第2話 おもちゃ

 アラームで目が覚める。7時半、一回で起きれた。ロックも解除せず、時間だけ確認した。ゼミは13時から、まだまだ時間はあるが、今日も朝から大学に行くため、早めに起きた。カーテンを開け、窓を開け、コーヒーを淹れ、トーストを食べる。あまりお酒を飲まないようにと決めてから、最初はなかなか眠りに付けなかったが、慣れれば目覚めがよくなった。それでもお酒は好きだから、どうしても飲みたい日はハイボールのロング缶一本だけを許した。

 卒論を進めるうちに、データを取るために複数の映画を見た。そこで再び映画にはまった。今あるサブスクでは足りず、さらに二つ加入した。研究費だと自分を納得させた。いつのまにか楽しんで卒論を書いている。日米映画のヒット作の傾向を比較し、どの時代にどのジャンルが流行っているのか、邦画と洋画を比較している。これがなかなか面白い。いわゆる名作と呼ばれてきた映画に出会い、気付けば毎日映画を見ていた。流行りの映画をもれなくチェックするくらいの映画好きだったが、昔の作品はあまり見ていなかった俺にとっては、毎日が衝撃の連続だった。映画の魅力の1パーセントも理解していなかったのだろう。今は凄く楽しめる。

 家で卒論を少し進めて、9時。車で大学へ向かう。今まで車ではラジオや、その時に流行っている音楽を流していたが、今は映画に詳しい人たちが、映画の知識やレビュー、新作の紹介をしている動画を流している。専門家でもないのになぜここまで知識があるのかと不思議になる。でも、研究するにはこの素人達よりも知識をつけなければならない。力不足を感じ、黙ってレビューを聞く。そして、大学に着けばすぐに図書館に行く。図書館のパソコンでサブスクにログインし、ヘッドホンをつけて2時間映画を見る。最初はメモを取りながら、夢中になるとメモを取ることをやめ、終わったら感想を書く。最近はバイトの時間を減らして、こんな生活を送っている。新作映画を映画館で見て、お酒を飲みまくっていた生活を辞めたおかげで、ほとんどお金を使わず健康的に暮らしていけている。人にも言われるが、自分でも生まれ変わったように感じる。恋人が欲しいなんて思わなくなるほど充実していた。

 でも、ラブストーリーをみると、やはりホシちゃんのことを思い出してしまう。ずっとそうだ。彼女が欲しいのではなく、ホシちゃんが欲しい。でも、もう関わっちゃだめだ。あれから一度も連絡が来ることはなく、SNSも見ないからどうしているかわからない。ヒロインに彼女を重ねて、幸せだったらいいなと思っている。

 図書館で映画を見終わって、最近仲良くなったゼミのメンバーと学食を食べているときだった。見たことのない奴が声をかけてきた。

「あの、ホシちゃんの知り合いって本当ですか?」

「え、あ、ん?」いきなりすぎてまともに返せなかった。するとそいつはスマホを取り出し。あの動画を見せてきた。

「このホシちゃんですよ」久しぶりその動画を見て動揺する。一気に冷や汗がわいてくる。なぜこいつらは俺とホシちゃんの関係を知っている。なんでホシちゃんと呼んでいる。

「なんでそう思うの?」

「あ、あの顔に似てるなってずっと思ってて」

「あの顔?」

 目の前のそいつはキョトンとしている、隣を見ると仲良くなったばかりのこいつもキョトンとしている。

「あの、知らないんですか?あの動画を撮っている奴は誰だって話題になって、自販機に映る顔が出回っているんですよ。最近学食で見るあなたが似てるなーって思って」

 声のボリュームを落としてそいつ話す。

「お前も知ってたの?」隣に座るこいつは黙っている。

「大丈夫です。おれ、ホシちゃんのファンなんで誰にも言いません。でも、もしあれだったらサインもらえたらなーなんて」

「なんでホシちゃんって呼んでるの?」

「ああ、それもですか?あなたの小さい声が拾われていたんですよ、ホシちゃんいいよって言う小さな声が。はっきりは聞えないからみんなとりあえずニュアンスでホシちゃんって呼んでるんですよ。あの、投稿止まったんで心配していたんですけど、ネット見た方が良いですよ」

