桜の木の下でまた会いましょう

元 蜜

桜の木の下でまた会いましょう

 春、川沿いにある桜並木の下を小さな男の子が母親に手を引かれ歩いている。

 男の子が一本の桜の木の下で小さな手を広げると、その手のひらに桜の花びらが一枚舞い落ちた。男の子は嬉しそうにその花びらを母親に見せ、再び母親の手を取り家へと帰っていった。


 私は桜。先ほど桜の花びらを男の子にプレゼントした桜の木だ。


 その小さな男の子は最近近くの団地に引っ越してきたようで、母親に連れられよく私の所までお散歩に来るようになった。年齢は私の方がお姉さんだ。


 ある日、その男の子が珍しく駄々をこね泣きじゃくっていた。母親がいくらあやしても泣き止まない。お姉さんの私は春風にお願いしてたくさん花びらを散らした。途端に辺りは淡いピンク色に包まれる。男の子はその光景に驚くとあっという間に泣き止み、『すごーい!』と私の花びらの中を駆け回った。母親が私に触れ『ありがとね』とお礼を言ったので、私はピンク色の花をさらに濃いピンクに染めた。


◇ ◇ ◇


 男の子が小学生に入学する時には、真新しいランドセルを背に私と一緒に写真を撮った。

 学年が上がるにつれ悪さをすることを覚えた男の子は、ある日、前を歩く同級生の女の子にイタズラをしようとしていた。それに気づいた私は枝を揺らし、彼の近くに毛虫を落としてやった。


「ギャー! 毛虫が落ちてきたぁ!」

(ふふふ……、お姉さんはちゃんと見てるんだからね!)


 男の子が小学校を卒業する時にも私と一緒に写真を撮った。小さかった男の子は、この6年間でぐんと背が伸びた。大きかったランドセルは縮んでしまったのではないかと思える程、男の子の背中に対して小さく見える。その成長した姿を見て、私は男の子の母親とともに誇らしい気持ちになった。


 中学生になった男の子は一人の女の子に初めての恋をした。そしてあろうことか私の下で告白をしたのだ。私は恥ずかしくてその様子を直視することができない。でも姉としては告白が上手くいってほしいので、花びらを舞わせ雰囲気を出してあげることにした。


 高校生になり男の子はもう‟男の子”を卒業し、立派な少年になった。

 彼は、部活帰りに彼女を連れて私の下でよく話し込んでいた。手を取り合い仲良く肩を寄せ合う二人の姿を見て、私の胸が少しだけチクリとした。

 そんなある日、私の下で二人は大喧嘩をし、彼女は彼の元から去って行った。残された彼は私に寄り掛かり静かに涙を流した。


(……大丈夫?)


 私はその頭上に花びらを優しく舞い落す。彼はその花びらを掴むと少しだけ笑顔を見せ、その笑顔で私も嬉しくなった。


 彼は大学生になると家を出て行き、卒業後はそのまま遠くの街で就職をした。

 何年待っても彼に会えず、私はとても寂しい気持ちになった。そして気づいてしまう。彼に恋しているということを……。もし私が人間だったなら、すぐにでも彼の元へ飛んでいき気持ちを伝えられるのに……。私は想いを告げることも出来ず、今立っている場所でただ待つことしかできない自分が悔しかった。


◇ ◇ ◇


 数年後、彼が久しぶりに私の元へやって来た。でも彼は一人ではなく美しい女性を連れ立っていた。そして、彼は私の目の前でその女性にプロポーズをした。本当は泣きたいほど悲しかったけれど、ただの木である私には彼を幸せにすることができないことは分かっている。


(私の恋もこれで終わりか……)


 涙を堪え、私は彼のために祝福の花びらをプレゼントした。だって言葉を話せない私に出来ることはそれしかなかったから……。


 それから月日が経ち、彼は父親になった。

 彼が実家に帰省した時には、自分の母親と同じように我が子の手を引きながら私の下を散歩した。幼子は初めて会った頃の彼によく似ていて、私は懐かしい気持ちになる。私は昔と同じように花びらを散らし、幼子を喜ばせてあげた。


 ある冬の日、私がまだ春に向けて眠っている頃、彼が突然私の元へやって来た。


(どうしたんだろう……? この時期に来るなんて珍しいな……)


 喪服姿の彼は私に寄り掛かり『母さん……』と言いながら泣いている。その姿を見て私も胸が苦しくなる。でもまだ季節は冬真っただ中で、彼を慰める花びらがまだ準備できていない。

 私のすぐそばで彼が一人きりで泣いているのに、私はただ立ち続けることしか出来なかった。私は自分が木であることを恨み、そして無力さを痛感した。

 

◇ ◇ ◇


 それからまた数年後の春、一台の大型トラックが私の傍を通り団地の中へと入って行った。春は引っ越しシーズンでもあるので、この時期にはたくさんの荷物を積んだトラックがよく通る。


(今度はどんな人が引っ越してきたのだろうか?)

