灰原はいくつもある似たような廊下の一つを歩きながら、牧田が言っていたロビーが一体どのロビーのことを指しているのかを必死に考えていた。

 かつては日本の空の玄関口の一つだったこの基地は敷地面積が驚くほど広い。

 今灰原がいる航空輸送隊の本部である第一ターミナルのほかに、上空補助課全体の総本部である第二ターミナルと隣接する第三ターミナルが少し離れたところにある。

 牧田の言い方的に、恐らく今いる第一ターミナルのロビーで正解なのだろうが、何せあの人のことだ。「ちょっと迎えに行ってくれるー?」なんて軽い言い方をしておきながら、実はとんでもないところまで行かされるパターンも容易に想像できるな、と灰原はため息をついた。


 これはもしや読みを外したか……?


 不安になりながら灰原が周りを見渡してみると、壁際に立つ人影が遠くの方に見えた。椅子なんていくらでもあるはずなのにわざわざそこから外れたところで、まるで誰かと待ち合わせをしているように壁に寄りかかっている。明らかに軍の関係者ではなさそうだ。

「あの……」と灰原が声をかけながら近づく。

「もしかして依頼人の方ですか……?」

 名前ぐらい牧田に聞いておけばよかったと今更ながら後悔する。まっすぐで長い黒髪に整った顔立ちの少女。黒縁眼鏡をかけていて、よく見ると白衣を着ていた。それに思っていた以上に若い。華奢で身長が灰原の肩くらいまでしかないからそう見えるのだろうか。

 特別任務と言うから、てっきりどこかのお偉いさんなのかと思っていたが、自分とそう歳が変わらなさそうな依頼人の登場に灰原は驚く。

「誰……?」

 灰原の方をじっと見て、眉間に皺を寄せながら少女が言う。目の奥をグッと覗き込まれる感じがして灰原はつい目を逸らす。

「上空防衛軍上空補助課F3隊所属の灰原二等空士と申します。こちらもお名前を伺ってもよろしいですか?」

 そもそも男だらけの職場で毎日過ごしている灰原は女性と話すことに全く慣れていない。しかも何故だか分からないが、対面早々いきなり睨まれている。

 そしてその睨み度合いは、灰原の言葉でさらに強くなる。

「は?知らないで来たの?」

 大事な任務なんだけど、君やる気あるの?と大きくため息をつかれる。

「優秀な人をってお願いしたのに、期待外れ」

 勝手に期待されて、勝手に失望される。

 なんだかさっきと同じような展開だな……と灰原も小さくため息をつく。

「申し訳ありません。上官にとりあえずお連れするようにとだけ言われたもので……」

 とりあえず謝った灰原に「ふーん」、とつまらなさそうな返事をする依頼人。

「まぁ、いいや。早く話を進めたいから連れてって」

 彼女の好き勝手な態度に少々苛つきながらも、「案内しますのでこちらへ……」と歩き出す灰原。

 どんな任務か知らないけど、いつもの何倍も面倒なことになりそうな、そんな予感がする。


 足取りがどんどん重くなっていく灰原とは対照的に後ろを歩く依頼人の足音は軽やかだった。

「ここって空港だったんでしょ?初めてたけどとてつもなく広いんだねー」

 キョロキョロとあたりを見渡しながら、「あ!これ本で見たことある!」とフラフラ歩き回る。

 先程までの偉そうな態度から一変、無邪気にはしゃぎ始める少女。

 しかも「迷子になりますよ」、と注意してあげた灰原に向かって、「うるさいなー。子供扱いしないでよ」と怒鳴ってくる始末。

 いや、俺たち初対面だよな……なんて思いながら灰原は実際に子供のように走り回る彼女を無視して廊下を進んでいく。

 それにしても……この人は一体何者なんだろう、と灰原は思う。

 パッと見は二十代前半……いや、十代後半くらいか?

 灰原とそこまで歳は離れてなさそうに見えるが、高校生くらいだと言われても正直納得できる。

 しかし、わざわざ上空防衛軍に特別任務を依頼したということは何かしらの要人なのだろうか。

 そもそもなぜ末端中の末端であるF3小隊に今回の依頼が回ってきたんだ?

