第28話 告白

 心当たりはあるかと訊かれて、ぼくは押し黙った。

 ある、と答えれば済む話だった。誠実な月山のことだ、深く詮索しようとはしないだろう。なのに、あっさりと首肯するのに抵抗があった。逡巡があった。月山には、月山にだけは、本当のぼくを知っておいてもらいたいという思いが膨らんでいたのだ。


 ……落ち着け。


 話していいはずがない。月山に通報されたら終わりなのだ。ぼくの双肩には両親の命が懸かっているのだから。


「心当たりがあるんだね?」


 月山が言った。ぼくは彼の顔を見返すことができなかった。グラスを摑んで、それを口に運ぶこともなく、チーズが乾いてカピカピになってゆくピザを睨み続けた。


「大丈夫。詳しいことは話さなくていいよ」

「そうじゃなくて……」

「ん?」


 やめろ。言うな。

 こめかみに冷たいものが流れ落ちてゆく。ぼくは過ちを冒そうとしている。その自覚がある。

 ぼくは冷静だ。ちゃんと理性がはたらいている。しかし、そのように思える時でも、人は合理的でない判断を下してしまう時がある。ぼくにとってのその時は、まさに今この時だった。


「月山くん、道枝が死んだのは知ってるよね?」


 ぼくは、ついに一線を踏み越えてしまった。もう後戻りはできなかった。

 けれど、却って気は楽だった。

 ぼくは正面から月山の顔を見つめた。月山は、らしくない剣呑な目つきで、ぼくを見返した。


「もちろん知ってる。親から聞いたし、ニュースも見た。家に警察やマスコミだって来たよ」


 でも今それがどうして、と月山の目は語っていた。同時に、ある程度察しがついていることも伝わってきた。ぼくは月山に真実を告げた。


「道枝を殺したのは水城叶愛だ。そしてぼくは……道枝が殺される少し前まで、その現場にいた」


 月山がカッと目を見開いた。そして、手元をさっと動かした。とっさに何か摑もうとしたのだろうその手は、しかしグラスを摑むこともなく中途半端な位置に留まった。

 月山の衝撃は計り知れなかった。この後の話をちゃんと理解してもらえるか不安にだった。それでも話し続けるしかなかった。


「ここ一月ほど、ぼくは水城叶愛と一緒に死体を撮影してきたんだ――」


 できるだけ時系列に沿うよう心掛けながら、これまでのことを話した。

 折原おりはら寧子ねいこのこと。猫のこと。日野のこと。道枝のこと。

 水城叶愛のこと。そして、ぼく自身のこと――。

 

「……」


 月山が正しく話を理解できているか、そもそも話を聞いているのかどうか、ぼくには解らなかった。ある時から月山は虚空を見つめて動かなくなり、ぼくに目を戻すことも、話に頷いてみせることもなくなっていた。


「――これで全部だ。長い間ごめん」


 すべて話し終えた頃には、互いのグラスの中から氷が消えていた。メロンソーダの緑は、すっかり薄くなっていた。それでも、月山は未だぼくを見ようとしなかった。ただし、虚空に据えられた目はテーブルの上に落ちて、それからゆっくりと閉じられた。


「月山くん、ぼくのことが怖い?」

「怖くないと言ったら嘘だよ」


 ようやく月山が口を開いた。おもむろに瞼を開いたかと思うと、とつぜん残ったメロンソーダをごくごくと飲み干した。そして恐るおそる、ぼくを見返した。


「塚地くん、きみは裁かれるべき人間だ」

「うん……」

「きみは間違えてきた。一度だけじゃない。無数の間違いを犯して、ここに到っている。俺には、それが悲しいよ」


 月山の目から軽蔑と深い憐れみを感じた。

 どうして、そんな風に見るのか。

 ぼくにはそれが不思議だった。軽蔑されるのは当然だ。でも、ぼくは憐れまれるような人間ではない。ぼくはどうしようもない人間だ。だから道枝は死んだのだ。


「そして――」


 月山は、またぼくから目を背けた。

 ぼくはその視線の行方を追ってみた。けれど、それはきっと、もうぼくには届きようもない遥か遠くに向けられているのだと解った。

 

「きみは俺の良心を人質に、俺を脅すんだね」

「脅す? 一体なんの――」

「俺は今この場で警察に通報することだってできるんだぞ!」


 ぼくの言葉を遮って、月山がスマホを叩き付けるように置いた。相手の剣幕に、ぼくはぐっと言葉を呑み込むしかなかった。


「……でも水城叶愛が捕まれば、将来きみの両親は殺されるかもしれない。つまり、俺にとっての一一〇番は、きみの両親を処刑する番号に変わったんだ」

「そ、そんなつもりは……」

「なかったとしても、そういう状況には違いないだろ。少なくともいま、きみを警察に突きだす勇気は、俺にはないよ……」


 月山の絞りだすような言葉を最後に、ぼくらは重苦しい沈黙の中へ沈んだ。大学生の一団から高笑いがあがって、チャカチャカと食器の触れ合う音ばかりが聞こえた。

 話さなければよかった、と思った。本当に月山を試すような気持ちはなかった。けれど、ぼくが真実を打ち明けたのは、背負ってきた重荷から解放されたかったからだと思い知った。月山に聞いてもらうことで、ぼくは荷物の一部を彼に押しつけたのだ。つくづく自分が嫌になった。


「……もう帰ろうか」


 そう切り出したのは、ぼくの方だった。月山に荷物を持たせておいて、ぼくは逃げる道を選んだ。卑怯者だ。解っている。解っていても他にどうしようもなかった。月山も、ぼくのような人間とは居たくないはずだった。ところが、彼は首を横に振ってみせた。


「まだ答えてない。水城叶愛が、本当にきみときみの両親を殺すかどうか」

「いや聞かなくても解る。彼女は実行するさ」

「俺の考えはそうじゃない」


 ぼくは耳を疑った。いや、月山の正気を疑った。

 けれど彼の顔つきは冷静そのものに見えた。真っ直ぐぼくを見つめる眼差しには、むしろ強い意志のようなものを感じた。

 月山は、ぼくのような卑怯者とは対極の存在だった。ぼくはこれ以上、卑怯な人間になりたくなかった。そのために、ぼくができるのは、浮かした腰を下ろすことだった。


「月山くんは、ずっと水城叶愛を知ろうと学んできた。だからこそ、一家言あるってことなのか?」

「俺は素人だから、俺の言うことは確かじゃないかもしれないとは言っておく。でも」


 ぼくを諭すと同時に、自分自身に言い聞かせるかのように月山は言葉を紡いだ。


「絶望するには、まだ早いと信じたい。その理由をこれから説明する」


 月山はふぅーっと長く息を吐いた後、決然とこう言い放った。


「実は、俺たちが生きてるこの時代においては、水城叶愛のような人間も更生させることができるかもしれないんだ」

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