僕と尾崎先生の怪異事件簿

星雷はやと

第1話 桜の舞



 桜が舞い散る東京。


 温かな日差しを受けながら、路面電車がビルの間を通り抜ける。

 その大通りから一本裏道に入ると、竹林に囲まれた和風の屋敷が静かに佇んたたずでいる。


「此処だよね?」


 屋敷を見上げて唾を飲み込んだ。


 僕は早乙女春一さおとめはるいち

 一週間前に上京したばかりの新卒者だ。本来なら今頃、新人研修を本社のビルで受けている筈だった。しかしある事情で僕は、この屋敷を訪れたのだ。


 此処に住む尾崎先生に助けを求めて。


「すぅ……はぁぁ……」


 深呼吸をし緊張を和らげる。紹介主から命綱と言われた風呂敷包みを抱え直し、屋敷の門を通りぬけた。


「ご、ごめんください!」


 玄関扉の前に立つと呼び鈴がない事に気が付いた。仕方がないので、扉に向かって声を張り上げた。


「……お留守かな? 鬼瓦さんは何時も家に居るって言っていたけど……」


 静かな屋敷に僕の声だけが虚しく響いた。如何やら留守のようだ。此処を僕に紹介してくれた、鬼瓦さんは常に家に居るから大丈夫だと話していた。

 彼の帰宅を待とう。先生だけが僕の頼りなのだから。


 突然、目の前の玄関扉が勢い良く開いた。


「わっ!? えっ!!?」


 そして僕は伸びてきた手に腕を掴まれ、屋敷へと引き摺り込まれた。





「馳走になった」

「はぁ……お口に合って良かったです……」


 座卓の上に並ぶのは空になったお重達。風呂敷包みの中身は稲荷寿司だった。


 そしてそれらに対して、丁寧に手を合わせる銀髪の男性。僕は彼の態度に曖昧あいまいな返事を返した。


 先程玄関で僕を引き摺り込んだのは、この着流し姿の彼だった。如何やらお腹が空いていたようで、持参した稲荷寿司は全て彼の胃袋に収まってしまった。鬼瓦さんから命綱と言われ用意した稲荷寿司を失って大丈夫だろうか?


「さて、自己紹介がまだだったな。私は尾崎慎おざきまこと。この家の主人だ」

「あ、初めまして。僕は早乙女春一と申します」


 如何やら男性は僕が頼って、訪ねた尾崎先生だったようだ。無事に会う事が出来た事に、安心をしながら自己紹介をする。


「ふむ。春一、依頼で参ったな。それは面白い事か?」

「……え……」


 彼の言葉に僕は素直に驚いた。


 僕は名前も今名乗ったばかりだ。それに尾崎先生は小説家だ。初対面とはいえ、普通は編集者や関係者だと考えるのではないだろうか。訪れた人間を『依頼』で来たと、判断出来るのは何故だろう?


「不思議か? 簡単な事だ。お主は大学を卒業したばかりで、本来向かうべき職場に赴けない理由があり此処に来た。その事は真新しいスーツに靴を見れば分かる。仕立ての良い物を着るには、それなりの給金が必要だ。その様な職を得ている人間が、昼間から私を訪ねる理由は一つだ。加えて私の編集担当は長続きしない。故にその役は不在であり、此処を訪れる者はごく限られている。最後に稲荷寿司を持参したという事は、鬼瓦からの紹介だ。つまり、お主は確かな依頼主だ」

「す、凄いです!! その通りです!!」


 すらすらと言葉を紡ぐつむ尾崎先生。何も話していないのに僕の事は勿論、疑問に思った事まで説明をしてくれた。

 この人なら僕が抱えている問題にも答へと導いてくれるだろう。

 そう思うと嬉しくて身を乗り出した。


「……まぁ、これくら造作ぞうさもない」

「そうなんですか!? 流石です!!」


 菫色すみれいろの瞳を見開く先生、驚かせてしまったようだ。僕は座り直した。


「それで、その依頼は面白いのか?」

「面白いかはわかりませんが。尾崎先生は最近起きている、児童連続失踪事件をご存知ですか?」

「知らんな」

「……ご説明しますね」


 先生は意外にも事件の事を知らなかった。説明をする為に口を開いた。


「児童連続失踪事件は、名前の通り児童が連続して失踪している事件です。目撃情報から、犯人とされる者は現行犯で三日前に逮捕されました。しかし犯人は他の誘拐に対しては容疑ようぎ否認ひにんし、子ども達は誰一人として発見されていません」


