7,溝出(1)

 五代礼はバンの助手席に腰を下ろす。紫苑と鋼音はセカンドシートに並んで座った。

 運転席の男が振り返る。江崎永理也にとてもよく似ているが、髪を短く切り、顔つきもずっと穏やかだ。「皆、自己紹介はした?」江崎吉哉よしや──永理也の双子の弟、兄弟にしてはよく似ているが、一卵性双生児にしては大分異なる印象を受ける。

「まだだよ。誰コイツ?」鋼音が睨め付けるような目で礼を見る。

「彼女は五代礼さん。まあちょっと訳アリでね、しばらく黎明ウチで保護する事になったんだ」

「お世話になります、一組の五代です」

「訳アリって何? どういう事?」鋼音の表情はまだ硬いままだ。

「僕も又聞きだから詳しい事は君達のに聞いた方がいいかもね」

 紫苑は内心で嘆息した。自分のが、果たして詳しく教えてくれるだろうか?



 ✳︎



 榊紫苑は『黎明』の、江崎永理也――彼女の相棒たる青年――に五代礼の事を聞こうとしたが、結果は芳しくなかった。

「よく知らない」これが彼の返答である。

「知らないって事ないでしょ。永理也は土日も此処にいたんだから」

「金曜の夜に応援要請を受けて、向かったら終わったところだった。本人の検査や聴取に俺は参加していない。だから本当に知らない」

「あのさ、急に知らない人が来たら興味とか持たない?」

「教えられないという事は聞く必要がないという事だ。重要な情報なら共有されるだろう」

 紫苑は歯痒さ半分、諦め半分のため息を吐いた。なんでこの男はこんなに杓子定規なのかしら。

「……ああ、そうだ」呆れている相棒に多少なりともフォローしようとしたのか、永理也が口を開く。紫苑は頭一つ分以上高い位置にある彼の顔を見上げた。「すぐに消えたから見間違いかもしれないと思ったが――、五代礼は

 江崎永理也が本来赤くないものをと形容した場合、それは有害な特性を持つという事を意味する。

 すぐに消えた赤色。見間違いかもしれない。

 紫苑は結論を出せなかった。


 ✳︎



 五代礼についての知識に関しては、八鍬鋼音の方が先に多くを仕入れていた。彼女の相棒こと烏丸綾羽は『黎明』で唯一のであり、永理也とは怪異に対する知識量が桁違いだった。

「──要するに五代ってのは事件の重要参考人ってワケだな」

「ま、まあそうかな」

「綾羽さあ、なんでいつもおどおどしてんの? 別に弱っちくないんだから堂々とすればいいじゃん」

「あ、あのね、これはこういう、ひゃ、喋り方だって、前も」

「喋り方以外もだぞ。永理也先輩や瑞華先輩はもっと落ち着いてるし」

「……だって私は永理也くんや空閑さんじゃないもの」綾羽が俯く。

「あのー、お二人さん? 個人的な話は打ち合わせブリーフィングが終わってからにしてくれない?」隊長である穂灯留美絵の声で鋼音はそこが隊長室──と言っても事務室オフィスの一角を強化ガラスで区切っただけの狭いスペースだが──にいる事を思い出した。

「あ、ご、ごめんなさ、ごめんなさい。鋼音ちゃんにはちゃんと言って聞かせますから」

「そんな言い方ないだろ。オレを小学生かなんかだと思ってるのか?」

「……八鍬さん、今はこっちの話に集中してくれるかな?」留美絵が苦い顔で言う。横向きに置かれたデスクに座る江崎吉哉が苦笑を漏らした。

「二人には今夜七時、港公園駅に向かってもらう。東口で駅長と合流したら、そこで改めて説明を受けて。それと今回は警察署から極秘で参考人を送ってもらうからよろしく」

「今回の相手は?」

「今回はね──」留美絵が詰めた息をゆっくりと吐き出す。



 ✳︎


 溝出みぞいだし

 曰く、弔われる事なく行李に詰められうち捨てられた身寄りのない亡骸は、箱から出て来て踊り出し、無念を詠うという。

「でもそれは江戸時代とかその辺の妖怪だろ? このご時世にそんなのいるかあ?」鋼音は訝しげに腕を組んだ。

「い、いるから今夜こうして、私達が」

「――なんだ、ガキとコスプレ女じゃねえか」

「……あ?」

 振り返れば、根本まで脱色ブリーチした髪と軽薄そうな顔立ちの男が吉哉に連れられてそこにいた。

「この人が、今回手伝ってもらう松本さん」吉哉は淡々と男を指して述べる。「松本さん、この二人が――」

「女子供にショーガイシャ、大した正義の味方だな、ええ? これならてめえらボコして逃げるくらい」

 松本の言葉は、しかし途中で寸断された。突如として彼の体が宙に浮いたのだ。かのように。

 魔女めいたローブと三角帽子の綾羽は困惑しているものの、何かをしたようには見えない。

 鋼音が拳を振りかざしていた。

「お前」鋼音が敵意に満ちた目を向けている。「あんま舐めたクチきいてんじゃねえぞ」

「は、鋼音ちゃん」綾羽がおろおろしながら止めに入った。「さん、参考人の人と揉め事は駄目だって、前も隊長さんに……」

 鋼音はそれを聞いて、舌打ちしながら拳を下ろした。同時に松本の体も下ろされる。だが彼の目に宿るのは怒りだった。

「てめえ――」

「ま、待ってください」殴りかからんとする男の前に今度は綾羽が立ちはだかった。ローブの袖口から四十センチ程の棒を取り出して突きつける。ただの棒ではなかった。磨きぬかれ、丹念に手入れされた黒い石で出来たそれは金文字で判読不能な文が刻まれている。

 棒を目にした途端に松本の両手が、その意志とは裏腹に真下に落ちた。左右の手は一定の距離で固定され、腕を広げる事も出来ない。

「すみませんね」吉哉がわざとらしいくらいのんびりと言う。「女子供と障害者の多い組織ですから、あなたのような方に乱暴されないようにこちらも色々準備しているんですよ」

 綾羽は溜息を吐いた。この件が永理也くんの担当だったらなあ。バスケットボールの選手のごとき身長の彼が相手なら、この松本なる男ももっと大人しくしていただろうに。

「じゃあ、僕はこの辺で」吉哉は綾羽と鋼音に向かって片手を挙げると乗って来たバンに乗り込んで走り去った。

「……ついてきて、ください」泣き言を言っても始まらない。綾羽は腹を括った。「あなたの証言から、事件現場の座標を割り出す必要が、あります。嘘はやめてください、私には、すぐに、分かります、から」



 ✳︎



「大丈夫ですかねえ」人員の輸送から戻った江崎吉哉はラップトップから目を上げて言う。

「大丈夫だと信じるしかないよ。あの二人に限った話じゃないけど」

「いや、それ以外も」

「?」

「五代さんですよ。榊さんより空閑さんの方が監視向きでは? ほら、何かあった時の対処とか」

「ああ、そっちね。空閑さんは案藤先生の直属だから、まだ脅威のレベルが未知数の女の子一人の為に使えないんだ」

「ふむ、何事もないと良いですが。あっ、コーヒー淹れますね」

「悪いね、いつも」

「平気ですよ。ご心配なさらず」吉哉はそう言って杖に手を伸ばした。

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