第12話 私刑
「日野っちの家だからに決まってるじゃん」
彼女の言い分はもっともだった。
衝撃的ではあるにせよ、部屋の主がみずから命を絶つこと自体に不自然なところはない。加えて、あの日野である。いつかこんな日がやって来るような気はしていた。
だが問題は、これが本当に自殺なのかどうかだ。
「……どうして、先生を殺したんだ」
自殺であるはずがないと、ぼくは確信していた。
ぼくらが、ここにいるのがその証拠だ。
自宅のアパートで死亡している日野の姿を偶然目にすることなど有り得ない。その手で殺害したからこそ、水城叶愛は、日野が死んでいることを知り得たはずなのだ。
ついに人を手にかけた。
まさか、こんなにも早くやってのけるとは。しかも相手は、ぼくらの通う高校の教師だ。さすがに、どうかしていると思った。
「心外だなぁ」
水城叶愛は大仰に肩をすくめて言った。
「私が日野っちを殺したって思ってるの?」
「当たり前じゃないか。他に誰が先生を殺すんだ」
「日野っちを恨んでる人なら大勢いるんだけどなぁ」
そう言うと彼女は、突然、スカートの裾をつまんで脚を扇ぎだした。
ぼくは慌てて顔を背けた。
「ちょっと! 何やってんだよ!」
「もー、大きな声だしちゃダメじゃん。壁薄いんだから」
ぼくはとっさに両手で口を塞いだ。
水城叶愛は扇ぐのをやめなかった。
スカートから伸びる生足に薄らと汗が浮いている。視線が吸い寄せられそうになるのを必死で堪えながら、ぼくは言った。
「と、とにかく、どういうことなんだ。先生を恨んでる人が大勢いるって」
「こういうことだよーん」
水城叶愛はスカートをさらに捲り上げた。見えてはならないものが見えてしまいそうで、ぼくはついに目を瞑った。
「ふ、ふざけるなって……!」
「ふざけてないよー。日野っちは、こういうのが大好きだったんだから」
一段、声のトーンが下がり、パタパタと扇ぐ音が消えた。
恐るおそる瞼を上げると、水城叶愛が自分のリュックの中をまさぐっていた。
「ほい、これ」
と差し出されたのは、クリアファイルに収められたコピー用紙の束だった。透けて見える最初の一枚には『自由研究』の題が印刷されていた。
もう夏休みは終わったのに自由研究? そもそも高校生のぼくらに自由研究の宿題なんて出ていなかったはずだ。
何がなんだか解らないが、訊ねるより中を見た方が早そうだった。そうして一枚目をめくった途端、ぼくはそれを投げ出しそうになった。
「な、なんだよ、これ……!」
「それが日野っちのやってきたことだよっ」
声を弾ませながら彼女は言った。どうして、そんな態度でいられるのか、ぼくには理解できなかった。
そこにはメッセージアプリの画面がカラー印刷されていた。画面の上部には画像が添付されていた。真っ先にぼくの注意を引き付けたのが、その画像だった。
画像には一糸まとわぬ少女の姿が写し出されていた。少女の髪はひどく乱れ、まなじりからは涙が流れ出ていた。乳房や脇腹には青々とした痣。そして陰部には怒張した男性器が――。
明らかに、これは少女をレイプしている写真だった。
腹の底から苦いものが込み上げてくるのを、ぼくは必死に呑み下した。しかし画像の下にぶら下がったメッセージを読むと、またぞろ胃を蹴り上げられるような吐き気に襲われた。
『――まで来い。来なかったら、この写真をバラ撒く。もちろん動画もある。こんなものが流出したら、どうなるかわかるよな?』
メッセージの相手は、写真の少女とみて間違いなさそうだった。『やめてください』とか『許してください』といった内容のレスポンスが表示されていた。それに対する返答は、デジタルタトゥーの恐ろしさを延々と説く血も涙もないものだった。
このやりとりの後、少女がどうなったのかは想像に難くなかった。
耳元を飛びまわるハエの羽音が、少女の悲鳴のように聞こえた。ぼくはまともに立っていることもできなくなって、その場に
すると、水城叶愛が屈みこみ、ぼくの目をじっと覗きこんできた。
「許せないよねぇ」
「……日野先生は、本当にこんなことを?」
「ホントだよ。だから日野っちは罰を受けたの」
罰。
ぼくは日野の亡骸を見やった。狭苦しいクローゼットの中で、腐臭と糞尿の臭いをまき散らすそれを。
「きみが罰を与えたってこと?」
「だから私じゃないって。見ての通りだよ。日野っちは自分で首を吊って死んだの」
