拾捌

緑が灰山裂の監視を始めて10日、元々の監視予定日数は過ぎたがスーツ男から追加の依頼が有った為に延期している。

八王子は学生街でありビジネス街でも有り、山手線とは別に子供を食い物にする大小様々な犯罪の温床に成っている。

半地下で逃げ道の多い店や、履歴書の確認を敢えて甘くしているキャバクラや性的なサービスを提供する店が多い。

その為、妖魔の発生には事欠かないのだが駅から東西に続く出口ではビジネス街と住宅街で全く別の顔を持っている。


純粋にビジネス街であれば駅地下に池袋や品川の様な地下迷宮が作れるのだが近隣住民からの強い反対に押されて行政が地下迷宮の設置を諦めたという背景が有る。

その為、妖魔が発生するとしたら地上であり近隣住民に被害が出る度に地下迷宮の重要性を世界的に示すモデルケースに成っている。


地下迷宮の設置に反対した勢力は現在では冷静さや正しい判断力の無い者達として認識されており非常に発言力が低下している。

そんな背景も有り翠や異端鬼の仕事は多い。


四鬼側は地下迷宮の必要性を解く為に意図的に八王子の四鬼の人数を絞っている節が有り、異端鬼が多少暴れても四鬼と鉢合わせに成る事は殆ど無い。

翠は灰山裂を監視している最中に2日ぶりに妖魔の兆候を察知した。


人間の感覚で妖魔が出そうな地点を把握するには自分を中心に半径5メートル程度だ。その為、現代では街の各所に仕掛けられた妖魔探知機の反応を追って現地に向かい、周辺を観察して妖魔を実際に見つけるのが一般的な方法となる。

翠は灰山裂の事はあまり見ず、適当に柄の悪そうな者や周囲を必要以上に警戒している者が居ないかに集中している。朱夏のサポートで灰山裂の位置を自分で確認する手間が少ないので妖魔発生の方に意識を向けられるのが大きい。


『対象とは少し距離が有るけど、妖魔の兆候が有るわね』

「こっちでも確認した」


場所は八王子駅付近の大通りだが、やけに周囲を意識する挙動不審な男子高校生が居た。かなり気弱な印象の少年で暴力をチラつかせて脅せば簡単に言い成りに出来そうだ。

その少年付近から妖魔反応とまではいかないが、妖魔化の兆候なのか薄っすらと少年の左手が黒い靄を発していた。


妖魔はどんな姿に成るかは集まったストレスに依存する。

個人のストレスで起きる妖魔化はその人物が感じたストレスを基にする事が多く、今回の妖魔化はそのパターンに当て嵌まりそうだ。

少年が向かうのは大通りに面した半地下のテナントらしく、少年が階段を降って行ったのを見送ってから翠が店に向かえばダーツバーの看板が掲げられていた。


『反応が弱く成ったわ』

「地下だ。妖魔探知機の範囲ギリギリぽい」

『成程ね』


地下に続く階段を降りて行くと途中で踊り場が有って横に曲がる。直ぐに階段は終わりダーツバーの入口に成っていた。

開店時間は18時から5時と成っており社会人や大学生が徹夜で遊び始発で帰る事が可能な時間に設定されている様だ。


現在時刻は17時30分で本来なら客が入る時間では無い。バイト店員なら準備の為に入る事も有るかもしれないが、高校生が酒を提供する店でバイトするのは法的にも心理的にもハードルが有る。先程の様な気弱な男子高校生がそのハードルを越えられるとは思えない。


案の定、扉に耳を付けてみれば内部から何かを殴る音が聞こえてた。

流石に人を殴る音では無く、壁や机を殴る様な音だが、同時に男子高校生らしき短い悲鳴も聞こえた。

スマートグラスを掛けてサーモグラフィ機能を起動すると男子高校生が数人の体格の良い者達に囲まれている様だ。


……カツアゲか犯罪の片棒を担がされているか。


良く有るのは鞄に入る程度の荷物を運んで1万円の簡単高額バイトで、運んでいたのは違法な薬物で暴露されたく無ければ他の仕事を手伝わされたり、金銭を要求されるという物だ。