 そこが灰原にとっては一番不思議だった。

 時代遅れと笑われるような機体に、軍とは思えないほどの低い戦闘力。荷物運びしか能がないこの隊に、俺に、一体何をさせる気なんだ。


 何かを運んで欲しいのか?それともーー


「……ちょっと!聞いてる?」

 頭の中でそんなことを考えながらボーっと歩いていると、横から彼女の大きな声が聞こえてきて、灰原はハッとする。

「ほんとしっかりしてよね。この任務は世界の命運がかかっているんだからもっと気を引き締めて取り掛かってもらわないと!」

 それとも……と彼女が続ける。

「やる気が無いなら私は別に他の人でもいいんですけどね。優秀な人なら誰でも。栄おじさんがわざわざ選んだ人だから、仕方なく明らかに弱そうな君でもまぁいいかなと思ったけど、やる気がないなら他の人にしてもらう」

 それが嫌だったらちゃんとやってください、と腰に手を当ててまるで母親のように灰原を叱る。

 それに対して、灰原は「宋おじさんって誰だよ……」なんて思いながら、相変わらず「はぁ……」と気のない返事を返す。

「もし不適任だと思うのでしたら、これから向かう部屋に私の上司がいるのでその人に言ってください。きっとなんとかしてくれます」

 淡々と答える灰原の覇気のなさに驚いたのか、隣を歩く彼女が歩みを止める。

「はぁ?別に変わってもいいって思ってるの?この任務をやりきる強い気持ちみたいなものはないわけ?」

「いや、そんなこと言われても……」

 灰原は詰め寄ってくる彼女から距離を取るために少し後ろにのけぞる。

「そもそもどんな任務なのかすら聞かされてないのに、そんな気持ちが起きるわけないじゃないですか」

 無茶言うなよ……と心の中で悪態をつく。

「とりあえず、文句があるなら全て上に言ってください。俺は命令に従うだけですから」

 灰原がそう言うと、彼女はつまらなさそうに「ふーん」と目を細める。

「上の命令に従うだけねー」

 なんかつまらなそうな仕事。

 そんなことを言う彼女を無視して、灰原は歩みを進めた。


 ***


「こちらです」

 長い廊下を進み、いくつかのエスカレーターを乗り換えて、ようやく二人は一つのドアの前にたどり着いた。道中あれだけはしゃいでいた藍崎も、目的地に近づくにつれて静かになっていき、どこか張り詰めた緊張感のようなものを漂わせている。

「失礼します」

「どうぞー」

 ノックして扉をあけると広い部屋の中央にぽつんと置いてあるソファーに牧田と高橋が座っていた。

「やぁ、いらっしゃい。灰原ちゃんも案内おつかれさま」

 待ってたよー、とニコニコしながら牧田が言う。

「二人ともこっちに来て座りなよ」

 手招きする牧田の方に灰原が向かおうとすると、後ろから「宋おじさん!」と少女が駆け出して行った。

「久しぶり!会いたかった!」

 牧田の腕の中に勢いよく飛び込む少女。

 さっきの不機嫌な様子と打って変わったあまりの変貌ぶりに灰原は目を見開いて立ち尽くす。牧田の隣に座っていた高橋も、少女の勢いに押されてソファの背もたれに大きくのけぞった。

 そんな灰原と高橋の戸惑いもおかまいなしに、少女と牧田は二人だけの世界で盛り上がり始める。

「僕も会いたかったよー!元気にしてたー?」

 腕の中の少女の頭を優しく撫でながら牧田は笑う。

「しばらく見ない間に大きくなったね」

 そんな牧田の言葉に気をよくしたのか、少女は

「でしょー!まだまだ大きくなるからねー」

 とさらに威張ってみせた。

 しばらく四十近いおっさんが十代くらいに見える少女の頭を撫で続けるという不思議な光景を見せられる灰原。痺れを切らした高橋も「おい、牧田。へらへらしてないで早く話を進めろ」と牧田を睨みながら冷たく言う。

