基地に着くと、同期の松井裕翔まついゆうと宮野流弥みやのりゅうやがニヤニヤしながら灰原の方を見ていた。

「お前は本当に牧田さんのお気に入りだな」

 松井が言うと宮野も笑いながらうんうんと頷く。

「絶対一番可愛がられてるよなー。ほんと羨ましいわー」

 一ミリも感情がこもっていないその言葉に灰原はイラっとする。

「もし本当にそうなのだとしたらお前らに喜んで変わってやるよ。そしたら俺は本来の休みをとりあげられることなく過ごせるから」

 松井は首を横にふり、灰原の肩に手を乗せた。

「無理無理、俺たちはパス」

「そもそも仮に申し出たとしても、牧田さんは絶対断るでしょ」

 緊急の特別任務なんだって?という宮野の問いに灰原が頷く。

「だとしたらなおさら灰原が選ばれるのは当然だよ。うちの隊で一番操縦うまいし、任務に文句も言わず、手を抜かずにしっかり取り組んでるし」

「この弱小隊で腐らず真面目に仕事してるんだからそりゃあ気に入られるわな。さすがはうちのエリート」


 弱小隊。


 灰原が属している上空補助課・航空輸送隊、通称F3隊は上空防衛軍の中でも末端中の末端で、主に各ポイントに浮いている浮遊基地へ戦闘隊用の武器や物資を運ぶのが役目だ。

 戦いとは一切無縁のいわば雑用係。

 人間が生身で自由に空を飛べるこの時代に、未だに化石燃料を使う燃費の悪い飛行機を使っているせいで、他の部署には時代遅れだと散々言われている。しかも単調な仕事内容のせいで陰で「デリバリー」だの「宅配便」だのと言われてバカにされている始末だ。

「そもそも旧式の手動式戦闘機なんて使う組織が今時どこにいるんだよって話だよな。利用者が年々減少してる格安大型旅客機だって最新型のAIが搭載されてるっていうのに」

「まぁ、あからさまな経費削減だよね。俺たちは別に日本上空を飛ぶだけだし、実際の戦闘に関わることはもちろん、見ることすらないから。正直防衛軍らしいことなんてなにもしてないよね」

「だとしても補助AIくらい搭載するべきだろ。安全面を考えたらさ」

「それはまじでそう。待遇の改善を求めまーす」

 愚痴を言い合っている松井と宮野を置いて灰原は牧田が待っているであろう指令室に向かう。もちろん灰原だって不満を持っていないわけではないが、文句を言っても仕事内容が変わるわけでも、評価が上がるわけではないと諦めている。

 そもそも彼はこの仕事に大して期待をしていない。

 もっと言えば昇進も昇給も望んでいない。

 ただパイロットとして自分で飛行機を操縦して空を飛ぶ。それだけで灰原にとっては十分なのだ。だから、松井と宮野が嘆いていた、AIが無搭載の旧型の飛行機は、灰原からしてみれば逆に好都合だった。AIは確かに優秀だが、優秀すぎて人間の操縦を必要としない。最短、最速で効率よく飛行を終えてしまう。寄り道もさせてくれない。そんなつまらない乗り物に乗りたくなかったから、灰原はわざわざF3隊を選んだのだ。


 指令室に入るといつも通り閑散としていて、十人程度しかいない事務職員の話し声とパソコンのキーボードを打つ音が聞こえてくる。

 広々とした窓からは、整備中の手動式戦闘機が綺麗に一列に並んでいるのが見えた。

 この基地は今は使われなくなった旧成田空港を再利用している。昔はここから国内外に向けて数々の旅客機が飛び立っていたようだが、今はこれほどまでに広い滑走路も、わざわざ空港に人が大勢集まって飛び立つ必要性もなくなったため使われなくなった。

 そこを上空防衛軍が買い取ったため、空港としての名残が数多く残っている。この指令室もかつては空港の管制塔だったらしい。

 灰原は姿が見えない牧田を探すため辺りを見渡していると、急に聞き覚えのない声がした。

「お前が灰原二等空士か?」

 声のする方を見ると、いかにも軍の偉い人が着るような軍装と帽子をかぶった大男が腕を組んで仁王立ちしていた。

「今回の特別任務に牧田が指名したという話を聞いたが」

 普段から荷物運びしかしていない弱小隊が軍らしい規律や行動にこだわっているわけがないのだが、明らかに目の前に立つこの男が軍そのものを体言したような人物だったため、灰原は慣れない敬礼をする。

