第24話 発覚

「……どうしてここにいるんだよ」


 水城みずき叶愛とあは申し訳なさそうに肩をすくめてみせた。


「ごめんね。勝手にお邪魔しちゃって」

「気にしないで叶愛ちゃん。それより、あんなことがあって学校大変だったでしょう?」


 ぼくらの間に、母が割り込んできた。

 水城叶愛は上目遣いに、ぼくの母を見返した。


「実は、マスコミの人につかまっちゃって……それではぐれちゃったんです。ホントは一緒に帰りたかったんですけど」

「あら、そうなのね!」


 母は両手を打ち合わせて嬉しそうに笑った。

 違うんだ。ぼくは叫びだしたくなった。

 この女は人殺しなんだ。


「もっと早く言って欲しかったわ。こんなに可愛い彼女がいたなんて――」

「そんなんじゃないッ!」


 ぼくの怒鳴り声が母の言葉を遮った。

 母は目を丸くして、ぼくを見返した。

 ぼくは、たまらず目を背けた。母を怒鳴ったのなんて、これが初めてだった。


「そ、そんなに怒らなくてもいいじゃない? 照れくさいのは解るけど」

「事件のことでピリピリしてるだけですよ。塚地くん、普段はすごく優しいですから」


 水城叶愛は、ぼくら親子の間をとり持つようなことを言った。

 嘘、演技、芝居だ。

 でも、母もすっかり騙されている。

 ぼくは水城叶愛を睨み付け、その腕を摑んだ。無理やり廊下まで連れ出して、リビングのドアを叩き閉めた。


「どういうつもりだ」

「もー、強引だなぁ。奥手そうな子ほど、ムッツリだったりするもんだよね」

「どういうつもりだって訊いてるんだよ!」


 ぼくは水城叶愛の肩を摑んで壁に押し付けた。

 たちまち彼女の笑みが冷徹なそれへと変わった。


「こんなところで言い合ってると、お母さんにバレちゃうよ?」


 見えないナイフでぺちぺちと頬を叩かれるような心地がした。

 ぼくはリビングのドアを見やり、その向こうで聞き耳を立てる母の姿を想像した。摑んだ手を放さざるを得なかった。

 水城叶愛はにっこり笑うと、その顔を近づけてきた。


「塚地くんの部屋が見てみたいなぁ」


 奥歯が軋んだ。怒りで頭が沸騰しそうだった。

 けれど、ぼくに拒否権はなかった。

 深呼吸をして不承不承、二階の自室まで案内した。


「勝手にぼくの物に触るなよ」

「あいあーい」


 水城叶愛はじっくりと部屋の中を見回し、「フツーだね」とつまらなそうに感想を述べた。そして、ぼくの許可も得ずベッドにどんと腰を下ろした。

 いちいち癇に障る奴だ。だが、これは挑発だ。乗せられてしまっては相手の思う壺だ。

 ぼくはまた深呼吸をしてから、とりあえず母が入って来られないよう部屋の鍵を閉めた。水城叶愛がおどけた表情で自分の両肩を抱きしめる仕草をした。


「やだー、塚地くんだいたーん! 私のことどうするつもりなのー?」

「うるさい。黙れ」

「我慢できないんだぁ? 思春期だもんね。私はいいよ? 私とシてみたい? もしかして塚地くんって童貞?」

「ふざけるな! どうして、この家を知ってるんだ!」


 怒鳴りつけられても、水城叶愛は平然としていた。それどころか声をあげ両手を打ち鳴らしながら笑った。


「もー、こわいよぉ。普段から、それくらいピリピリしてれば、お家も知られずに済んだのにね」

「要するに、後をつけてきたんだな」


 水城叶愛は爪先で弧を描くように、投げだした足を内へ外へと動かし始めた。


「人聞きが悪いなぁ。乙女心じゃん。私といない時の塚地くんってどうしてるんだろうって気になったんだよ」

「カメラでも仕掛けてるんじゃないだろうな」


 日野のことが思い出された。弱みを握られた相手に監視され続けた彼は、最終的に自殺という道を選んだ。


「心外しんがーい。中まで入ったのは今日が初めてだし。べつに日野っちみたいな目に遭って欲しいわけでもないよ」

「じゃあ、何が目的なんだ……?」

「やっぱり私が打算で動いてると思ってるんだ? 違うってば。ただ友達と楽しみを共有したいんだよ」


 またそれか。眩暈がしてくる。

 この女の言うことは嘘ばかりだ。

 ぼくを利用して、苦しむ様を見て、愉悦に浸ろうとしているだけだ。

 でも、ぼくに何ができる?

