拾玖
玲奈が30分程で風呂を終えるとリビングでは翠のノートPCを翠と朱夏の2人で覗き込んでいた。
「あ、これは四鬼だと思う」
「えっと、4日目の写真か。俺が監視に付く前から四鬼にも監視されてたかもしれないか」
髪をタオルで拭きながら玲奈も2人の背後から画面を覗き込んだ。
「写真だけなのによく分かりますね」
「ま、見慣れた動きの人達だか……玲奈さんっ」
「はい?」
「気が抜けすぎ!」
いきなり騒ぎ出した朱夏を不思議に思いつつ翠も振り返ってみると部屋に備え付けのバスローブ姿なのだが、前の締めが甘く屈まなくても谷間が見えている。
2人に気を許していると言えば聞こえは良いが確かに人前でする格好ではない。
「え、ええっ? えっと、すみません?」
不思議がりながら腰の結び目を解き始める。
「何で解いてるんですか!?」
「え、だって結び直すには緩めないと」
慌てた朱夏は立ち上がって翠から背を向ける様に玲奈を回転させて腰の結び目を直させる。
玲奈を正面から見て問題無い程度に成った事を確認して朱夏が溜息を吐いて翠のPCに向き直る。
昨日まではバスローブは使わなかったのだが今日は偶々ホテルのコインランドリーで洗濯、乾燥をしており帰りに向けて服の使用率を下げる為にバスローブにすると聞いていた。
ただ玲奈はバスローブを着るのが初めてで結びが甘いのは仕方が無い。
自分の胸元が開いている事にあまり自覚が無い様で朱夏としては折角、色気が落ち着いたと思っていたところに不意打ちが来て驚いてしまった。
ただ、確かに露出は減ったのだが妙に桃の匂いが強くなる。同時に何かに気付いたのか少し顔が赤く成っており横目で翠を見ている。
画面に集中している翠は気付かなかったが一緒にPCに向き直った朱夏は気付いた。
ふと思いついた朱夏が玲奈の肩を叩いて翠から離れ背を向ける。
「ちょっと、何か嬉しい事でも有ったの?」
「え、何でですか?」
「桃の匂いが強く成ったわよ」
「ええっ」
「静かに」
「えっと、ほら、翠さんにどこまで見られたかなと」
「成程、露出趣味ね」
「違いますっ!」
思わず叫んだ玲奈に驚いて翠が振り返るが朱夏が凄い目付きで睨み手を振って画面を見ていろと指示を出す。
渋々とノートPCに向き直った翠を見て朱夏は再度、玲奈との相談に戻る。
「まあ良いわ。つまり翠からの視線に嬉しくなったと」
「……」
「今更顔を赤くされても困るのよ」
「……」
「睨むくらいならもう少し隠してよ」
「……」
「はいはい。どうせ翠は明日から仕事の事を考えなくて良いんだし、同室にしましょうか」
言いながら朱夏は玲奈の口を手で塞ぎ声を防いだ。
手の感触からやはり玲奈が大きな声を出しそうに成っていたので朱夏は自分の対応に自信を持った。
静かに手を放せば自分の手から玲奈の桃の匂いがする程に強い匂いが発せられている。
部屋中が桃の匂いで満たされ始めているので明らかに何か有ったと察した翠が背後で溜息を吐いた。
……ホテルの後は落ち着いてたから油断してたなぁ。
この様子が明日の外出まで続けば朱夏の言っていた色気の落ち着きも無くなるだろう。
また朱夏と翠の2人で玲奈の左右を囲って視線や軟派から守るのは勘弁して欲しい。
そんな風に考えていると聞こえない程に調整していた朱夏が声を上げた。
「じゃ、部屋割りを替えましょう!」
「……は?」
「私、そろそろ1人部屋が良いのよね」
「待て待て待て待て」
「ウッサイ。10日もアンタだけ1人部屋なのはズルいわよ」
「思春期の子供か」
「17歳は思春期の子供よ」
「そうだったぁ」
正論で返されてしまい翠が反論の術を探す様に頭を抱えて言い訳を考え始める。
