新しい日常

この家にルイがやって来て一週間が過ぎた。


最初の頃は「どうなることか」と思っていた。ただ、俺は新しい生活に馴染んできているようだった。


それはルイも同じようで、ルイはすっかりこの空間に溶け込んでいる。


ルイは今、いつもそうするように、床にうつ伏せになって足をブラブラさせながら本を読んでいる。


とても自然体だ。まるで初めからこの部屋の一部だったみたいに。


ただ、だからこそ心配になる。


ルイはまったく手がかからない。放っておいたらずっと本を読んでいる。


そんなルイを見ていると、「何かしてあげなくてはいけないのでは」という気持ちが湧いてくる。


たぶん余計なお節介なのだ。親が何もしなくても子どもは勝手に育つ。むしろ、親なんてものは何もしない方がいい。そう分かっているはずなのに、いざ自分がこの立場に立たされたとき、ひな鳥に構ってあげたくなる。


だからたまに「散歩に行くけど」と言い訳をしてから、その後すぐに「ルイも行く?」と訊いてみている。そして、ルイはそういうときたいてい「うん。」と返してくる。


こうやってルイをたまに外に連れ出している。それがルイにとって良いことなのか悪いことなのか。それは分からない。


「帽子持った?」


「うん。」


「よし、じゃあ行こう。」


ドアを開けて外へ出る。この瞬間はいつもワクワクする。


昼夜は問わない。昼だと思ってドアを開けたら夜だったときも心が躍った。自分だけの狭い偏屈な世界から別の世界への移行はまるで脱皮だ。心も体も解放される。


しかし、その高揚した気持ちも時間が経つにつれて冷めていく。代わりに、別の熱が意識を支配していく。


暑い。


アパートの階段を下りて道に出た。日陰から日なたへ出たその瞬間に、夏真っ盛りの暑さを全身で受け止める。


これは慎重に歩を進めなくてはならない。ルイの背中を見ながら思う。


とはいえ、散歩コースはもうすでに決まっている。このアパートを出発点として大きく円を描くようにして進み、最終的にここに戻ってくるコース。


そのコースの途中に図書館、喫茶店、商店街など、休憩とトイレを兼ねたチェックポイントもすでに確認済みだ。


一度は暑さに怯んだ心を奮い立たせるように、力強く一歩を踏み出した。



「メロンクリームソーダとカフェオレ。」


ぐったりとしながらも、なんとか注文を済ませた。


プラスチックの白い椅子に腰かけながら見上げる。すると、パラソルが視界の大部分を占めた。赤と黄色が太陽の光に当たって生地の裏側から輝いて見える。その輝きの強さこそが、今日の暑さを物語っていた。


今日の目的は、ひとまず達せられた。


図書館や日陰の多い小道を巡りながら歩いてきた。今は商店街まで帰って来ている。ここまで来れば、もうゴールに片足を突っ込んでいるようなものだ。


最初、ルイを心配していた。小学生のルイにとってこの暑さがどれくらい危険なものか分からなかったのだ。だから慎重だった。


こまめに休憩をとりながら、水分補給を促した。ルイにとってはお節介だったかもしれない。ただ、こちらも気が気でなかった。特に、ルイは言葉数が少ないから、より注意が必要だった。


ただ、最初にガタが来たのは意外にも俺の方だった。


とりあえず仕事をやり終えて、ようやく今日を振り返る余裕ができた。


変わったのは、俺の方かもしれない。


いつもの散歩コースを周っただけだった。そのコースを何回通ったか分からない。脳内CPUの容量を別のことに全て割いた無意識状態だったとしても、足が勝手にスルスルと進んでくれただろう。


それくらい踏み固めた道だった。


ただ、ルイと歩くと、それは別世界の景色だった。


ルイは何にでも反応を見せた。


何色もの板を使った虹色の丸ベンチ。公園でギターを奏でるセカンドライフと思しきおじさん。トカゲやトンボ。そこかしこに貼られているポスター。


ルイが次に何に反応を示すか。予想を立てては、そのたびに裏切られた。


何より、歩く速さを変える。これだけのことで、こうも景色が違って見えるのかということに驚いた。


当然のことながら、ルイと二人で散歩をするときはいつも一人で歩くときよりだいぶペースを落としている。


散歩がより楽しくなるコツ。歩く速度を変えること。そして、誰かと一緒に歩くこと。


目の前のルイはメロンクリームソーダに夢中だ。


より大きな変化があったのはルイのはずだった。ただ、実際は、大きな変化を感じているのは俺の方かもしれない。

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空日日 反田 一(はんだ はじめ) @isaka_haru

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