 この事件で居なくなった子ども達は十人以上にもなり、日々テレビや新聞を初めネットニュースなどで取り上げられている。

 被害者の子ども達の付近で目撃されていた不審者が、連れ去ろうとした現行犯逮捕されたのだ。

 その知らせに皆が安堵あんどしたが、新たな問題が発生した。

 それは犯人が最後の事件以外を否定し、子ども達が見付からないのだ。


「つまり、その童達わらしたちを見付けろという事か?」

「はい」


 尾崎先生が僕の求める言葉を紡いつむだ。流石は先生だ話が早い。僕は素早く頷いた。


「断る。つまらん」

「……え……」


 僕の期待をバッサリと切り捨てるかの様に、冷たく言い放たれた。


「……っ! つまるつまらないの問題ではありません!! これは死活問題なんです!!」

「知らん」

「被害者達である子ども達を見付け出させないと、会社をクビになるんです! 会長のお孫さんが被害者で、オリエンテーションで偶然出会った僕に八つ当たりしたんです! しかもこれ正式な辞令じれいなんです! お孫さん見つけないと路頭ろとうに迷う事になるんですよ!? 助けてください!!」

「知らん」


 断り続ける先生に対して、僕は必死に言い募る。


 そう僕は新人研修前のオリエンテーションにて目が合っただけで、会長からお孫さんを見つけ出さなかったらクビと告げられたのだ。一体僕が何をしたと言うのだろう?

 突然不当とつぜんふとうな事を言われ、更にはそれが正式な辞令として下された。無慈悲むじひである。

 しかも期限は三日間ときた。警察が全力で探していて見付からない者達を、大学を出たばかりの僕に見付けられる訳がない。完全に詰んでいる。そして公園で困り果てていたら、鬼瓦さんに出会い尾崎先生を紹介されたのだ。


「何でもしますから!! だから、お願いします!!」


 わらにも縋るすが思いで叫び、頭を下げた。


 子ども達を探し出す動機どうき不純ふじゅんで大変申し訳ない。しかし、僕の生活もかかっているのだ。それに動機を偽ったところで、彼にはその事を見抜かれてしまうだろう。正直に話すのが一番だ。


 今日がその三日の最終日で期限日なのだ。田舎の皆んなは僕の上京を応援し喜んでくれた。こんな事で逃げ帰るなんて出来ない。


「……良いだろう」

「……えっ!? 本当ですか!? 先生!!?」


 少しの間があり尾崎先生から、了承する返事をもらえた。僕は勢い良く頭を上げた。


「嗚呼、引き受けよう。但しただ、お主も『何でもする』という約束を守れ」

「は……はぃ……」


 菫色の瞳を細め愉快ゆかいそうに笑う先生。


 何でもというのは勢いで出てしまったが不味かっただろうか?しかし今は、先生が引き受けてくれてた事が大事なので頷いた。





「……大丈夫かな?」


 僕は今、一人で昼間の公園に立っている。


 あの後、やる気になった尾崎先生は新聞やネットの情報を凄い勢いで読み漁った。そして僕に近くの公園に行くように指示を出したのだ。


 一応先生も近くで待機してくれているらしいが、公園に居るだけで良いのだろうか?