ただ特に妙案は思い付かない様で小さく溜息を吐いているのが朱夏と玲奈には分かった。
「分かった分かった。じゃ今日は俺と玲奈さんで寝室を使う」
「分かれば良いのよ」
翠はソファで寝るという選択肢も思い付いていたが、今日の発情した玲奈なら襲われそうだ。それなら最初から同室で自分のペースに逆転出来る目途の有る方がマシだろう。
「なら明日は翠さんと朱夏ちゃんですね」
「……え?」
「玲奈さん、何を言ってるのかな?」
「え、だって1人部屋を皆で回すならそうなりますよね?」
意地悪ではなく無垢な子供の様な表情で言われれば朱夏も言い返せない。
即座に翠と朱夏は視線を合わせ、アイコンタクトで緊急会議を開く。
『ちょっと、どうすんのよ』
『お前の言い方のせいだろ』
『ウッサイ。どうするのかって話よ』
『もう今日は疲れたので明日にしない?』
『仕方ないわね』
1秒で現状維持という結論で会議を終えて朱夏が玲奈に向き直った。
「そ、そうね。じゃあ、明日は私と翠で部屋を使うわ」
「ふふ、何だか1人部屋は久しぶりで寂しいかもしれませんね」
……なら朱夏と同室のままで良いんじゃないかな。
そんな風に思った翠だがもう考えるのが面倒に成ったので思考は放棄した。
▽▽▽
朱夏の機転というか策略によって翠と玲奈が同室に成った翌朝、満足気な玲奈と睡眠不足な翠に何が有ったのか察した朱夏は計画通りだと笑みを浮かべた。
翠の前に風呂に入って直ぐに寝室に引っ込んだお陰で、玲奈の脳内に翠のシャワー後という色々と妄想を掻き立てられる状況の演出にも成功したので仕込みは上手くいったという事だ。
その日の晩は翠と朱夏が同室だが豪華客船の事を思い出せば翠に対して思うのは大人の汚さだけだ。そんな訳でルームサービスで良いワインを頼み玲奈を潰して翠に運ばせ、まんまと寝室から出て来なくなったのを確認して朱夏は2日連続で個室をゲットした。
翌朝の2人の獣臭さが凄かったので玲奈を風呂に入る様に促した。
翠も風呂に入ってから3人分の荷物も纏め終わり、結局12日もホテルに居たのかと3人で苦笑しながら蒲田の事務所に帰る。
やはり玲奈の色気がかなり抑えられており電車内でも注目を浴びる事も無かった。
「今後も使えそうね」
「お前、また何か企んでるな」
「何の話かしらね」
「そう言えばズルいですよ朱夏ちゃん。私だけ1人部屋で使えませんでした」
「え、そこ文句言われるの」
「そう言えば朱夏は事務所に戻ったら掃除が待ってたな」
「あ」
翠がわざとらしく思い出した様に言った事で朱夏が目を逸らす。
その先に玲奈が回り込んで腰を曲げて下から覗き込んでくる。
「ふふ、何か罰ゲームを考えないとですね」
罰ゲームは玲奈に任せる事にして翠はスマートフォンでスーツ男からの追加情報に目を通した。
元々後で連絡すると言われてたのだが予定通りに連絡が来ている。
内容はシンプルで灰山裂は高校を卒業後に蒲田を拠点に活動する予定らしく、今回の依頼は顔合わせの意味が有ったらしい。
一方的に知る事を顔合わせと言うのかは微妙だが、翠から見て裂は大人が多い異端鬼の中では珍しい10代なので特定の条件で使い勝手の良い人材に見える。
だからと言って四鬼に狙われている者を近くに置くのは避けたい。そもそも翠には若いからこそ可能な仕事は来ない。
だが灰山裂が来ると成れば話は変わるだろう。
10代な事を利用して大学のオープンキャンパスに潜入させたり、高校生の集団に紛れさせて半グレの情報を調べさせたり使える手は多い。
……でもアレだけ四鬼に張り付かれちゃ異端鬼の活動を続けられるか?
