第22話 崩壊

 それは道枝の死亡を裏付けるニュースだった。

 ニュースキャスターは小屋で火災があったこと、その中から身元不明の死体が発見されたことを伝えていた。

 ぼくは昨夜聞いた消防車のサイレンを思い出してトイレへと駆け込んだ。

 便器に頭を突っ込むと、今しがた無理矢理おしこんだ朝食をすべて吐き戻してしまった。

 そこに母が駆けつけてきた。ドンドンとドアを叩いて、どうしたのとヒステリックな声を上げた。


「大丈夫っ」


 と、ぼくは応えた。直後、また吐き気がこみ上げてきて、えずいた。

 大丈夫なはずがなかった。

 道枝は水城みずき叶愛とあに殺された。拷問された挙句、炎の中で焼かれて死んだのだ。

 ぼくは道枝が殺される寸前まで、あの場にいた。彼女が道枝を解放するつもりがないのは解っていた。解っていながら小屋をとび出し、通報することもしないまま、めそめそと自分を慰め続けた。

 あの場で水城叶愛を拘束していれば、道枝は確実に死なずに済んだ。逃げ出してしまったとしても、通報さえしていれば助かる望みはあった。しかし、ぼくはそのどちらも選ばず、水城叶愛を野放しにした。道枝を見殺しにした。我が身の可愛さ故に、決して許されない選択をしたのだ――。


「本当に大丈夫? 今日は学校休む?」

「やすむ……?」


 その言葉は、ぼくを激しい焦燥で苛んだ。

 休んではいけない。学校には行かなければ――そう強く思った。


「ほんとに大丈夫だから! ご飯が変なところに入っただけだよ!」


 客観的に見れば、ぼくには道枝を殺す十分な動機があった。道枝の死の前後に学校を休んでいると警察に知られたら、不審に思われる恐れがあった。

 ぼくは保身のために道枝を見殺しにしたのだ。なのに、そんなつまらないことで捕まったら、なんのために見殺しにしたのか解らない。


 「……ふっ、ふふ」

 

 なんてひどい考えだろう、とぼくは自分自身を嗤った。

 ぼくは道枝の死をつまらない理屈で正当化しようとしている。

 自分が助かりがために。この期に及んで。バカバカしくてたまらない。


「ふはッ……あっ、うぅ……」


 自己嫌悪と罪悪感とに溺れおぼれて涙がでた。

 いっそのこと死にたかった。

 そう思ったら、また自分が嫌になった。

 死にたいなんて逃げだ。卑しい自己憐憫でしかない。

 ぼくの果たすべき責任は、真実を明るみにさらけ出すこと――あの時、押せなかった最後の番号を押すことだけなのだ。

 なのに、ぼくは便器の前で、いつまでも惨めったらしく項垂れていた。




――




 ひどく体が重い。吐き気がする。

 ホームルームもまだなのに、すでに三度もトイレへ駆け込んでいた。もちろん中身はでなかった。口の中に酸っぱい味が拡がるだけだった。

 教室の喧騒がボヤボヤと聞こえる。あたかも自分だけが汚い水の中で溺れているかのように。


「……みず」


 それは河原を連想させ、道枝を思い出させた。

 また喉元まで吐き気がせり上がってきて、ぼくはその場でえずいてしまう。


「ちょっと塚地ぃ、あんた大丈夫?」


 突然、肩を叩かれ、ぼくは顔を上げた。すると、髪にピンク色のメッシュを入れた女子生徒が、ぼくの顔を覗き込んできた。

 一度もまともに話したことのない相手だが、水城叶愛と仲が良くクラスの中ではよく目立っていた。水城叶愛の存在を感じさせられるだけで、ぼくは泣きそうになった。背中に突き刺さるような視線を感じるのは、きっとぼくの思い込みではなかった。


「うわ、ホントやばいよ塚地! 顔色サイアク。ちょっと休んできた方がよくね?」

「そ、そうかな……?」

「うん、マジやばい。無理すんなって。風邪だったら無理しても良いことないし。それともなんか悩んでる系? 全然ウチが話聞いてやるよ」


 ピンクメッシュの彼女は真剣な面持ちで、そう言ってくれた。けれど、ぼくの中からこみ上げてくるのは苦い笑いだった。悩みならあるに決まっている。しかし、真実を打ち明けるわけにはいかない。だから、ぼくは追い詰められているのだ。


「マジじゃん? 塚地やばいよ」

「すごい涙目だし。めちゃくちゃ無理してんじゃん?」


 ピンクメッシュの友人がぞろぞろと集まってきた。ぼくは彼女たちの優しさに感謝した。だが、それは束の間に消し飛ばされた。見知った顔が、ぼくの顔を覗き込んできたからだ。


「ホントだ。すごく辛そうだね」


 水城叶愛だった。

 ぼくは、かろうじて叫びを呑み込んだ。

 ところが次の一言で、ぼくの恐怖のメーターは限界を超えてしまった。


「私が保健室まで連れてってあげよっか?」

「やめろ……ぉッ!」


 ぼくは席から飛び上がり、椅子ごとその場に倒れこんだ。

 教室中の視線が一斉に突き刺さり、どよめきが起こった。

 ぼくは教室の中を見渡してから、定まらない視線を水城叶愛の足下のあたりに向けた。


「だ、大丈夫だから、ほんとに……。みんな、ありがとう……」


 そ、と何事もなかったかのように水城叶愛は言った。

 群れた女子の中から「なんなん?」と困惑した声が上がった。

 すると水城叶愛は「それよりさ」と、すぐさま話題を転化した。ぼくはそれを背中を耳にしたように聞いていた。

 なぜ仲間の注意を逸らした?

 ぼくは考えた。そして、ある結論に至った。


 ぼく自身もまた水城叶愛のターゲットなのではないのか、と。


 彼女は、ぼくがこうして苦しむ様を見たいのだ。自責の念に苦しむぼくが他者からも責められたいと望んでいることを察して、仲間の注意を逸らしたのだ。


「はーい、座れすわ――」

「オエェ……ッ!」


 担任が教室にやって来たのと同時に、ぼくはその場で嘔吐した。教室は騒然となり、ぼくは保健室に担ぎ込まれた。

 水城叶愛が来たらと思うと震えが止まらなかった。足音が聞こえると叫んでしまいそうになった。さいわい保健室には担当の教師しか姿を現さず、やがてぼくは眠ってしまった。


「――くん。塚地くん」


 名前を呼ばれ、目を覚ますと母が迎えに来ていた。

 母の顔を見た瞬間、ぼくは子どものように泣き出してしまった。それは家に帰れるという安堵で、優しい母に対する後ろめたさで、まだ自分が生き続けていることに対する絶望だった。

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