第32話 真相

 足下から脳天にかけてゾゾゾッと悪寒が駆け抜けた。

 めまいがして、よろめいた。


「どういう、ことだ……」


 廃校って、まさか死体を撮ったあの廃校か?

 そんなはずはなかった。

 確かに、水城みずき叶愛とあとは様々なやり取りを交わしてきた。

 だが、廃校での出来事を語ったことは一度としてなかった。

 なのに彼女は知っている。なぜだ。

 答えは訊ねる間でもなく彼女自身の口から明かされた。


「お、り、は、ら、ね、い、こ」


 ゴロゴロと雷鳴が轟いた。腹の底まで震わせるような力強い音だった。

 それが、ぼくの記憶と共鳴した。キィーッとブレーキをかける音がして、目の前に猫の死骸が浮かび上がった。

 記憶は間もなく逆流を始め、あの日の朝、水城叶愛と交わした短いやり取りを思い出せた。


『さっき、なんで見てたの?』


 そう訊ねられたぼくは、とっさに彼女の手に巻かれた包帯のことを指摘したのだった。

 すると、彼女は胸の前で両手を揺らして、こう言った。


に引っ掻かれちゃって』


 だから、ぼくはあの傷を、猫に引っ掻かれた傷だと思いこんだ。


「前に、きみは手に怪我をしてた」


 だが、違ったとしたら。


「あれは――」


 あの時の言葉が――?


「あの傷はだったのか……?」


 ありえないと思いつつ口にした言葉に、水城叶愛は興奮した様子で手を打ち鳴らしてみせた。


「やっと気付いてくれたんだぁ! 私ずぅーっと〝猫〟と〝寧子ネコちゃん〟って使い分けてたんだよ?」


 ぼくは絶句した。

 そんなことがあり得るのか。

 犯した罪を自らひけらかすなんて。

 粟立った首筋をさすりながら、ぼくは何とか言葉を発した。


「つまり……きみは折原寧子を殺した犯人で」

「うんうん」

「死体を撮ってたぼくを隠れて見てた……?」

「そうだよ」


 水城叶愛はあっけらかんと罪を認めた。

 鼻っ柱を思い切り殴られたような衝撃が、ぼくを襲った。たまらずよろめき壁に手をついた。笑う膝を殴って麻痺させ、ぼくはゆっくりと面を上げた。


「ぼくを殺そうとは思わなかったのか?」


 もちろん思ったよと、これまたすんなり水城叶愛は答えた。


「でも、どうしてあんな所に来たのか気になってさ。ちょっと様子を見てたんだよ。そしたら写真なんか撮り始めるじゃん。私、ときめいちゃったんだよね。ああ、この人と友達になりたいって」


 ぼくは自嘲した。振り返って鏡を見たら、きっとひどい顔をしているに違いなかった。つくづく、ぼくは馬鹿なのだと思い知った。折原寧子の死を愚弄するような、あんな愚かな真似をしなければ、ぼくらはきっとクラスメイト以上の関係にはならなかったのだ。


 過去に戻れたら――切実に思った。

 けれど、人生は一方通行だ。

 元来た道は跡形もないのだった。


 ぼくの目の前には、水城叶愛を殺す以外の道はなかった。

 不思議なことに、それが、ぼくの心を苦しめることはなかった。

 むしろ、他に選択肢はないのだと改めて思ったら、混乱も恐怖も後悔も融けるように消えていった。頭は冴えて、体温は下がり、怖いくらい冷静になることができた。

 すると、折原寧子はなぜ殺されたか、その真相を明らかにする必要を感じた。

 水城叶愛を殺すべき理由は多い方がいい、そう冷たい声色のぼくが言うのだった。


「きみは、どうやって折原寧子に接触したんだ?」

「え、そんな簡単なことには気付いてないの? 日野っちに決まってるじゃん」

「日野先生……?」


 水城叶愛は日野を脅迫していた。

 強姦の事実を公言しない代わりに、日野の私生活を監視することが彼女の要求だったはずだ。

 事実、日野のアパートに侵入した際、彼女がカメラを回収するのを、ぼくは目撃している。

 

「……日野先生への要求は監視じゃなかったのか?」

「なんでそんなのわざわざ要求するの。自分で勝手にやればいいじゃん」

「でも、あのカメラは日野先生のものだって言ってたろ」


 水城叶愛は、ぼくをからかうようにクスクスと笑った。


「だから、勝手にやったんだよぉ。時に、たまたまあるのを見つけたから。ホントは盗聴器でも仕掛けて帰ろうと思ってたんだけどね。あれはラッキーだったなぁ」


 偶然だった? なら、彼女は何を要求したんだ?

 その時、日野のアパートで感じた違和感が胸に蘇った。


「……そうか」


 アパートから引き上げる際、テーブルに二台のスマホが残されていた。

 ぼくはその一方を水城叶愛の忘れ物と勘違いして、彼女を呼び止めた。

 だが後に、日野のアパートからは折原寧子のスマホが発見された――。


「折原寧子は、日野先生のターゲットだったんだ」


 だいせいかーい、と水城叶愛は両手を打ち鳴らした。


寧子ネコちゃんはね、まだ日野っちに会ったことのないの子だったの。いっぱいメッセージがあって日野っちに夢中だった」

「つまり、きみは先生にスマホを差し出すよう要求した」

「ごめいとーう」

「先生が自殺したのも折原寧子が原因だな?」

「秘密が増えちゃったねって言っただけだよ」


 水城叶愛は唇を尖らせた。子どもじみた仕草は、却って彼女の邪悪さを際立たさせるようだった。


「先生を自殺に追い込んで、きみはぼくと一緒にアパートへと忍び込んだ。そして、折原寧子から回収したスマホと先生から脅し取ったスマホを置いていった。先生に罪をなすり付けるために」


 肯定はしなかったが、水城叶愛はニチャリと醜悪な笑みを浮かべた。

 こいつはとんでもない怪物だ。ぼくは戦慄した。同時に殺意を覚えた。だが、まだ一番重要なことを訊いていなかった。


「話を戻そう。どうして、きみはあの廃校にいた? 折原寧子を殺した直後に、ぼくが来て隠れたのか?」

「ううん。寧子ちゃんが死んじゃったのは塚地くんが来る前の日だよ。でも、後で失敗に気付いたんだよね。寧子ちゃんの爪に、私の組織がたっぷり残っちゃってるよなーって。証拠になっちゃうかなーって。だから一応、処理しに戻ったんだよ」

「ぼくが現れたのは、そのタイミングだったわけか」

「そう! 運命だねっ」

「そうかもね……」


 ぼくは一方の口の端で微かに笑った。


「折原寧子は、どんな子だった?」

「世間知らずのお嬢様って感じかなぁ」

「彼女はなにか悪事をはたらいてたのか?」

「みんな何かしら罪を犯しながら生きてるものだよ」


 はっきりした。水城叶愛が煙に巻くような返事をする時は、その質問が正鵠せいこくを射ていた時だ。彼女が殺したのは無垢な少女だったのだ。ぼくは前傾姿勢をとった。


「解った。楽しいおしゃべりは終わりだ」

「ははは! なんかバトルマンガみたいだねぇ」


 水城叶愛は茶化すように笑ったが、手元では威圧的にロープを扱いてみせた。

 ポツポツと雨の打ちつける音がし始め、間もなく窓の外が閃いた。

 ぼくらはそれを合図に、殺し合いを再開した。

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