 そう思った途端、心に張り詰めていた糸がぷつんと切れる音がした。


「勘弁してくれ。無理だ。もう耐えられないんだよ……」


 ぼくは天を仰いで、ほそく長い息を吐いた。両手で目元を覆い、ドアにもたれかかって、ずるずると沈んでゆく。


「人でも動物でも関係ない。苦しんで悶えてるところなんて、もう見たくない。死ぬところだって。もう嫌だ。許してくれ。ぼくが悪かった。ぼくが全部わるかったから……」


 はは、と水城叶愛が笑った。


「図々しいなぁ。いまさら許してだなんて。許されるわけないじゃない。キミの言う通りだよ。キミは悪かった。私を放っておいたらどうなるか解ってたはずだもん。なのに、自分が捕まっちゃうのが怖くて通報さえしなかった。ミッチー、可哀想だったよ? 燃える小屋の中でさ、助けてぇ、許してぇって、ずぅーっと泣きながら喚きまくってたんだから」


 水城叶愛の弾む声がズブズブとぼくの胸を抉った。今すぐ耳を塞いでしまいたかった。けれど、ぼくにそんな資格はなかった。彼女の言う通りだからだ。道枝は、ぼくのせいで死んだ。あの場で、無理やり彼女を押さえつけることだってできたはずなのに。すぐに警察へ通報していれば助けられたかもしれないのに。

 ベッドのスプリングの軋む音がして、トントンと足音が近づいてきた。

 顔を上げると、水城叶愛に見下ろされていた。彼女は、怯えるぼくの頭を優しい手つきで撫でてきた。


「でもね、塚地くん。そんなに自分を責めなくていいんだよ。ミッチーだって悪かったんだから。放っておいたら、キミはミッチーたちに殺されてた。正当防衛だったんだよ。は、私たちの正義を執行した。ただそれだけ。それだけでいいじゃん」


 そんな屁理屈で許されるはずがない。解っていた。解っていたのに、彼女の言葉がズタズタになった心を癒してくれるような気がした。この心の痛みから逃れられるなら――と、つい彼女の方便に縋ってしまいたくなった。


「大丈夫だいじょーぶ」


 水城叶愛が屈みこんでくる。同じ目線の高さから、ぼくの目をじっと覗きこんでくる。また優しく頭を撫でられて、ゆっくりと抱き寄せられた。ぼくはされるがままに、彼女の紡ぐ言葉を聴いていた。


「これからも相手はちゃんと選ぶから。日野っちやミッチーみたいな悪い人をね。私たちにしかできないことをしようよ。世の中が悪いって言っても、世の中のためになることをさ。もちろん、裁くだけじゃない。録画用だけどさ、私の持ってるカメラをあげるよ。それで撮影も続けよ? 裁かれた人たちの、せめてもの弔いになるように」


 水城叶愛の言葉が、頭の中を蕩かすように沁みわたる。一言一句が罪の意識を軽くする。どうせ許されないのなら、とことんぼくらの信じる正義を遂行してゆけばいい。そんな気がした。

 恐るおそる、ぼくは腕を伸ばした。

 水城叶愛の抱擁に応えるために。


 その時、彼女の肩越しにが見えた。


 学習机の上に置かれた、それはいつか父がプレゼントしてくれたフィルムカメラだった。

 たちまち、頭の中の靄のようなものが吹き飛んだ。

 ぼくは、彼女の肩を摑んで押しやった。


「……ぼくは、道枝を撮ってないぞ」

「は?」

「ぼくの写真が弔いになるなら、道枝の魂はどうなんだ」

「ミッチーの魂?」


 意表を衝かれたのか、水城叶愛はぽかんと口を半開きにしたまま固まった。

 一拍の間を置いて、いつもの微笑みが表情を繕った。


「例外だっているって。月山くんだって、ひどい目に遭ったんだよ? 彼の心の傷は一生なおらない。それが原因で諦めなくちゃいけないことも、たくさん出てくると思う。ミッチーがやったことは、それだけひどいことなんだよ。ミッチーは地獄に堕ちるべきだったんだよ」

「ほんとうに?」

「そうだよ。あの時の仕打ちは――」

?」

 

 水城叶愛は顔色ひとつ変えなかったが、返答に窮したように短い沈黙を生じた。


「……当たり前じゃん」

「あの時、道枝は言ってた。『そもそも月山の時だってお前が』って。道枝はあの後になんて言おうとした? こう言おうとしたんじゃないのか」


 ぼくは立ち上がって、水城叶愛をめ下ろした。


「『裏で指図してたんだろうが』って」

「……」


 また沈黙。

 水城叶愛の顔から次第に表情が消えてゆき、やがて能面のようなそれへと変わった。

 ぼくらは睨み合った。

 意外にも水城叶愛の方が先に目を背けた。項垂れ床に手をつけば、ゆっくりと時間をかけて立ち上がった。

 異様な迫力を感じて、ぼくが二の句を継げないでいると、彼女の肩が小刻みに上下した。そして、がばりとぼくを見上げた。


「バレちゃったかぁ」


 その顔には満面の笑みが浮かんでいた。

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