 気持ち悪くなってきた。

「ホシちゃんって本当は何て名前なんですか?」

 そいつは俺を追い詰めるように質問してくる。早くここを出たい。

「絶対に誰にも言わないでくれ」

 笑うそいつに頭を下げ、隣のこいつを睨み、すぐに大学を出た。無音の車で自分を家まで運ぶ。ただただ焦っていた。怖い怖い、何が起こっているのかわからない。知る必要がある俺は、これから逃げていたのかもしれない。大学に行き映画を見て、飯だけ食って帰る自分にも腹がたつ。駐車スペースに雑に車を停めて、「触らない」というグループに入れていたアプリにログインする。スクロールするまでもなく、その動画はあった。男がポリバケツを頭上に持ってきて、頭から何かをかぶる。ドサッと落ちたそれは、画面外でカサカサと音を立てる。服に引っかかるそれはゴキブリのようだ。男は軽く悲鳴を上げて、手を前に出し、「次は君の番」という。いや、声はホシちゃんのものだ。投稿には「#次は君の番」と、誰かのタグ付けがされている。そうやって過激なことをリレーさせていく投稿だった。湯船に氷水をためて飛び込んだり、ウイスキーの瓶を一気飲みするなど、めちゃくちゃな投稿ばかりだった。あれから一ヶ月経たないうちに、変化を遂げて良くない流行りになってしまっている。一時間近く車の中でスマホを触っていた。部屋への階段をゆっくり登りながら、恐る恐る「ホシちゃん」と検索する。すると、あの動画があった。いろんなやつが、ホシちゃんの動画やその一部の静止画を乗せて、感想を述べている。最初は「かわいい」などが目立ったが、何度かスクロールすると性的なコメントが増えている。「この部分で胸の大きさがわかる、Eと見た」とか、「この男とめちゃくちやってるんだな」とか、更にスクロールすると編集されたホシちゃんの画像が。それは、知らない裸の女に顔だけホシちゃんといった酷いものだった。俺のDMは「どういう関係だ」とか、「紹介しろ」とか、気持ちの悪いメッセージであふれていた。

 見てられなくなりスマホの電源を落とす。ホシちゃんがネットで汚れていく。学食の男を思い出した。あんなやつらが。玄関のドアを開け、一ベットに潜る。時間が経てば収まると思っていた。実際、もっと時間が経てば収まるはずだ。でも、その間でこんな悲惨な状況が待っているとは思いもしなかった。俺はそれを無視しようとしていた。無視できていたから満足に充実した人生を送れていた。なんて愚かなんだ。ホシちゃんが心配だ。傷ついているはずだ。そんな軽いわけがない、俺が今見たものを毎日みていたら、とんでもない思いをしているはずだ。最低だ。今更そんなことに気付いて、何ができる、ホシちゃんに何が言える。地獄を作ってしまった。ここまで大きくなってしまえば、責任をとることができない。

 とりあえずテレビをつける。何か心を紛らわせるために、耳に音を入れたかった。が、お昼の情報番組でSNSの危険性というテーマだった。すぐに消した。ホシちゃんのことが取り上げられると決まっているわけじゃないが、そうなってもおかしくない。危険性なんて理解していたはずなのに。1パーセントも理解していなかったのだろう。理解したと思った時点で危険が生まれていたのかもしれない。誰がここまで予測できるか。全部お前のせいだと言われると、そんなつもりじゃなかったとしか言えない。

 これは被害を訴えるしかない。普通の女の子がこれほどネットで遊ばれている。問題に決まっている。俺が元凶だが、広めているのは俺以外の奴らだ。大きな力でそれを止めるしかない。俺にはもうホシちゃんを守ることはできない。管理している場所が止めるべきだ。見て見ぬ振りも罪だ。勢いで、そのSNSの会社に連絡する。期待した反応ではなかった。こちらでも対応しているが、限界があるとのことだった。そこで気づく、本当に誰も止められない。俺が酔った勢いで投稿していたように、誰も何も考えず、投稿している。誰がそれを止められるか。

 健太に電話した。とにかく誰かに話したかった。営業で出ているから夜飲みに行こうと言ってくれた。それまでの時間スマホを開く勇気がなく、映画を見続けた。2本続けてみたが何も覚えていない。それどころではなく、ただただホシちゃんが心配になった。