今回がそのパターンかは不明だが観察している間に今度は男子生徒と別の人影が擦れ違うと男子高校生が床に倒れた。


殴られたか何か絶望的な事を言われたか。

詳細は流石にサーモグラフィでは分からないが妖魔探知アプリではそろそろ手遅れなのが分かる。

男子高校生を囲んでいた人物達も動揺した様に距離を取り始め、幾人かが翠の居る扉に向けて走って来る。


……いや、ここまで来て逃げるのは無しでしょ。


手遅れなら手遅れなりに対応する事にした翠は扉の前に扉の傘立てを引っ掛け、ローブで縛り簡易的な扉のチェーンにする。

鍵が掛かっていない筈の扉が何故か開かず、直ぐに鍵では無く何かに塞がれていると察したのか扉を貫通して男の悲鳴が聞こえた。


「開かねえ! こいつ、入って来る時に何か仕込みやがった!」


現実は翠が仕掛けたのだが、そんな事を室内の人間が知る筈も無い。

退出するには別の扉も有るらしく、数人が別の方向に走っていく。

その男達が男子高校生だった影に襲われて床に押し倒され、最初は暴れていたが段々と抵抗が無くなり最後は動かなくなった。

室内の人影は全部で5人に男子高校生が1人。その内の1人が全く動かなくなったのだ。


……継続的に搾取してて、やり過ぎたんだろうな。


室内の男子高校生は完全に妖魔化している。サーモグラフィで見る限りは狼男の様な前傾姿勢で腕が太く長く変貌している。

比例して脚は細く感じるが次のターゲットを視界に納めて跳躍したのを見る限り筋力は高いのだろう。

2人目に太い腕が振るわれて壁に叩き付けられ動かなく成り、その身体に頭を突っ込ませているので喰い千切っていると思われる。


……残りは3人だけど、そろそろ別の妖魔が出るかな。


『探知機では明確に妖魔に成ったわ。ただ四鬼は遠いみたいでまだ到着しないみたい』

「どれくらい待てる?」

『10分てところかしら』

「う~ん、微妙な時間だ」


位置的には半地下の階段の下だ。仮に翡翠騎士の魔装を召喚した時に誰かが近くを通れば見られてしまう可能性が高い。

翠は小さく溜息を吐いて室内で3人目が喰われているのを見ながら左腕だけ部分的に魔装を召喚した。

可能な限り赤いマントの発行が地上から目立たない様に影際に寄って左指のナイフを光に変質させる。


4人目が喰われかけている最中に、その人物も妖魔化が始まり蛇の様な物に変質した。

妖魔が2体に怯えて動けない人物が1人。

それらを纏めて切断出来る様に左を腰に引き絞って狙いを付ける。


蛇が翠に気付いたのか店外を見た瞬間を隙と見た狼男が蛇の胴体に腕を突き出した。

恐らく爪で蛇の胴体を串刺しにしたのだろう。痛みに蛇が見境無しに暴れて翠から意識が離れた。

その瞬間、翠は引き絞った左手を振り抜き5本の光刃で蛇も狼男も6等分に切り裂く。


先日の岩骸鬼の様な硬度は無いらしく、振り抜いた後に2体の妖魔は肉片と成って床に落ちた。そのまま存在が消滅していき、討滅が完了した事が分かる。


『妖魔反応、消滅したわ』

「OK。さて、ちょっとサービス」


そう言って生き残った最後の1人に向けて人差し指の光刃を振るって首を斬り飛ばし、魔装を解除して翠は何食わぬ顔で階段を上がり八王子の街に戻った。

灰山裂の監視を始めて10日で翠が遭遇した妖魔は4件目、この間に討滅した妖魔の分は単発の妖魔討滅案件として報酬が出るので小遣い稼ぎには丁度良い。


少し現場から離れてコンビニに入る時に横目でダーツバーを見れば四鬼なのだろう男2人が階段を降りて行くのが見えた。

監視カメラ等は無いので映像証拠は無いが、聞き込みをされると面倒だと思いながら翠はジャケットのポケット内で器用に召喚器の手袋を外し素手に成る。適当にお茶のペットボトルを買ってコンビニを出て灰山裂の反応を追う。


『あ、依頼人から何か連絡が来たわよ』

「了解。メールメールっと」


足を止めて壁に寄ってスマートフォンを取り出せば確かに依頼人のスーツ男から連絡がメッセージが届いていた。

内容は本日で監視を終了するようにとの連絡で今後は本来の拠点である蒲田に戻って良いとの事だった。

ホテル宿泊は今週一杯に延長していたので特に予定が無ければ残るも帰るも好きにして良いらしい。

突然の監視終了の連絡を不思議に思いつつ、まあ最終日だと思って灰山裂の後を追う。


「今日で監視は終えて良いらしい」

『了解。じゃあ手早くチェックアウトの準備しないとね』

「いや、延長した分の日程は宿泊してて良いみたい」

『そうなの? じゃあ後で3人で相談しましょ』

「そうだな。それより、ちょっと妖魔討滅より灰山裂の周辺の監視に集中しよう」


現在時刻は18時の少し前で20時までは2時間有る。

その間、灰山裂の周辺を観察して急な終了の理由が分からないか情報収集を行う。


『了解。眼鏡の映像データ、リンクする?』

「そうだな。最終日だし見ておいて貰おう」


スマートグラスのツルの内側に有るスライドを押し込み、通信機能を起動させて朱夏のノートPCでも映像が見れる様にした。

PCに入っている画像処理ソフトで何か異常が有れば機械的に検知するサポートを起動させ、人と機械の両方から監視を強化する。


『これ、異端鬼じゃない監視も居るわね』

「何だって?」

『四鬼っていうか、黒子の訓練で見た監視の動きをしている人が結構居る。影鬼だけじゃなくて四鬼の監視も有るって、何をしたのかしら?』

「マジかよ。やっぱ想像してたのとは別件か」

『あぁ、影鬼側の事情に心当たりが有ったんだっけ?』

「そうそう。でも当てが外れたな」


想像していた理由とは別の理由が浮上したが、翠は特に自分の想像が外れていそうな事を残念には思わなかった。元々情報不足の中で思い付きに近いものだったので言葉にした通り当てが外れた以上の感想は無い。