「本当にきみが殺したわけじゃない……?」
「私は、それを日野っちに送っただけ」
水城叶愛は、先ほどのコピー用紙にあごをしゃくってみせた。
「手紙も同封したけどね。日野っちが女の子を脅しつける時の文言を、ちょっとマネしたりしてさ。こんなものが流出したら、って具合にね」
「つまり、自殺するように仕向けた……?」
「結果的にそうなったの」
水城叶愛はそう強調した上で、口元に拳をあてクスクスと笑い声をあげた。
「手紙は、どのくらい送ったんだ?」
「毎日かなぁ」
水城叶愛がスッと目を細めたのを見て、身の毛のよだつ思いがした。
いつから日野を脅していたのかは知らないが、毎日あんなものを送り続けるなんて正気の沙汰とは思えなかった。
だが、妙に腑に落ちることもあった。
日野がいつも死人のような顔つきをしていたことだ。あれは、彼女に脅迫されていたからだったのだ。
「世の中には死んだ方がいい人間だっているんだよ」
水城叶愛は日野の死体を見ながらニヤニヤと笑った。
その態度があまりにも冷酷に思えて、ぼくは返す言葉を探した。
けれど、彼女はその隙を与えなかった。
「そんなことないとは言わせないよ? 日本社会はそれを認めてるじゃん。死刑制度がそうでしょ。こいつは社会に害しか与えない、更生なんて望めない、そう判断された人たちが殺されてきた。これからもそう」
だけどね、と殊更クローゼットの骸を見つめながら、水城叶愛は言葉を紡ぐ。
「死刑に該当しない人間の中にだって、死んだ方がいい人間はいるんだよ。強姦は心の殺人なんて、よく言われるよね。なのに、彼らは死刑にならない。性犯罪の再犯なんかもよく問題になるでしょ。じゃあ、日野っちが捕まってたとして、同じことを繰り返さなかったって言えるかな?」
「だから、日野先生を殺したっていうのか……?」
「やだなぁ、自殺だってば。でも、司法が正しく罪人を裁けないとしたら、誰かがそれをやらなくちゃいけないって思わない? それとも塚地くんは、日野っちを放置すべきだったって思うの?」
「そうは思わないけど……」
それでも水城叶愛の考えには同意できない。
では、どうすべきだったのかと考えると、それも解らない。司法に処分を委ねることが時間稼ぎにしかならないのだとしたら、破滅的な苦しみは拡がり続けることになる。一方で、そのような理由があれば命を奪ってもいいのかと言われると――。
「あんまり難しく考えなくていいんだよ。社会の中だけが、私たちの居場所じゃないんだから」
いつの間にか、水城叶愛の囁きが後ろから聞こえた。驚いて振り返ると、彼女は日野のほうにあごをしゃくり、ぼくの両肩にそっと手をのせてきた。
「間違ってるのなんて、とうに解ってたじゃん」
肩から腕に、腕から胸に、水城叶愛の手が下りてゆく。
やがて、ぼくを抱きしめるような格好になると、ぼくの首に提がったカメラを、ゆっくりと手に取った。
「それでもキミは撮ってきた」
心をとろかすような囁きとともに、ファインダーの景色が視界に重なる。
とたんに、ぼくの理性は燃え始める。そして、折原寧子を撮影した、あの昂りが、ぼくの全身を支配していった。
先ほどまで、ぼくは納得しようとしていた。
どうして日野が死ななければならなかったのか、と。
でも違った。そんなことはどうでもよかったのだ。
折原寧子の死体を撮影した時だって、彼女がなぜ殺されなければならなかったのかなんて考えもしなかった。彼女がどんな人生を歩んできたかなんて知る由もなかった。それでも彼女は美しかった。
写真には物語が生まれるものだ。
けれど、死体を撮るのに物語など不要なのだ。
撮影者の意思が、写真に物語を生み出すのではない。
適切に撮られた一葉は、おのずと語るのだ。
だから、ぼくはただ被写体を完璧に切り取ることだけを考えていればいい。
シャッターボタンが押される。ハエの羽音を裂いてシャッター音が鳴り響く。
ぼくが押したのか、水城叶愛がそうさせたのかは解らない。
どっちだっていい。
「私たち、これからも一緒に間違えていこうね」
ぼくらは一蓮托生だ。
水城叶愛が殺し、ぼくが撮る。
そこに、ぼくらそれぞれの生きがいがある。
社会とは別の、誰にも知られてはいけない居場所が。
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