「お前が悪いわけないよ」健太はすぐにそういってくれた。

「でも、俺が投稿しなければ」

「それは許してくれるって言ってただろ」

「ホシちゃんもここまでは予想してなかったはずだろ、凄くしんどいと思う」

「しんどい思いをさせているのはお前じゃない。気持ち悪いネットの奴らだろ。ロクタが背負い込むことじゃないって」

 酒が進まない俺を何度も慰めてくれる健太。その優しい言葉でさえしんどくなる。健太の言葉を受け止めると、ホシちゃんを無視することになってしまう気がしたからだ。

「ホシちゃんになんて言ったら」

「何も言わなくて良いよ。今連絡を取るのは危険だよ。まだ好きなんだろ?」

「好きとか、もうそんなこと言える資格ないよ。関わらないで欲しいと思っているだろうし、俺は傷つけたくないんだ」

「あのさ、ホシちゃんはそんな子じゃないでしょ。いつも明るく、お前みたいなやつにも優しいから好きになったんじゃないの?」

「そうだけど、優しいからって。理由にならないだろ」

 ホシちゃんの顔を思い浮かべる。とたんに涙があふれる。すべて夢なら良いのにと思ってしまう。なんでこんなことに。

「とにかくさ、お前は今の生活を続けろ。せっかく立て直したのに、自分を責めて崩れるお前なんか、ホシちゃんは絶対に望まないよ」

「俺だけ幸せになろうなんて、そんなの勝手すぎるだろ」

「お前が彼女の人生の責任を取れないように、誰もお前の人生の責任は取れない。こんなことで自分を崩すなよロクタ」

 そこで後ろの、チャラチャラした恐らく俺と同じ大学の奴らの声が聞こえる。何やら一気飲みのコールのようだ。そこで、「次は君の番」と振って、次々に一気飲みするという流れだ。

「店変えるか。なんかご飯も微妙だしさ」健太が気を使ってくれる。

「ごめん、今日はもう帰るよ。忙しいのにごめんな、こんな話付き合ってもらって」「全然良いけどさ、ちゃんと大学行けよ。ホシちゃんのことを思うなら、お前はしっかりしろ」

 結局、健太が全て奢ってくれた。ほとんど飲み食いしなかったから、コンビニでハイボール3缶とカップラーメンとスナックを買った。前までの生活を思い出し、躊躇するが、それどころではない。体が求めている物を与えたかった。本当に自分勝手な人間だ。


 通知音で目が覚める。気づけば6時50分頃だった。寝ていた。久しぶりログインしたままだったから、DMの通知を切るのを忘れていた。DMには、「これってだいじょうぶなんですか?」というメッセージと、動画だった。とある企業の広告だった。そこではホシちゃんが踊っていて、「次は君の番」と言い、新卒採用の文字が出る広告だった。ホシちゃんの職場だ。大丈夫じゃない、いったいこの会社は何を考えているんだ。ホシちゃんを使って広告を出すなんて。

 案の定、24:00にアップされたらしいその広告は話題となり、ホシちゃんの名前も、沖縄に住んでいることも、そして本当に普通の会社員であることも全部バレた。その会社の公式アカウントは荒れ、9:00頃には消えて、謝罪文が出された。あまりにも一瞬の出来事で、整理できない。動画のホシちゃんは笑顔で踊っていた。その動画は再び拡散され、「本人は喜んでいるんだ」という肯定意見で溢れた。「本人が乗り気」という捉えられ方に耐えられない怒りを感じた。夕方のニュースでそれは取り上げられ、その会社は批判された。しかも、今日は朝から会社の電話が鳴りやまなかったことをニュースは告げていた。自業自得だと思いつつ、そこでホシちゃんは働いているのだと思うと、しんどくなる。健太が気にして電話をくれたが、ありがとうとだけ言って切った。

 完全にホシちゃんは追い込まれた。そのことにかなり落ち込んでしまった。このままイタズラや拡散が続けば、ホシちゃんはどうなってしまうのか。自分の手には負えないがどうにかしたい。これまでネットで被害に遭った方がどうしたか、裁判になったらどうなるか、名誉棄損とかそういったことを何となく調べていたが、やはり自分一人では何もできないことを知り絶望した。ホシちゃんが心配で気になり、SNSを探ったがずいぶんと更新はなく、ただ恐ろしいフォロワーの数になっている。プライベートのアカウントに30万人のフォロワーがいた。30万人以上の知らない人間がホシちゃんを特定している。ここでは何もわからないから、健太にホシちゃんの仲の良い友達とかに情報がないか探ってもらったが、誰とも連絡を取っていないようだ。いったい、ホシちゃんはどうしているのか。その答えを最悪な形で知った。

 問題の広告から一週間がたち、その会社のホームページに報告があげられた。会社は責任を取り誰かが辞任するとか、ホシちゃんにお金を払うとか書いてあった。そして、その間に様々な迷惑行為があったこと。いたずら電話が鳴りやまず、会社に迷惑なものが届けられ、ホシちゃんを見るために帰宅時間に沢山の人が集まったりと、全部の作業が止まるほどの被害を受けていることを報告していた。そして、そこにはホシちゃんが自分の意思でやめたとはっきり書いてあった。

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さあ、今夜も 白稲 胡太郎 @sironeko373

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