「お前のロリコン趣味を見せつけるためだけに呼んだのなら帰るぞ」

「あー、ごめんごめん。ってかロリコン呼ばわりは心外だなー」

 ほら。ちゃんと座って、と言いながら牧田は腕の中で抱きついたままの少女を起こし、隣に座らせる。

「灰原ちゃんもそんな怖い顔しないでよー。ちゃんと紹介するから」

「……そうしてもらえると助かります」

 任務に対する不信感をさらに強めながら、灰原はゆっくりと三人が座るソファの向かい側に腰を下ろす。

「それで……。そちらのお嬢さんは一体誰なんですか」

 灰原が聞くと少女は白衣のポケットの中をごそごそと探し始め、名刺を取り出して灰原に渡す。

「平野研究所所属の藍崎晴あいさきはるです。以後しっかりとお見知りおきを」

 名前を知らなかったことを根に持っているのだろうか。

 やたらと一つ一つの言葉を強調しながら言う。藍崎の貼り付けたような笑顔が怖くて、灰原は恐る恐る名刺を受け取る。会って間もないが、彼女に相当嫌われているらしい。

「晴ちゃんはこう見えてすごい研究者なんだよー」

 牧田はそんな二人の険悪な空気感に気づくこともなく、呑気に話を続ける。

「年齢は灰原ちゃんとそう変わらないのに、研究所の責任者とかやってるし」

 優秀な子が多くておじさん困っちゃうなー、と笑う牧田。

「だからお前は話の腰を折るな!」そんな牧田を一蹴する高橋。

「早くあいつに任務の内容を教えてやれ」

 それもそうだね、と牧田がここでようやく灰原に封筒を渡した。

「特別任務」と大きな赤い字で書かれ、厳重に閉じられた封の中には任務の内容が書かれていると思われる書類が一枚。

 その一番上に書かれた文字は……。

「平野研究所所属、藍崎晴氏の護衛及び護送……?」

 灰原の戸惑いをよそに牧田は「うんうん」と呑気に頷く。

「そーそー。実はね、三日後に大事な研究発表の会見があるから当日まで晴ちゃんと一緒に行動して、彼女をサポートしてあげてほしいんだよね」

「サポートですか……?」

「うん。晴ちゃんは優秀だけど、やっぱりまだまだ一人じゃ大変だと思うんだよねー。灰原ちゃんは器用だし、仕事は真面目にこなすし、その上隊の中で操縦が一番うまいから超安全安心な運転手にもなれちゃう!そう考えたときに、僕の大事な晴ちゃんを任せられるのは君しかいないと思うんだよねー」

「ちょっと宋おじさん、子供扱いしないでよ!一人でも別に大丈夫だし!」

 牧田の言葉が気に食わなかったのか藍崎が反論する。

「それにさっきここに来るまでこの人と少し話したけど、任務に対してやる気が全く感じられなかった。そんな人と一緒に行動するくらいなら一人の方が絶対まし!」

「好き勝手言われてんな」と高橋がボソッとにやけながら言ってくるのに対して顔をしかめながら灰原は口を開く。

「そもそも、護衛と護送の任務なら俺みたいな戦闘経験のないやつじゃなくて他の隊の人の方がいいんじゃないですか?わざわざ特別任務にするということは彼女に何かしらの危険が降りかかる可能性があるってことですよね。だとしたらなおさら俺は牧田さんが言うような適任ではないです」

「うーん、そうかな?」

 牧田はわざとらしく首を捻りながら言う。

「確かにF3隊は戦闘要員ではないけれど、僕は灰原ちゃんならこの任務をやり切ってくれると思うけどなー」

「お前のそのよく分からない自信はどこから来るんだよ」

 高橋が呆れながら言うと、牧田は「まぁ、勘かな!」とはっきり言いきった。

「とにかく!僕は灰原ちゃんに晴ちゃんを任せたいと思ったから君を選んだんだよ。僕の代わりに晴ちゃんを頼んだよ」

 晴ちゃんも灰原ちゃんとケンカしないで仲良くね!と言う牧田に藍崎はあからさまに嫌な顔をする。それでも、よほど牧田のことを信頼しているのだろう。

「まぁ、宋おじさんがそこまで言うなら……」と藍崎は灰原をじっと見ながら、ゆっくりと手を差し出した。


「灰原凪、これから3日間よろしく」


 正直何が何だかよく分からない。

 自分がなぜこの任務に選ばれたのかも、どうして牧田がここまで自分を評価してくれているのかも謎のままだ。

 それに仲良くしろと言われても、お互い第一印象が最悪の今のままではうまくいく予感が全くしない。

 それでも牧田は満足そうにニコニコいつもの微笑みを浮かべてるし、高橋はニヤニヤとこのやり取りの行方を見てくるし、話の流れ的にも不服な表情で差し伸べてくる藍崎の手を受け入れる以外の選択肢は灰原には無かった。


「こ、こちらこそよろしくお願いします……」


 心の中でついたため息が外に漏れ出ていないか。

 むしろ漏れ出てくれないか。

 灰原は貼り付けたような笑顔でだんだんと握力を強めてくる藍崎を見ながらそう願った。

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フライ for フリーダム 針音水 るい @rui_harinezumi02

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