第33話

 あれから数年後の春。


 とある山の麓にある宮瀬家の墓の周りは、無数の花で溢れ返っていた。桜の木、菜の花、チューリップ。それに加えてスズランも。誰が運んできたのかはわからないが、大輔さんの話によればいつの間にかたくさんの花が咲いていたらしい。桜花は喜ぶだろうと思ってそのままにしているとか。


 両手を合わせて静かに祈る。そして目を開ける。


 墓石は何も言うことなく僕の祈りを受け取ってくれた。


「結人さん」


 遠くから誰かの呼ぶ声がする。振り返ってみると、白いワンピースを身にまとった麻奈がこちらに駆け寄ってくるところだった。


 小さな肩を弾ませて息も絶え絶えに、麻奈は口を開く。


「どうして春に墓参りに行くんですか。普通はお盆のある夏だと思うんですけど」


「桜花は名前からして春だし、そっちの方が喜ぶかな、って思って」


「喜びますかね?」


「知らない」


 僕たちは顔を見合わせて笑った。心地よい春の風が麻奈の髪を静かに揺らす。ほんのりと甘い満開の花の香りがあたりに漂った。暖かい日差しがあたりから降り注ぎ、三人の再会を祝福してくれているようだった。


 墓石に線香を立てて麻奈も手を合わせる。


 数十秒目を瞑って祈ってから、やがて荷物を持って立ち上がった。


「今日は桜花に大事な話があるんだ」


 僕は墓石に向かって話しかける。


「僕たち、結婚することにした」


 結婚の話を切り出してきたのは麻奈だった。なんでも、交換日記に僕と結婚してくれ、という内容が桜花の手によって書かれていたのだとか。いきなりそんな話を切り出されて、もちろん僕は断っていたが、以前に告白されたこともあってしばらく付き合うことになり、自然と結婚という流れになった。


 今日は桜花にその報告をするため、久しぶりに地元へと帰ってきたのだった。


 もし桜花が生きていたら、どんなことを言うだろう。ちょっと怒って、ちょっと拗ねてくれたら嬉しい、なんて思う。


「あと、もう一つ。桜花の妹が生まれたよ。僕が名前を付けたんだけど、楓にした。せっかくだから秋の植物の名前にしてみたんだけど、どうだろう?」


 大学の講義に出ていた秋の日、いきなり大輔さんから赤ちゃんが生まれたと連絡を聞いたときは驚いた。僕は数日の講義を放り出して急いで宮瀬家のもとへ向かったのだった。


 小さな命を抱かせてもらって、大輔さんに名前を決めて欲しいと言われた時は一生懸命考えた。


 窓の外を見て紅葉の葉が舞っているのを見つけたとき、ふと楓の名前が頭に浮かんだ。


「楓はどうですか」


「なるほど、楓か。いい名前だね」


 そんなやり取りを大輔さんと交わしたのち、正式に名前が決まったのだった。


「僕もたまに楓に会わせてもらうんだけど、笑い方とか話し方とか、本当に桜花そっくりなんだ」


 何も返事は帰ってこない。ただ春の光が墓石に降り注ぐだけ。


 山頂から風が吹き降ろすと、咲き誇る花びらが一斉に舞い上がった。


「今日の話はこれだけ。じゃあね」


 墓石を撫でるように触れる。太陽の光に照らされていた墓石はほんのりと温かかった。


「桜花さんには及ばないかもしれませんけど、結人さんを幸せにしてみせます」


 百年早いわよ、という桜花の声が聞こえてきそうだった。傲然と胸を張って子供のように威張っている桜花が墓石に腰かけている様子が目に浮かぶ。


 ふと、麻奈が口元に手を当てて笑った。


「どうしたの?」


「桜花に百年早いって言われちゃいました」


「僕もそんな風に思ってたんだけど、偶然かな」


「案外たまたまじゃないかもしれませんよ。もしかしたら、桜花はここにいるのかもしれないですね」


「しっかり旅立って欲しいんだけどな」


「……そうですね」


 しばらく目を瞑ってから、もう一度ゆっくりと目を開ける。桜花の幻影は春風に流されてどこかへと消えていた。


「帰ろうか」


「うん」


 僕たちは桜花の居場所に背を向けて歩き出す。


「頑張って。応援してる」


 桜花の声が聞こえた。僕は咄嗟に振り返った。


 隣にいた麻奈が首を傾げる。


「どうしました?」


「いや、なんでもない」


 確かに桜花は残っている。そんな実感が胸の中に生まれて、心を温めてくれる。


 前を向いて地面に一歩踏み出す。


「頑張るよ」


 麻奈には聞こえないぐらい小さな声でそう呟く。


 舞い散る桜の花びらが、僕たちの背中をそっと押した。

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いつまでも、忘れない 天音鈴 @amanesuzu

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