第27話 真偽
月山の薦めで何冊か本を借りた。ぼくは取り憑かれたように本にのめり込んだ。自分でも驚くほど集中できた。読むのはそれほど早い方ではないはずなのに、その日のうちに一冊を読み終えてしまった。
スマホに通知がきたのは、次の本に手を伸ばした、ちょうどその時だった。
きっと月山からの連絡だと画面を覗きこんだぼくは、瞬時に全身が凍りつく思いを味わった。
『家に来る約束だけど、二十一日にして欲しいの』
それは
いつの間にか連絡先が共有されていた。
家に入り込まれたあの日、スマホをいじられたのか。気味悪く感じたが、次第に怒りが胸にこみ上げてきた。なにが約束だ。ぐっと唇を嚙みながら怒りに耐えた。今日の日付を確認してみると、十月八日だった。
二十一日まで、まだ二週間ほどの猶予がある。
この時間を使って、できるだけ多くの知識を吸収しようと思った。意味があるかは解らない。だが、何もしないでビクビクしながら、その日を待つのはごめんだった。
ぼくは次の本を手にとった。
時折、道枝のことが脳裏を過ぎり、耐えがたい倦怠感に襲われた。無気力になり、絶望的な感情に心を蝕まれもした。
実際、ぼくの状況は最悪だった。
それでも知識には不思議な力があった。それを吸収すればするほど、希望のようなものが胸に湧き上がるのを感じるのだった。
――
十月十八日。
ファミリーレストランの窓際の席で、ぼくと月山は向かい合った。
月山と会うのはこれで二度目だが、あまりそんな気がしなかった。毎日のように図書を薦めてもらっていたからかもしれない。
「平日のファミレスって初めて来たかも」
店内を見回しながら、ぼくは言った。
テーブルには、おばさまグループ、大学生グループ、休憩中のサラリーマンといったメンツがバラバラに散らばっていて、どことなく休日に来るよりも
「のんびりできておすすめだよ。ひとりで来ても変な目で見られないし」
月山は慣れた様子でタブレット端末を操作しながら応えた。
「ファミリーレストランなのに、ひとりでも気楽に過ごせるって不思議だなぁ」
「言われてみれば、そうだね」
と、向けられた笑みは爽やかだった。いじめで深く傷ついた人間には、とても見えなかった。元々は明るい性格なのかもしれない。
「俺ピザ頼むけど、塚地くんも何か頼む?」
月山はそう言ってタブレットの画面をこちらに向けてくれた。
あまり空腹は感じていないけれど、月山だけに食べさせるのも気を遣わせてしまうようで申し訳なかった。ひとまず同じものを注文してもらうことにした。
タブレットを置くと、月山はメロンソーダを舐めるように飲んだ。猫舌の人が熱いものを飲むのに似ていて、ぼくはつい吹き出してしまった。
「あっ、やっぱり飲み方ヘン?」
「自覚あるんだ」
「親にも言われるんだよね。熱燗飲んでるおじさんみたいだって」
ふたりして声を上げて笑った。
ひとしきり笑った後、月山の顔つきが変わった。
「そういえば、どうだった?」
本の感想について訊ねられているのだと解って、ぼくは姿勢を正した。これまで吸収してきた知識を、少しずつ頭の中に呼びだしながら。
「どれもすごく解りやすかった。でも一口にサイコパスって言っても、扱ってる分野によって定義が違ってて……ややこしかったかも」
「あー、なるほどね。俺も最初は塚地くんと同じように感じたなぁ。今でこそ学問ってそういうもんなんだって解るけど、やっぱ初めは誰か統一してくれよってぶつぶつ言いながら読んでたよ」
ぼくの素朴な感想を、月山はバカにすることなく素直に受け止めてくれた。水城叶愛のカリスマ的な魅力とは違うが、月山には他人を惹きつける感じの好さがある。
「でも、サイコパスがどんなものかはちょっと解ったんじゃない?」
「だからこそっていうのかな……怖かった」
「水城叶愛のことが書かれてるみたいで?」
月山は、ぼくの感じていたことを一発で言い当てた。彼自身も、かつてそう感じたことがあったのかもしれない。
「まあ、素人の俺たちが断定すべきではないんだろうけど」
そう断った上で、月山は眼鏡を押しあげた。
「俺も塚地くんと同じ意見だよ。水城叶愛は十中八九サイコパスだと思うね」
「そういえば、月山くんは彼女とよく話してたの?」
「ああ、元々は友達だったんだ」
ぼくは驚きと同時に、この場に相応しくない感情が湧きあがるのを感じた。
それは苛立ち、あるいは怒りに似た何かだった。
「……そうなんだ」
どうかしてるぞ、とぼくは自分自身を諫めた。手前のコーラが目に入って、とっさにごくごくと飲み下した。炭酸に痛いほど喉を刺激され、ぼくは激しく咳きこんだ。
「わっ! 塚地くん大丈夫?」
「エッ、ボ……! だ、だいじょうぶ……」
とは言ったものの、酸欠で目の前は白く染まっていた。危うく救急搬送される寸前だった。ゼェゼェと息をしていると、月山が身を乗りだして背中をさすってくれた。月山への感謝がこみ上げ、負の感情が薄らいでゆくのを感じた。
「もう大丈夫。本当に」
ぼくは、なおも心配そうに腰を浮かした月山を座らせ、改めて月山と水城叶愛との関係性について訊ねた。
月山はメロンソーダで唇を湿してから、存外おだやかな表情で語り始めた。
「えっと、水城叶愛と知り合ったばかりの頃は、話してて気持ちの良い奴だなって感じたんだ。明るくて、ユーモラスで、とにかく相手を褒めるのが上手くてさ。だから、あっちがどう思ってたかは知らないけど、いつの間にか俺は友達になった気でいた」