 それにしてもスーツ姿の成人男性が、昼間の公園に居る違和感が凄い。幸いにも事件の所為せいで子どもや親子連れは居ない。僕一人だけだ。

 子ども達を発見する事が出来なければ、此処ここしばらくお世話になる事になるだろう。


「……ん? あ、桜だ……」


 ひらりと桃色の花弁かべん視界しかいを横切った。


 花弁が落ちてきた方を振り向くと、一本の桜の木があった。


「綺麗だなぁ……」


 今年は就活や大学の卒業、引っ越しなどで忙しくゆっくり見るひまが無かった事に気が付いた。ゆっくり桜の木を見上げる。


 今のところ何も起きていない。それに公園に居るのは僕だけだ。風に吹かれ、宙を舞う花弁を掴もうと手を伸ばす。


「よっ! あれ、結構難しいなぁ……」


 するりと僕の手をする抜ける花弁達。


 田舎にいた時は子どもが少なく、友達と遊べない日はよく花弁を追いかけて遊んだ。

 そう思いながら今度は花弁が落ちてくるのを、両手の平で掬いすく上げるように受け止めた。


「やったぁ!」


 見事に手の平に花弁が一枚乗った。その事に嬉しく僕は声を上げた。これは幸先さいさきが良い、記念に写真を撮ろう。

 花弁が乗っている左手をそのままに、右手でスマホを上着のポケットから取り出そうとした。


「……えっ……」


 僕は思わず動きを止めた。いや、動きを止めざるを得なかった。

 何故なら桜から伸びた何本もの白い手が、僕の両腕を掴んでいたからだ。


『オイデ……オイデ……』

「ちょっ!?」


 何処からか女性の声が響き、その白い腕たちに強く引っ張られると桜吹雪に襲われた。


「……え……えぇ? ……」


 思わず閉じた瞼を開けると、白い空間に居た。


 そして目の前には平安時代を連想させる長い毛に、十二単衣を着た花が居た。本来顔がある部分に桜の花が咲き誇り、腕は先程の白い腕をしている。僕は夢でも見ているのか?


『大丈夫……遊ビマショウ……』

「えっと、あの……僕は……」


 彼女は僕の頭を優しく撫でる。不思議な見た目だが、悪い人ではないようだ。


「あ! 居た! ……良かった……」


 最後に頭を撫でられるのは何時の頃だっただろう。恥ずかしくて視線を彼女から外した。

 すると少し離れた所に、彼女と同じ姿をした花達に囲まれて子ども達が寝ていた。

 会長のお孫さんの顔もある。子ども達を無事に発見出来て良かった。


 ほっと息を吐いた。


「何を安心しておる。此奴らの領域から童達を外に連れ出さなければならんのだぞ?」

「あ! 尾崎先生! ……え? 耳に尻尾? コスプレが趣味ですか?」


 背後から先生の声がして降る向くと、彼の頭には髪と同じの銀色の耳と尻尾を生やしていた。僕は思わず思った事を口にした。


「……はぁぁ……。戯けたわ、私は妖狐ようこだ」

「嗚呼! だから稲荷寿司がお好きで、耳と尻尾があるのですね!」


 長い溜め息を吐くと、自身が妖狐だと告げる先生。

 成程。稲荷寿司が好物だから機嫌を取る為に、命綱だと言われたのも納得が出来る。色々と情報が繋がり、嬉しくなった僕は飛び上がって喜んだ。


「……我々は妖、怪異だ。その者達も桜の怪異だ。童達が失踪した場所には何処も桜の木があった。差し詰め、犯人が攫う前に横槍を入れたところだろう」

「えっと、それは彼女達が犯人から子ども達を守ってくれたって事ですよね?」


 先生は彼女達も怪異であると語る。つまり犯人から守ってくれたという事だ。


「……そういう見解も出来るが、低級の怪異故にそこまで知能があるとは思えんな。無造作に本能的に領域へ引き摺り込み、隠したとも言える。怪異とはそういうものだ」

「でも、喋ってましたよ? 『オイデ』とか『大丈夫』って、あと撫でられました」


 淡々と彼女達は知能が無いと言う。しかし言葉を話し、優しく撫でるには十分知能があると思う。


「…………領域を出るぞ。其奴らに知能があると言うなら、外に出せと交渉してみろ」

「……え?」


 頭を押さえながら、驚きの提案をする先生。この白い空間は、彼女達の領域らしいので出なければならない。その交渉を僕に任せると言う。僕は一般人なのですが?