翠の様な魔動駆関を外した魔装を使うというなら話は別だ。
だが灰燼鬼の特性は魔動駆関によって増幅させる灰と肘に仕込まれたスラスターを利用する事で発揮される。翠は灰燼鬼ではないのでこの特徴は理解していないが、多くの鬼は魔動駆関によって使える能力も含めて運用される。
魔動駆関を外した魔装は違法ではないので四鬼の前で魔動駆関を外した魔装を使用するのは問題無いが、つまり異端鬼としての能力は落ちる。
……生身での戦闘力は有っても鬼としての能力が無ければ長くは続けられないだろ。
溜息を吐いて追加情報に感謝すると返信して翠はスマートフォンを仕舞った。
事務所に付く頃には朱夏の罰ゲームは決まったらしく玲奈はご機嫌だ。
朱夏も玲奈も10日以上の外泊は初めてだったので帰宅した時には随分と感慨深い表情をして自室に荷物を持っていく。
そのまま自室で好きに過ごして良かったのだが直ぐに事務所に集まった。
「どったの?」
「何か、あれだけずっと3人で居たから自室に1人が落ち着かなかった」
「私もです。前は家に1人で居る事が多かった筈なのに」
確かに2人は事務所に来てから1人で居る時間が短かった。ある種のシェアハウスの様に成った影鬼事務所の生活に慣れて孤立する事に違和感を持つ様に成ったのかと翠は理解した。
「ま、良いや。灰山裂については高校卒業後に蒲田で仕事をする予定らしい」
「へぇ。でもあれだけ四鬼に張り付かれて異端鬼を続けられるのかしら?」
「さぁ?」
「確か17歳でしたよね。高校卒業という事はあと1年半は有りますし、その間に何か手を打つのでしょうか?」
「そうかもね。今は鬼って事は魔装に魔動駆関を積んでいる筈だけど、例えば俺みたいに魔動駆関の無い魔装に切り替えるとか方法は有る」
「でも戦闘力は下がるわよね?」
「ああ。それに鬼としての修業を積んだのに鬼の魔装を捨てる事が出来るかは灰山裂の決断力次第だ」
翠の指摘で2人も納得を示した。
人間、今まで自分が積み上げて来た物を捨てられるかと言われれば簡単ではない。特に鬼に成るには個人差は有るが数年単位の訓練を必要とする。
灰山裂の訓練期間は知らないが鬼が魔装を手放した話を翠は知らない。
「今まで引退以外で魔装を手放した鬼の話は聞いた事無いけど」
「四鬼でも引退まで魔装を手話したって話は聞いた事が無いわね。手とか脚とかを失って退役した場合も引退には違いないし」
「妖魔と戦うのですし、やっぱりそういう事は有るんですね」
「でもこの50年で随分と魔装の性能も上がって鬼が妖魔に大怪我を負わされる事も無く成ったわよね」
「そうだな。魔動駆関の性能やストレス値のカット率が上って精神の訓練より戦闘訓練に比重を置けるように成ったのも大きいって言われてるよ」
「そうですよね、鬼の方々は外国の魔装使いと違って精神の訓練も多いんでした」
「普通の魔装を使うって事はその精神訓練も無駄に成っちゃうのね」
「まあ現代の魔装が召喚機構用に凄い簡易的な魔動駆関を積んでるから外国の魔装使いはストレスを抑制する薬を飲んでるけどね。精々頭痛薬ってくらいの認識らしいけど」
「え、でも翠が薬飲んでるの見た事が無いわよ?」
「そうですよね。お部屋を掃除する時にもそれらしい物を見た事が有りません」
「いつの間に俺の部屋の掃除を。えっとね、日本では普通の魔装を使うって発想が薄いから訓練しないで薬に頼るのは軟弱だって風潮が有って広まってないだけだよ」
「あ~、そう言えば召喚機能を持った魔装って所有にかなり制限が有ったもんね」
「そうそう。建設現場とかで使われるパワードスーツの魔装は使用者に合わせてフィットさせる為に普通は現地で装着するしね」
魔装についての翠に説明を受けて納得した朱夏と玲奈だが、同時に聞けば聞く程に灰山裂が今度も異端鬼で居られるとは思えなくて今回の仕事の意味が薄れていった。
「そろそろお昼の準備をしちゃいますね」
「今日くらいは別に作らなくても良いよ?」
「いえ、私が作りたいので」
「なら私は事務所の掃除しないとねぇ」
「お、罰ゲームは甘んじて受けるのか」
「ウッサイ」
朱夏と玲奈がそれぞれの作業を始めたので翠は事務机に置いたノートPCを起動した。
あれから追加の連絡は無いのでスーツ男からの仕事と情報はこれで全てなのだろう。既に報酬も振り込まれており今回の監視は本当に終了したと言って良い。
背凭れに身体を預けて椅子の向きを反転させて事務所の窓から外を見た。
大通りの十字路には今日も車や人の往来が絶えない。
中小企業が乱立する工業地帯に羽田空港の国際化による住宅街化が進んだ奇妙な街だ。
翠のスマートフォンに入った妖魔探知アプリに反応が有ったが、車でも10分は掛かる位置だし他に近い異端鬼の反応も有る。
小遣い稼ぎの必要は無い程度に今回は稼いだので無視しようと決めて翠がテレビを点けると速報なのか緊迫した様子のニュースキャスターが『繰り返します』と宣言してニュースを読み上げた。
「国連は日本の警察機構に属する四鬼からのレポートを基に新種の妖魔の発表を行いました。当該妖魔は非常に高いステルス性を持ち、現行の妖魔探知機にて補足する事が出来ない様です」
……マジで?
そのニュースの直後、スーツ男とスーツ女から同時にメールが届いた。
魔装ー悪鬼断罪ー 上佐 響也 @kensho
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