第31話 対峙
ドアを開けた瞬間、目が合った。
とっさに身構えると相手も同じ姿勢をとった。
「……なんだ、驚かせるなよ」
ぼくは胸に手をあて、ぼくを迎えたぼく自身を見た。
部屋の奥に鏡が置かれていた。天井まで届きそうな巨大な姿見だった。
「ここが――」
女子高生の部屋にしては、ひどく殺風景に見えた。姿見の他には勉強机とベッドくらいしか目を引くものがない。読書好きと言っていたのに本棚のひとつも見当たらず、勉強机の棚に収められているのは教科書や参考書ばかりだった。
この異様な家の中で、ここだけが唯一清潔で整理された空間だった。にもかかわらず、健全な印象は感じられなかった。これまでの混沌とした有様と対照的だからか、このミニマルさは、むしろ空虚で無機質だった。
「……いや、そんなことより」
水城叶愛はどこだ?
いない。この部屋に死角はほとんどない。なのに、見当たらない。一体どこにいる――?
混乱したぼくの脳裏を、赤い矢印が過ぎった。
突如、警戒心のメーターがはね上がり、罠だと気付いた。
だが、すでに遅かった。
鏡に映ったぼくの背後から、白い腕と張りつめたロープが姿を現したのだ。
「ガっ、ぁ……ッ!」
いきなりロープに首を絞められ、喉からあふれ出た空気がビイッとおかしな音をたてた。その残響を舐めるように耳元で声がした。
「ダメだよ、塚地くん。油断しちゃあ」
鏡越しに今度こそ目が合った。
ぼくの肩の上に水城叶愛の薄ら笑いが覗いていた。
「カッ、ァ……!」
ますますロープが食い込んでゆき、行き場をなくした血液が沸騰するような熱を発した。意識が蒸発してゆくようだ。勝手に口が開いて、両目がぐりぐりと上向いてゆくのが解る。
死ぬ……わけには!
微かに残った意識をたぐり寄せ、遮二無二、相手の脛を蹴りつけた。
うめき声がして、ロープの絞めつけがわずかに緩んだ。
この隙に、ロープにできた隙間へ親指を突っ込んだ。ズリと皮膚が剝けるのも構わず手首まで無理矢理ねじ込んだ。
「……ぷは、ぁ!」
たちまち新鮮な空気が流れ込んできて、助かったと思った瞬間、ぼくはむせ返っていた。
「イッタイなもぉ。でも来てくれて嬉しい、よッ!」
水城叶愛は容赦なく、ロープを引く手に力を込めた。
たちまち、ぼくの手首がメキと嫌な音をたてて反り返った。だが、かろうじてまだ呼吸はできた。身動きも。鏡像を頼りに首の後ろへと手を回し、相手の手に爪を突き立てる。しかし鏡越しの笑みは微かに歪んだけだ。絞めつけはもう緩まなかった。
「どうして、こんなこと……約束どおり来たのんだぞ、ッ」
「来てくれたからだよ。その気になったから来たんでしょ?」
水城叶愛はそう語尾をあげたが、ぼくに答えさせるつもりはないようだった。思い切り背中を反らし、全身の力でぼくを宙づりにしたのだ。
「か、かァ……!」
ロープに潜らせた手が首を圧迫し始めた。またぞろ空気を断たれ、骨があやうい軋みを鳴らした。このままでは折れると、はっきり解った。
もう一度、脛を蹴ろうとすると、水城叶愛は先んじて足を絡めてきた。
だが、その一瞬、ぼくの足が地面についた。力では、ぼくの方に分がある。ぼくはここぞとばかりに、地面を蹴って相手の姿勢を崩した。
「うわ、ぁ!」
ぼくらは諸共に後ろへと倒れこんだ。
ぼくは拘束から抜け出し、すぐさま馬乗りになろうと体を反転させた。ところがそこに、すかさず蹴りが飛んできて、ぼくは防御を強いられた。
「く、っそ」
その隙に、水城叶愛がとび離れた。
ぼくらは睨み合いながら、よろよろと立ち上がる。
「前は、ぼくを人殺しにしようとしてたのに、いざ自分が殺されそうになったら抵抗するんだな」
「もちろん。だってキミが本気なら、私のことなんて簡単に殺せるでしょ? でも、中途半端な気持ちだったら? 私が勝っちゃうかもだよね。そんな弱虫ならいらないの。それにね、キミが人殺しになるなら、私は死んだっていいんだよ」
水城叶愛の言葉を鵜吞みにしてはいけない。
しかし、ぼくを騙す方便にしては、あまりに不可解で、返す言葉が見当たらなかった。
「意外だったかな?」
「どうして、そこまで。ぼくを人殺しにしようとする理由はなんなんだ」
「言ったじゃん。友達と楽しいことを共有したいんだって」
その理屈は、先ほどの発言と同様に歪だった。水城叶愛の中にある辞書と、ぼくの中の辞書とでは、同じ言葉が載っていても、まるで意味が異なっているようだ。その認識の違いを、すり合わせる機会はなかったのだろうか。
なかったのかもしれないな……。
この家の様相を見てきて、ぼくはそう想像した。
ゴミ屋敷。家具のないリビング。家族に関心があるとは思えない両親の部屋。
人と人とが寄り添い合って得られる温もりが、この家には存在しなかった。
「じゃあ、どうして君は、ぼくと友達になろうと思ったんだ?」
「初めてキミを見た時、すごく衝撃を受けたから」
「初めて……? キジトラを撮ってたあの時か?」
「違うちがう。あれは二回目。私が最初にホンモノの塚地くんを見たのは――」
突如、窓の外で稲光が瞬いた。
「廃校だよ」
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