「はい、そうです」

 敬礼があまりにも不格好だったのだろうか。

 男は灰原をじっくり値踏みするように睨みつける。

「ふーん、お前が牧田のお気に入りなんだな」

 ニヤリと笑いながら一歩、また一歩と近づいてくる。

 圧の強さと滲み出るなんとも言えないオーラをこの男から感じて、灰原は逆に彼から一歩ずつ下がっていく。

「なんですか……」

 灰原が眉間に皺を寄せながら言うと、男は

「ん?いやぁ、別に」

 と鼻で笑う。

「あの牧田がわざわざWINGSを抜けて、自ら荷物運びをやるって言った時には何か企んでるんじゃないかと思ったが、やっぱり弱小隊は弱小隊らしく弱っちくて大したことないな」

 男が指令室を見渡しながら言う。

「ここに来る前に基地を見て回ったが、どいつもこいつもやる気が無さすぎだろ。ヒョロヒョロで敵の襲撃があっても一瞬で全滅だな」

 どうせテトラの試験に落ちた奴が嫌々集まってできた隊なんだろうな、と吐き捨てるように言いながら、今度は灰原の方に目線を向ける。

「お前もどうせそうなんだろ?見るからに根暗そうだし、毎日なんとなく過ごせればそれでいいみたいな澄ました顔して。今の若いやつはみんなそうだ」

「いや……俺は別に……」

 反論をしようとする灰原の声を遮って、男は早口で続ける。

「そもそも牧田はこんなところにいていいやつじゃねぇんだよ。お前らみたいなやる気のない部下に縛られていいやつじゃねぇ」

「それは……」

 俺も思います……と灰原がぼそっと言う。

 灰原もずっとそう思っていた。

「へぇー」

 独り言のつもりだったが、どうやら男にも聴こえてしまったようだ。

 男の顔が一層灰原に近づく。

「お前にあいつの凄さが分かんのかよ」

 男は急に灰原の腕を掴み、上に持ち上げる。

「なんだよこの細い腕は。荷物運びしかやってないにせよ一応軍人だろー?もっと鍛えろよ」

「いや……俺は別に……」

 初対面のはずなのに威圧感たっぷりな態度で男に迫られ、灰原がじりじりと物理的にも精神的にも追い詰められていると、「はーい、そこまで!」と言う声と共に、灰原の体が急に後ろへグッと引っ張られた。

「もー!来て早々僕の隊員をいじめないでくれるー?」

 いつの間にか現れた牧田が灰原を男から守るように後ろからぎゅっと抱きしめる。助けてくれるのはありがたいが、なんでこの人はいつも距離感がおかしいんだ……と灰原は思いながら後ろを振り返った。

 牧田と目が合うと「灰原ちゃん、大丈夫だったー?」と頭を撫でてくる。

「ごめんねー、このおじさんかなり顔が怖い上に口がものすごーく悪いから怖かったでしょー」

「い、いえ。別に……」

 むしろあんたに子供扱いされてる様子を見られる方がよっぽど恥ずかしいのだが……と灰原は心の中で思う。

「頑固でむさ苦しいだけだから嫌いにならないであげてねー」と牧田が灰原の頭を撫でながら言うと

「はぁ?好き勝手言いやがって……お前が来るのが遅いからだろうが!」と男が反論する。

「そもそも別にいじめてねぇよ。ただ、お前の話にいつも出てくるやつがどんなのか気になるだろ」

 大体、大事な時に限ってお前はなんで遅れてくるんだよ!と男が牧田に向かって怒鳴ると、「えー、だってお昼ご飯食べてたんだもん」なんて勝手なことを言うもんだから男はさらに怒りを募らせる。

 その様子を見て、先ほどまでこの軍人かぶれに対して苦手意識を持っていた灰原だったが、この人は俺なんかよりも長く牧田という自由人の被害者なのかもしれないと少し同情した。