 

 その数日後、彼が私の元へやって来た。また小さな子どもを連れている。


「桜さん、俺、定年退職してこっちに戻って来たよ」

(えっ? もしかして私に話しかけてくれてるの?)


 彼が話しかけてくるなんてこれまで一度もなかったことだ。私は初めての出来事に胸が高鳴った。


「じぃじ、誰と話してるの?」


 小さな子どもは彼の孫らしい。彼の孫は、じいじが突然桜の木に話しかけたものだから不思議に思ったようだ。彼は微笑み私を見上げた。


「この桜とだよ。この桜はね、じぃじが辛い時、嬉しい時にいつも花びらを降らせてくれてね、ずっとじぃじの支えになってくれていたんだ」

「すごいね! じぃじの気持ちが分かるのかな?」

「分かってると思うぞ! だって小学生の時にこの桜の下でイタズラをしようとしたら、じいじの傍に毛虫を落としてきたからな〜」

「うげ〜!!」


 私はずっと無力で彼に対し何も出来ないと思っていた。だから彼の言葉を聞き、私は泣きたいほど嬉しくなった。私は涙の代わりにたくさんの花びらを二人に向かって舞い散らした。


 こうして私と彼は再び毎年会えるようになった。

 そのうち彼は白髪が増え、背中が曲がりいつからか杖をつくようになった。それでも毎年のように私の花を愛でてくれ、私にとって幸せな日々が続いた。


◇ ◇ ◇


 しかし、今年も桜が咲いているのにあの人が会いに来てくれない。一体どうしたのだろう……。何か嫌な予感がする……。私は春風にお願いして花びらをあの人の元へ届けることにした。私の花びらを見ればきっとまた会いに来てくれる。


 そして私の花びらは一軒の家にたどり着き、そこにいた女性の近くへと舞い落ちた。


「まぁ、桜の花びら! こんなところまで飛んでくるなんて珍しい。おじいさんが喜ぶわ」

「あぁ、じいさん、あの川沿いの桜が大好きだったもんな」


 そう言うと、桜の花びらを持った女性は部屋の中へと入って行った。部屋の奥には祭壇が組まれており、その中央におじいさんの写真が飾られてある。


「おじいさん、桜の花びらが会いに来てくれましたよ」


 女性はおじいさんの写真の前に桜の花びらをそっと置き手を合わせた。


(桜の花びらは無事にあの人の元へ届いたのだろうか……)


 ふと根元の方を見ると、私の傍に見知らぬ男性が立っていた。でも初めて会った気がしないのはなぜだろう……。その男性は涙を流しながら私に話しかけてきた。


「ここに来るのは子どもの時以来か……。なぁ桜よぉ、じいさん死んじゃったよ。ここで桜を見るのを毎年楽しみにしてたんだけどな……。間に合わなかったよ……。でも最後に花びらを寄越してくれてありがとな。きっとじいさん天国で喜んでるよ」


(あぁ、あの人の子どもか……。随分と歳を取ったものだな)

 

 私は桜の花の時期が終わると、初夏に向けたくさんの緑の葉を茂らす。そして秋には枯れた葉を落とし、冬の寒さに耐えながら春の開花に向けて準備に入る。これを何十年も繰り返してきた。どれだけ寒さが辛くてもこれまでは春になるのが楽しみだった。だって花を咲かせればあの人が会いに来てくれたから。


(そっか……。あの人は死んでしまったのか……)


 でも私だってもう老木だ。いつ最期を迎えてもおかしくない。そうだ、今度はあの人のいる天国で桜を咲かせよう。


(必ずあなたの傍で花を咲かせますから、その時はどうかまた私に会いに来てくださいね)



                       完

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