第8話 素質
キジトラの隣に白猫を並べた。高架下の暗がりに生えた短い草叢の中だ。
ついさっきまでカラスがキジトラの死肉を啄んでいたけれど、ぼくらが様子を見に近づいて行くと低く飛んで距離をとられてしまった。今は近くの遊歩道まで戻ってきたものの、警戒しているのか死骸には近づこうとしない。辺りをぴょんぴょんと跳ねてこちらの様子を窺っている。
貪欲な漁り屋を、ぼくも見るともなしに見ていた。
撮影の興奮が静まった今、ぼくは自分の気持ちと向き合わざるを得なくなっていた。殺された白猫のことを思うと心臓が潰れてしまいそうになる。ぼくが
ふと隣の水城叶愛を見やると、彼女はじっとカラスの動きを目で追っていた。何を考えているのか、ちっとも解らないが、自責の念に苦しんでいるようにはとても見えなかった。
「……怖くないの」
沈黙に耐えかねて、ぼくが訊ねると、水城叶愛はぼくを一瞥した。おもむろに雑草を一束つかむと、それを退屈そうに引き千切った。
「殺すことが?」
「うん……」
「怖いよ。怖いし気持ち悪い。罪悪感だって、ちゃんと感じるよ」
意外な答えだったので、ぼくは「え」と声を漏らしてしまった。
水城叶愛は、そんなぼくを見返して、にっこりと笑った。
「信じられない?」
「ちょっと」
「心外だなぁ」
と言いつつ、水城叶愛はおかしそうに笑った。高架下を反響した笑い声が満たした。
やがて笑いの波が去ってしまうと、彼女はカラスの方へと向き直ってしまった。
けれど、それで会話を打ち切ったわけではなかった。私も塚地くんと同じだよ、と呟くように彼女は言葉を紡いだ。
「相手が人でも猫でも傷つけたら痛みくらい感じるって。相手の家族、友人、恋人、それに未来に待ってる幸せとか、そういうのまでは、いちいち想像しないけど。申し訳なく? 思うよ。でも、快感の方が勝っちゃうんだよね」
「正直、その、ドン引き。ぼくには……その痛みのハードルっていうか、越えられそうにないな」
水城叶愛は、またおおらかに笑った。
「引かないでよ。てかさ、ハードル越えられないとか言うけど、猫が死んだ時、無我夢中って感じで撮ってたじゃん。すごく楽しそうだったよ?」
「それはそうなんだけど……今は胸が痛いんだ」
「じゃあ、もう止める?」
香水の匂いがふわりと香ったかと思うと、水城叶愛が顔を寄せてきた。じっと目を覗きこまれると、何もかも見透かされているような気がして身が竦んだ。
いや、違う。
ぼくが恐れているのは、ぼく自身だ。ぼく自身が、自分の本性と向き合うのを拒んでいるのだ。
そこに水城叶愛が囁きかけてくる。想像してみて、と。子どもを諭すような優しい口調で。
「この先、ずうーっと死体を撮れなくなったらって。どう? 耐えられる? 三年生になって、高校卒業して、それから後もながーい人生が待ってるのに」
「わ、わからない……」
正直、想像したくなかった。
楽しみを奪われることも、命が奪われてゆくところも。どちらも。
けれど、水城叶愛は容赦がない。滑らかに言葉を紡いでゆく。
「あまーい蜜の味は、なかなか忘れられないよ。いつか耐えられなくなる時が来る。我慢する苦しみより、殺して撮る苦しみの方が軽くなるの。そもそも塚地くんは、ちょっと勘違いしてるみたいだね。命を奪うのって、キミが思ってるほど特別なことじゃないんだよ」
ヒュッと音をたてて風が吹き抜けた。高架下に吹く風はいやな湿り気と冷気を帯びていた。とうとうカラスが飛び立った。ぼくはその後を追いかけたくなった。けれど、ぼくは風が残していった異様な重みに囚われて、ぴくりとも動くことができなかった。
「ところで、ポケット六法とか持ってる?」
突然、予想だにしない方向へ話題が切り替わって、ぼくは言葉を失った。
「まあ、ないか」
沈黙は否と解釈されたようだった。実際、ポケット六法なんか持っていなかった。
「じゃあ、法律書なんて読んだことないよね?」
「まさか水城さんは全部読んだの?」
この謎めいた少女なら、それくらいのことはやってのける気がした。
水城叶愛は大仰に顔をしかめると顔の前で手を振ってみせた。
「ないない。あるわけないじゃん。長いし、まわりくどくて読みづらいもん」
「でも、多少は読んだんだろ?」
「興味のあるところだけね。それで解ったことがある」
「なにが解ったの?」
「人を殺しちゃいけませんなんて法律はないってこと」
ぼくは思わず眉根をよせた。
何をバカなことを言ってるんだ?
その反応があからさまだったからだろう。水城叶愛は剣呑に目を眇めると、いきなりぼくの肩を軽くパンチした。それからぷっと吹き出して、挑発するように八重歯を覗かせた。
「いま言ったのはホントのことだよ」
「ほんとなもんか。殺人罪があるだろ。わざわざ法律書なんか読まなくても、それくらい誰だって知ってるよ」
「そう。人を殺したら捕まって刑務所に収容される。でも、それは殺人を犯したことに対する罰でしかない」
ぼくは腕を組んで、水城叶愛に訝った目を向けた。
からかわれていると感じたが、やがて、彼女は至極単純なことを言っているだけなのだと気付いた。
「罪を犯した際の罰は書かれてるけど、これこれの罪を犯しちゃいけませんとは書いてないって言いたいのか?」
「そうそう」
「つまり、法律に犯罪それ自体を無力化する力はないみたいな話?」
「そういうこと。人を殺そうとした瞬間、金縛りにあって動けなくされたり、牢屋に瞬間移動させられたりはしない。その気になった人は止められないんだよ」
水城叶愛は腕にとまった蚊をぺちんと叩いた。その手をどけると、潰れた蚊から血の赤色が滲んで見えた。ところで、と彼女はまた話題の行き先を変える。
「サイコパスって人殺しの代名詞みたいに言われるでしょ。でも、それを取り扱う分野にもよるけど、広義には彼らってかなりの数いるって言われてるんだよね」
「へぇ」
「つまり、彼らは厄介な存在には違いないけど、必ずしも反社会的な振る舞いをするわけじゃないってわけ。なのにサイコパスといえば殺人鬼みたいな図式ができあがってる。どうしてだと思う?」
「ただの偏見だろ」
そうかもしれない、と水城叶愛はあっさり認めた。拍子抜けするような答えだったが、もちろん彼女の言葉には続きがあった。
「でも、私はこう思うんだ。〝普通〟の人たちは、サイコパスを〝特別〟だって思いたいんじゃないかって」
「サイコパスって共感性に乏しいとか良心の呵責を感じないとか……だよな?〝普通〟の人たちは、つまり自分はそうじゃないって信じたいと思ってる?」
そうそう、と水城叶愛は両手を打ち鳴らした。
「〝普通〟の人たちは、サイコパスを人殺しの代名詞にすることで、自分は人殺しなんかできない、そんなこと考えもしない善良な人間だって思い込みたいんだよ。実際は、きっとそうじゃないし、そうじゃないって解ってるからこそね。カッとなって
その時、また鋭く風がふき抜けた。
全身の毛がサアッと逆立つのが解った。
水城叶愛は自分の胸を指さしてから、その指をぼくの胸に突きつけてこう結んだ。
「あんがい殺人を犯す素質って〝普通〟の人の方にあるのかもしれないよね」
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