「あの……」

 話についていけない灰原がついに二人の言い合いに割って入る。

「それで俺が呼び出された理由って……」

「あー、そうだったそうだった!」

 牧田がここでようやく灰原から離れて目の前に立つ。

「灰原ちゃん、こちらWINGSの全体司令官をしている高橋健治たかはしけんじ一等空佐。僕のWINGS時代の同僚で、今もバリバリ現役で活躍している人だよー」

 それでー、と今度は高橋の方を向く。

「まぁ散々喋ってたんだから知っていると思うけど、この子はF3隊所属の灰原凪二等空士。隊の中で一番飛行技術が高いし、冷静な判断ができるいい子だよー」

 今回の特別任務はやっぱり灰原ちゃんが一番適していると思うんだよねー、と言いながら何度も頷く牧田を無視して高橋は灰原の顔をじっと見る。

「へぇー、お前操縦得意なのか」

「え、まぁ得意というかただ好きなだけです」

 そのためにこの隊に入ったので……と灰原が言うと高橋は「ふーん」と目を細める。

「牧田がなんでお前に御執心なのかは正直まだよく分からんが、こいつがそこまで言うならお手並拝見といこうじゃないか」

 なんだか変な期待をもたれてしまったようだ。

 そもそも任務の内容自体まだ教えてもらっていないというのに、一体俺は何をさせられるんだ……と灰原はため息をつく。

「というわけで早速で悪いんだけど、もうそろそろ今回の依頼者がロビーに到着する頃だから灰原ちゃん、ちょっと迎えに行ってくれるー?」

 牧田が腕時計を確認しながら言う。

「この広い基地を一人で歩いたら迷っちゃうだろうから応接室まで案内してあげたいんだけど、僕はちょっとまだやることがあって」

 じゃあよろしくねー!と灰原の頭を撫でて指令室をあとにする牧田。

 その後ろを高橋があきれた表情でついていく。

「お前、来て早々それはないだろ」

「えー、だって僕まだ天丼のえびが残ってるんだもーん。僕の大好物なのに早く食べなきゃ誰かに取られちゃう」

「はぁ?お前なぁ……」

 指令室を出る直前で高橋が後ろを振り返るとぽかんとした顔のまま立ち尽くす灰原が目に入り、同じ牧田に振り回される者として気の毒に思った。


 ***


「それで、お前はあいつに何を期待しているんだ」

 指令室を出て、何も言わずにまっすぐ前を見つめたままの牧田に高橋が詰め寄る。

「んー?なんのことかなー?」

「ふん、誤魔化すつもりか」

 高橋が胸ポケットから一通の手紙を出し、牧田に突きつける。

亜月あづき最高司令官が俺にわざわざ送ってきた。これでもまだしらばっくれるのか」

 手紙を一瞥した牧田の表情は何も変わらない。

 そもそも、と高橋はさらに詰め寄る。

「こんな重要度の高い任務をなぜF3隊が担当しているんだ?ここは戦力を一切持たないただの輸送隊だぞ?もっとこの任務に特化した隊などいくらでもいたはずだろ。お前は一体何を考えているんだ?」

 お前は、あいつに一体何をさせる気なんだ。

 高橋がそう言うと牧田の顔がようやく高橋の方を向く。

「君は……随分彼のことを心配してくれているんだね。僕がいない間に彼と何かあったのかい?」

 ふん、と高橋は鼻を鳴らす。

「別に……。ただ、信頼している飼い主から捨てられたりなんかしたら、あいつが可哀想だろ?」

「……へぇー。意外と僕は灰原ちゃんに好かれているのかもしれないね」

 それは嬉しいことだなー、と牧田は笑う。

「心配しなくとも、ちゃんと最後まで面倒を見るつもりだよ」

 牧田は廊下の壁一面に続く窓の一つにおもむろに近づいて、滑走路に並べられた飛行機を眺める。

 いや、目の前の飛行機を眺めているようで、実はもっと遠くにある、牧田にしか見えない何かを見つめているのかもしれない。

 高橋は牧田の背中を静かに見守っている。

「僕はね、もうそろそろこのくだらない戦いは終わってもいい頃だと思っているんだよ」

 上の保守派の人間はいつまでもこんな茶番を続けていきたいみたいだけどね、と牧田はため息をつきながら言う。

 上空防衛軍が日本にとって、政府にとって、必要不可欠な存在であり続ける限り、彼らの地位は確立される。そりゃあいつまでもドンパチやってたほうが都合がいいだろうな、と高橋も思う。

「でもね」

 牧田は振り返り高橋の方を見る。

「始まりがあれば必ず終わりが来るんだよ。僕たち陸の人間には誰のものでもない自由な空を奪い合う権利なんてそもそもない。もうとっくの昔に全て終わるはずだったんだよ」

「それは十年前のあの時のことを言ってるのか?」

 高橋の言葉に牧田は何も言わずただ微笑む。

 高橋もそれ以上深くは追求しなかった。

「大体お偉いさんたちは血の気が多すぎるんだよ。今はもうあの頃みたいに毎日戦いに出なくてもよくなったんだ。そろそろ時代遅れな考え方は変わるころなんだ」

 わざと口を尖らせて不満そうな顔をしてみせる牧田

「お前でも変えられなかったことをあいつなら変えてくれると?」

 そんなすごそうなやつには見えなかったけどなと言う高橋に牧田は笑いかける。

「確かに君みたいに熱血なタイプではないかもねー。でもかわいい後輩ちゃんだったでしょ?おまけにいい子だしねー」

 なんだその意味の分からない理由は……と高橋がため息をつく。

 お前っていうやつはほんと相変わらずだな、と。

 まぁでも……。

「お前がそう思うならきっとそうなんだろうよ」

 先に行ってるぞ、と牧田を残して廊下を歩いていく高橋。

 その背中を牧田は微笑みながら見つめる。

 君なら分かってくれると思ったよ、と。

 牧田が再び窓に目を向けるとちょうど戦闘機が一機空へ上がっていくのが見えた。

「灰原ちゃんならきっと」


 そう……彼ならきっと、何かを変えてくれる気がするから。


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