最終話 本当の青春が始まった気がした


 B-4


 二年生の春休みのある日。


 護と紗衣は、デートで遊園地に来ていた。


 受験生になる前に、思いっきり遊んでおこうという紗衣の提案だった。


「やっぱり混んでるね」


 入園のための行列の最後尾に並ぶと、紗衣が言った。


「まあ、春休みだし」


 平日ということもあり、大人や家族連れは少ないが、高校生や大学生と思われるカップルが多い。


「護は、進路とか決まった?」


「んー、まだ迷ってる」


 これといって将来の夢もない。とりあえず、自分の偏差値で届きそうな大学をいくつか受けてみるつもりだ。


「紗衣は?」


「私もまだ迷ってる。とりあえず、大学に行くかなって感じ」


 だったら、一緒の大学にしない?


 その言葉を、護は飲み込んだ。


 紗衣は意外と真面目な性格だ。融通が利かないというわけではなく、言動や思考に筋が通っている、良い意味での〝真面目〟だ。


 だから進路のことも、迷っているだけで、真剣に選ぼうとはしているはずだ。それを、一緒の大学に行きたいからという軽い気持ちで、制限してはならない。


 たとえ大学で別々になっても、二人の交際は続く。


 少なくとも護はそのつもりでいるし、紗衣も今のところ、護のことを想ってくれているようだった。


「わ、もうこんな時間。楽しかったね」


 ジェットコースターやお化け屋敷を堪能し、あっという間に時間が過ぎていた。


「ああ、楽しかった。あのさ、最後にあれ乗らない?」


 護は、この遊園地の名物でもある観覧車を指さした。


「うん。乗りたい」


 ふたりは観覧車に乗り込んだ。


 高い場所から見る景色が、とても綺麗で。


 ロマンチックな雰囲気は完璧だった。


「紗衣」


 隣に座る恋人の名前を呼び、見つめ合う。


 彼女の瞳が、宝石みたいだと思った。


 顔を近づけて――ふたりは唇を重ねた。


 ゆっくり顔を離して、もう一度見つめ合う。


 紗衣の照れたような、ふわっとした微笑みが、たまらなく愛おしかった。


 護は、幸せの絶頂にいた。


 その幸せが、すぐに粉々に砕け散ってしまうなんて、このときは想像もしていなかった。


 悲劇が起きたのは、駅からの帰り道だった。


 手をつないで歩くふたりに、バイクが突っ込んできた。


 護は足をひねっただけで済んだが、紗衣は顔を何針も縫う怪我をした。


 治療費はもちろん、バイクの運転手から出た。謝罪も受けた。


 けれど――紗衣の顔の傷は消えない。




 事故の翌日、護は紗衣の家を訪ねた。


 謝罪をするまもなく、紗衣の父親に殴られた。


「お前のせいで紗衣はっ!」


 目に涙を浮かべて、彼は護を糾弾した。


「謝罪も何もいらん。もう二度と、紗衣に関わらないでくれ」


 弱々しい声でそう告げると、ドアを閉めた。


 護は殴られた頬をさすりながら歩いていた。


 大事な一人娘の顔に傷がついたのだ。それくらいされて当たり前だと思う。


 ――もう二度と、紗衣に関わらないでくれ。


 熱を持った頬の痛みは、先ほどに比べて小さくなっていた。だけど、胸の痛みは治まらないどころか、どんどん大きくなっていく。


 どうして、こんなことになってしまったのだろう。


 やっぱり、自分がしてきたことは間違いだったのか。


 護は深い闇の中に迷い込んだような気分になっていた。


 もう、後悔を募らせていたあのときのようなことは――、繰り返さないと誓って高校に入学した。


 今度こそ紗衣に近づくと決めて。


 明るい人間を演じてまで、なりふり構わずに頑張ったのに。


 結局のところ、自分はダメな人間だったのだと、痛いほどに思い知らされた。




 夕焼けが、泣きたくなるほど綺麗だった。


 世界に絶望しながら、大橋護は歩いていた。


 何もかもがどうでもよくなった。


 かといって、命を絶つ度胸はない。


 少しでも気分を変えたくて、いつもは通らない道を進む。


 その途中で、ある建物が視界に入った。


 看板が出ているので、何かのお店らしい。ガラスの外からは、小さなカウンターと椅子だけが見える。ごく小規模な不動産屋といったイメージだが、実際に何を販売しているのかはよくわからない。


 護は、なぜかその建物に惹きつけられた。


 看板には【ReYouth】と書かれていた。


  ◆   ◇   ◆   ◇

    ◇   ◆   ◇   ◆ 


 After-4


 紗衣に怪我をさせてしまったことで、護は絶望していた。


 だから、謎の女に与えられたでは、護は紗衣に、一切近づかなかった。


 地味な生徒として振る舞った。いてもいなくても、誰も気にしないような、空気みたいな人間として




 紗衣が男子に告白された翌日。


 校内は、紗衣が告白を断ったという話題で持ちきりだった。


 どうしてなのだろうと疑問に思う反面、ホッとしている自分がいた。


 一日中、そのことを考えてボーっとしていた。


 いつの間にか授業が終わっていた、五時間目の休み時間。


 出しっぱなしにしていた消しゴムを、床に落としてしまった。


 手を伸ばそうとしたとき、別の手が伸びてきて――。


「大橋くん、落としたよ」


 紗衣が、護に向かって微笑んだ。


「ありがとう」


 つい、微笑みを返してしまう。


「大橋くんって、そんな笑い方するんだね」


 紗衣は意外そうに目を見開いた。


「あ、まあ」


 君に釣り合う人間になれるよう、散々練習したからね。


 護は心の中で言う。


「もっと笑ってた方がいいんじゃない?」


「前向きに検討するよ」


「あはは、何その政治家みたいな答え。大橋くんって、意外と面白いんだね」


 ふわっとした微笑みが真っ直ぐに向けられて、護の心の柔らかい場所が軋んだ。


 懐かしいような、切ないような、何か熱いものがこみあげてくる。


「え、待って。なんで泣いてるの?」


 紗衣に言われて、頬を涙が伝っていることに気づいた。


「意外となんて言ってごめんって。ほら、ティッシュ出すから……」


「……ふっ」


「え? 今度は笑ってる? なんで?」


 混乱している彼女が面白くて、愛おしくて、泣きながら笑ってしまった。


「なんでもない」


 本当の意味で、青春が始まった気がした。

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ReYouth 蒼山皆水 @aoyama

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