この際、灰山裂の監視に集中する事は止めて翠は朱夏に教えて貰った人員に目を付けた。

基本的に2人1組で行動しており灰山裂を囲む様に追い抜く事、擦れ違う事も有る様だ。

人数を活かして背後や物陰を使わずに対象が意識しない様な立ち回りで常に複数の視線で網を張って監視しているらしい。


「これが黒子の監視方法か」

『複数での監視方法ね。単独だったり1組だった場合は今の翠みたいに後方や物陰を使うわ』

「へぇ。監視にも色々有るんだな」

『ま、アンタは常に単独みたいだし知らないのも当然ね』


嫌味を言われたが本当の事なので翠は特に心理的なダメージも受けずに聞き流した。

そのまま灰山裂は帰宅して20時に成り、翠は監視を切り上げホテルに戻る。


灰山裂は電車通学をしているので翠がホテルに帰宅する時も必然的に電車やタクシーを必要とする。

サラリーマンや部活が有る高校生の帰宅時間に被るので結構混むので翠はやっとこの混雑から解放されると思い解放感を感じながらホテルに戻った。


「ただいま~」

「お帰りなさい」

「お帰り~」


いつも通り玲奈が料理の準備を丁度終えて迎え、朱夏はPCの設定を切って閉じた。

リビングに玲奈が料理を運び、朱夏も小皿と箸を運んでいる。数日の前の家政婦の仕事について思う所があったらしい。

今日のメニューは卵焼きと焼き魚の定食らしい。


「「「頂きます」」」


いつの間にか特に合図も無く3人で挨拶を合わせられる様に成った事に苦笑しつつ団欒が始まった。

話題は自然と監視の終了についてだ。


「でも突然ね。今日で監視終わりなんて」

「何か変化が有ったのかね? 後で撮ってた今までの様子を見てみよう」

「四鬼側の人達が居るかを確認するんですか?」

「そうそう」


「でも翠の眼鏡って容量そんな多かったっけ?」

「流石に動画は撮ってないよ。写真を1日何枚が撮ってるからそれを見ようかなって」

「ああ、動画かと思ってたわ」

「写真の機能まで有るんですね。まるでスパイ映画みたいです」

「お陰で凄い高いんだよね」

「スマートグラスってそもそも3万から10万ってピンキリじゃない?」

「50万」


「……す、凄いですね」

「オーダーメイドでも無い限りそんな額に成るとは思えないんだけど」

「オーダーメイド」

「よく作ってくれたわね」

「これでも組立は自分でやったから抑えた方なんだよ」


「ドローンの時も思いましたけど、翠さんって技術者みたいですね」

「鬼に成れないからね、戦闘力を補う工夫が必要なんだよ」

「その結果が暗殺者ってコメントし辛いわね」

「うっせ」


それぞれが焼き魚や卵焼きを口に運びながら口々に話す。


「そう言えば、ホテルどうする? 日曜までだから4日は延長してるんでしょ?」

「ああ。ま、追加分は後払いだから別にいつ出ても良いんだけどね」

「急ぎの仕事が無いなら1日2日は八王子で普通に遊ぶ?」

「良いですね」

「そうだね。流石に日曜まで居る必要は無いけど、それくらいは遊ぼうか」

「最終日くらいは玲奈さんも料理しないでルームサービスで豪遊する?」

「ふふ、ありがとうございます」

「そういやここの料理は朝のバイキングくらいしか知らないもんな」


朝はバイキング、昼食は外食、夜は玲奈の料理とサイクルが出来ていただけに最終日は盛大にルームサービスを影鬼に請求する事にして3人は食事を続けた。

やがて食事も終わり、皿は朱夏が泡うので玲奈が最初に風呂に入る。

そんな訳で何となく翠は今まで聞いていなかった事を聞く事にした。


「そういや玲奈さんと同室で抱き着かれたりしなかったのか?」

「無いのよね。ていうかホテルでアンタと寝てから色気が大人しいのよね」

「そういや外出しても変に目立たなくなったね」

「大人の女の余裕って感じよね」


そんな変化を不思議に思いつつ、2人は監視していた間の写真を見直す事にした。

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