ぼくが最初に抱いた印象も同じようなものだった。
教師やクラスメイトからの評判もそうだ。
だが、それは周囲を騙すための仮面である。
サイコパスは表面的には魅力的に見えるという。
「でも、関わり続けてくうちに、どうも様子がおかしいと思い始めた」
月山は頬杖をついて窓の外に目を向けた。
「彼女はしょっちゅう嘘をついた。しかも簡単にバレるような嘘だ。俺はたびたび指摘してたんだけど、彼女は悪びれた様子も動揺する素振りさえ見せなかった。ケロっとしてるんだ。でも、それより変だと思ったのは人を騙したのを自慢してきたことだった。正直、こいつは関わらない方がいい奴かもって考えも過ぎったよ。でも、俺は甘ちゃんだった。善良な自分に酔ってた。友達の悪いところは直してやるべきだって本気で思ってたんだ。……もちろん、それは間違いだった」
月山はメロンソーダを舐めて、泥水を啜ったような顔をした。
「道枝たちがやって来てボコボコにされたよ。最初は、どうしてあいつらに目を付けられたか解らなかった。道枝となんか、ほとんど話したこともなかったし」
道枝の名がでてくると、ぼくの胸は重くなった。融かした鉛を注ぎこまれたみたいに。月山はそんなぼくの様子には気付かず、コースターからはみ出た水滴を拭いながら続けた。
「でも、すぐに水城叶愛の仕業だと解った。道枝が漏らしたから。彼女には、そういう詰めの甘いところがある」
「同じだ。ぼくも道枝がきっかけで、裏に水城叶愛がいるって解った」
「あれもサイコパスの特徴かもね」
「えっと、未来を予測する能力が低いんだっけ?」
「うん。バレてもなんとかなると思ってるのさ。あるいはリスク回避の準備を万全に整える前に、欲求が自制心を上回って――ボロがでる」
ぼくは水城叶愛のこれまでの行動を思い返してみた。
すると、河川敷で猫を殺害した時や、道枝を監禁した時に、彼女の衝動的な部分が表出しているのに気付いた。
猫の場合は、リスクを最小限にするなら人目のつきにくい場所に行く必要があった。けれど、彼女は高架下にさえ行かず、ぼくの目の前で猫を絞め殺した。道枝の場合には、より警戒すべきだったはずなのに、彼女は手袋さえしていなかった。最初から小屋を燃やすつもりでいたのかもしれないが――。
「共感性についてはどう思う?」
とぼくが訊ねると、月山はあからさまに困惑した表情を浮かべた。愚問だろという声が聞こえてくるような気がした。
「前に水城叶愛が言ったんだ。他者を苦しめる時、ちゃんと痛みを感じるって」
「なるほど」
月山は腕を組むと宙を睨みつけながら言った。
「はっきりとは言えないけど、嘘の可能性が高いだろうね。一口にサイコパスと言っても様々なタイプに分類できるんだけど、簡単なところで言えば一次性サイコパスと二次性サイコパスという分類がある。一次性は塚地くんが学んだような典型的なサイコパス、二次性は共感性や良心の欠如が著しくないサイコパスのことを言う。でも二次性の場合、自己評価が低い傾向にある。水城叶愛は、明らかにそれとは違う」
「なるほど……」
あの一言を信じたせいで〝普通〟の人間の方に、命を殺める素質があると思いこまされた。他にも水城叶愛の言動によって心を乱され、操られたことが何度もある。そして今も、ぼくは彼女に支配され続けている――。
「もうひとつ月山くんに訊きたいことがあるんだけど」
「なんでも言ってくれて構わないよ。そのために、こうして会ってるんだから」
そう言って眼鏡を押しあげる月山の姿は、実に頼もしかった。ぼくは月山の目を見て、心からの礼を口にすると、コーラのグラスに伝った汗に目を落とした。
「実は、水城叶愛に家に来てくれって誘われてるんだ」
「彼女の家に?」
「そう。同時に、断ったら殺すって脅されてる。ぼくだけじゃなくて両親のことも殺すって。月山くんは、この脅しも嘘だと思う? それとも本当だと思う?」
嘘なら警察に通報して、それで終わりだ。ぼくの人生は台無しになるし、両親は犯罪者の息子をもつ親になる。それがふたりにどれだけの苦痛をもたらすかは、いくら想像してみたところで想像の域を出てはくれない。確かなのは、そうすることで、ふたりが生き残るということだけだ。ぼくは、両親に生きていて欲しかった。
でも、水城叶愛の言葉が本当なら――。
ぼくは月山を上目遣いに見た。
月山は腕を組んで、じっと虚空を睨んでいた。メロンソーダに口をつけることも、眼鏡に触れることもせず、しばらくの間、微動だにしなかった。
やがて、注文していたピザが運ばれてくると、ようやく月山が動いた。店員が去ったのを確認してから、彼は口を開いた。
「なんとも言えないな」
「だよね」
落胆はしなかった。そもそも期待していなかったからだ。
月山は、ぼくの皿にピザを二ピースのせて寄越すと、こう続けた。
「情報が足りない。さっき未来を予測する能力について話したけど、正直に言うと俺は、水城叶愛には人並みのリスク予測ができると思ってる。だから、彼女が実行に踏み切るかどうかは、相応しい状況や準備が整っている場合、あるいは」
そこで月山はいったん言葉を切り、自分のピザを手元にひき寄せてから、ぼくを鋭い眼差しで見つめた。
「塚地くんに並々ならぬ執着を抱いているかどうかにかかってる」
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