他にやりたいこともなかったから、かな。それに山核で何かドロップ品でも手に入ればいいなって」


 かいの志望動機は明瞭な理由があり、山核に関わることだけを考えて生きてきた三年半だったが、それを表に出し過ぎるなと諭してくれた恩師のアドバイスに従い、軽い口調で答えておいた。


「ドロップ品? 職能や技能じゃなくって?」


 山核化したエリアに存在する魔獣や魔樹を倒すと、確実に落とす魔核以外に、低確率で道具や装備といったアイテムや、技能といった特殊な力を手に入れることがある。

 そして、本当にごくまれに“職能”という上位技能を手に入れることがあると言われている。

 それらの噂話は山核発生が起きた四年前の夏からあったが、統制や検閲によるものか、一般市民が得られる情報の中に真実として明らかにされたものはない。


「あーうん。ほら、回復薬とか治療薬とかさ、難病も治すとかって薬が高値で売れたって聞いたからさ」


 百合香ゆりかいぶかしむ。

 仮にもセイバーという職に就く人間が語る目標なのだろうか?

 これではドロップ品で一攫千金を狙う、入山資格もなく山に入る違法入山者と変わらない動機ではないか。

 ただ、流されそうになる判断を押しとどめる。

 百合香ゆりかの身近にもいろんな人がいた。

 山核を呪う人も、歓迎する人も、諦める人も、関係ないと現実逃避する人も。

 四年前の夏から始まった大変革は、平地の少ない日本に与える影響は大きすぎた。


 そして他でもない百合香自身が、ある意味で私怨と言われても仕方ない動機を抱えている。


『あなたのそれは復讐よ。それに取り込まれないで』


 そう笑ってくれた親戚の笑顔が浮かんでいた。



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・開と百合香は初仕事でイカオ温泉へお使いに行きながら、お互いの入隊動機を話し合った。

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