「安心しろ、決裂けつれつした際は私が出る」

「や、やります! やらせていただきます!」


 彼は無表情で指を鳴らす。言葉と表情が合っていない。先生の気迫きはくに押されて僕は、彼女と向き合った。


『……遊ビマショウ……』

「えっと……子ども達に悪い事をしようとした人は捕まりました。だからもう大丈夫です」


 彼女は僕の左手を両手で握る。その手付きはやはりとても優しい。外での出来事を伝える。


『……大丈夫?……』

「はい、安全です。皆な家族や、大切な人達が待って居ます。連れて帰ります」


 首を傾げると桜の花が揺れた。それが彼女の心境のように思えた。だから僕は彼女を安心させる為に、子ども達の安全と待ち人がいる事を伝えた。


『……オカエリ……ボウヤ……』

「子ども達を守ってくださり、ありがとうございました」


 寂しそうに呟く彼女。僕は彼女の両手に右手を重ね、お礼を伝えた。


『……フフフフ……』

「わっ!?」


 彼女が笑い声を上げると、視界一面の桜吹雪に襲われた。尾崎先生や子ども達を確認しようとしたが、桜吹雪で見えない。不安はない。


『……イイコ……イイコ……』


 優しい声を信じて瞼を閉じた。




「はぁぁぁ……これからどうしょう……」


 快晴の空の下、川沿いのベンチに座り溜め息を吐いた。


 あの後、僕達は無事に領域から出られた。僕は元いた公園に、子ども達は失踪した現場の桜の下で発見された。尾崎先生は居なかった。


 子ども達は無事に家族の元に戻り、最近のニュースはその話題で持ちきりだ。会長のお孫さんも無事だったが、僕は会社をクビになった。


「田舎に帰るかなぁぁ……」


 鬱々とした気持ちを振り払うかのように、身体を伸ばしベンチの背凭れに寄りかかった。


「あ、桜だったんだ……」


 見上げて初めて、僕に心地良い木陰こかげを提供してくれているのが桜である事に気が付いた。


「……えっ……痛っ!?」


 桜から白い腕が二本出てきた。そしてそれは、僕の額にデコピンをした。


「気を抜き過ぎだ。春一」

「……えぇ? 尾崎先生!?」


 桜の木から飛び出し、静かに着地をしたのは尾崎先生だった。今日は耳と尻尾なない。僕は姿勢を正した。


「何故、童達を救ったのは自分と申し出ぬ」

「あぁ……先生にはお知恵を貸して頂き恐縮なのですが、それを証明する術がありません。それに子ども達の笑顔を見たら、事件を掘り返すの野暮かと思いまして……」


 責めるというよりも訝しむ顔を向けられる。それもそうだろう、自宅まで押しかけ依頼をしたのに成果を手放したのだから。

 でも僕はニュースで家族との再会を喜ぶ彼等を見たら、会長に報告するのを止めた。彼等の笑顔が曇るのは桜達も悲しむだろう。

 それに怪異の桜が隠していたと報告をし、信じてもらえるか怪しい。


「あの会長は、怪異の狸だ。お主に無理難題を押し付けたのは、孫を取り戻す為だ。大方、見鬼の才を知り謀ったのだろう。あの桜は低級だが隠すのは巧妙であったからな。礼ぐらい受け取れ」

「そうなんですか……でも、お礼なら尾崎先生や桜と出会う、きっかを貰ったのでそれで十分です!」


 会長が怪異だったのには驚く。でもお孫さんを助けたいからなら怒る気も無くなる。それに尾崎先生や桜と出会い、心が洗われた気がする。田舎に戻るのも悪くない。


「……呆れる程、無欲だな」

「えっ!? そんな事ないですよ!?」


 呆れたように青空を見上げる先生。僕にだって色々と欲がある。良い職業が見つかりますようにとか……。


「さて、本題だが『何でもする』という約束を忘れてはおるまい?」

「……あっ!! は……はぃ……」


 菫色の瞳にじっと見詰められ、僕は小さく返事をした。すっかり忘れていた事は秘密だ。どんな事を言われるのか冷や汗を掻きながら、先生の次の言葉を待つ。


「稲荷寿司を作れ」

「……へ??……」


 予想外の言葉に唖然とする。


「鈍いな、お主は興味深い。加えて作る稲荷寿司は美味い。故に我家の料理人として任命する」

「えっ!? それは……あ、ありがとうございます!!」


 先生は穏やかに笑うと手を差し出した。


 渡りに船。地獄に仏とはこの事だ。僕は喜んで尾崎先生の手を取った。


 僕の門出を祝うように、桜の花弁が舞い踊った。






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