雨のホームセンター
「よし、じゃあ行こうか。」
「うん。」
ルイはリュックを背負った。 昨日背負ってきたときはパンパンだったリュックだが、今はほぼ空の状態なのでつぶれている。
共同生活の二日目は雨だった。
この日はルイに街を案内しつつ、商店街に日用品の買い出しに行く予定だった。
いや、そもそも日用品なんてわざわざ買い足すものなんてないんじゃないか、みたいなことを叔母さんに漏らしたところ、
「ちゃんと考えてあげなさい。ルイくんはたった一人で知らない場所に来ているのよ。できる限りストレスがかからないようにしてあげないと。」
本当は商店街で日用品を揃える予定だった。
ただ、今日はあいにくの天気だ。
商店街に行ってもいいのだが、どうせ雨なのだったら一つの建物でだいたいの日用品が揃うホームセンターへ行ってみることにした。
傘を差したり畳んだりの作業は、できる限り最小限に留めたいものだ。
ここから二つ離れた駅に大きなホームセンターがある。
食事もそちらで済ませてしまおう、ということになった。
表へ出て鍵を閉める。 傘を広げて、ルイが中に入ったことを確認して歩き出した。
突然始まった共同生活。正直、ルイにどう接していいか分からない。
いくら考えても答えは分からないので、とりあえず自分の子どもの頃の記憶を引っ張り出してみることにした。
ただ、そう簡単にはいかない。うん十年前の記憶の扉は、扉自体の重量があるだけでなく、ひどく錆びついているためなかなか開くことができない。
それでも、何度も試していればいずれ扉は開くだろう。ただ、こちらにその熱量があるかと言われると、答えはノーだ。どちらかというと、そのまま封印しておきたいもんだ。
実際、記憶の扉から漏れ出て来たものは、明るいものではなかった。
例えば、「お前」という呼び名。
親が子に対して「お前」と呼ぶのは、一般的にどうか知らないが、俺個人としてはとても不快だった。
親の立場からすると、親としての威厳を示したいのかもしれない。ただ、子どもが親に「お前」呼ばわりされて尊敬するとでも本当に思っているのだろうか。
そんなことを続けられたら、嫌いになることはあっても、間違ってもありがたいという感情は芽生えるはずがない。自分が実際に「お前」呼ばわりされたら分かるだろう。だが、俺の名前は最後まで「お前」だった。
だから、俺はルイにはちゃんと名前で呼んであげる。これだけは絶対に間違っていないという自信があった。
駅に到着した。
あとは電車に乗るだけだ。
「よし、じゃあ行くか、ルイ。」
そう言いながらルイを振り返って、驚いた。
ルイはずぶ濡れだった。 特に下半身はひどい濡れようだった。
あれ?だってルイはちゃんと傘の下にちゃんと入っていたのに。
呆然とした。 そうなってしまった理由は何かと、頭の中で探してみる。そして、その原因に思い当たった。
どうやら身長差のせいらしい。 俺が差す傘は、ルイにとっては意味があるようで、まったくないようなものだったようだ。 普段、子どもと一緒に傘を差すことがないから分からなかった。
「悪い、気づかなくて。」
さっき「名前で呼ぶんだ」と決心していたときの自信はどこへやら、俺は持って来たタオルを出してひと通りルイの服の濡れた部分を拭う。
「ううん。大丈夫。」
ルイは本当に何でもないという表情をしている。 強がりを言っているわけじゃなさそうだ。
今できうる応急処置の範までは拭き終えた。 ただ、靴の中はびちゃびちゃだろう。
ルイが履いているのは普通のスニーカーだ。
今回の滞在のためにルイが持ってきた靴はこれ一足。 それを一日目でダメにしてしまった。
「雨用の長靴も買おうな。」
◆
ホームセンターの中は天国だった。
雨をしのげるだけでもありがたいが、おまけに涼しい。
家電コーナーでは扇風機たちが「自分を買ってくれ」と言わんがばかリに、グイングインと首を振って自己主張している。
扇風機の風の送られる先には、飾られた風鈴がチリンチリンと鳴っている。
こういう雑多なところがいいんだ。
ルイも物珍しそうにキョロキョロとしている。 初めての街の、初めてのこういった日用品を扱った店。 ルイがどう思っているどうかは知らないが、自分がルイの立場だったらという状況を勝手に想像して、勝手にドキドキしている。
まずはルイのために雨合羽と雨用のブーツだ。
こちらはすぐに決まった。
ルイが選んだのは、いっけん地味なネイビー色のレインコート。 ただ、柄に色々な色が入っていて、実はカラフルだ。
ルイがレインコートを試着している。
なるほど、憂鬱になりがちな雨の日は、その憂鬱を払拭するために明るい色を着るべきものだと思っていた。
ただ、それ以前に、子どもをカラフルに着飾ろうとする親の気持ちも、なんとなく分かった気がした。
「格好いいじゃん。」
ウソをついた。本当は可愛らしいと思った。だが、俺は知っている。たとえ可愛くても、男の子には格好いいと言うべきことに。
よし、次だ。
コップや箸を見ては、次々とカゴに入れていく。
ホームセンターの一階から順繰りに見ていき、今度は二階を攻めていく。 二階の一番奥まで来た。
「どう?」
「うーん、いい感じかなあ。」
「実際に使ってみないと分からないよなあ。」
「うーん。」
ルイが、サンプル用に展示されているベッドの上で寝返りを打ちながら唸っている。
ルイの頭の下には子ども用の枕がある。
自分が普段寝ているときの自然体な態勢を取ろうと必死だが、意識しすぎているせいでその自然体が分からなくてなってしまっているようだ。
「いいよ。もし合わなければまた買いにくればいいし。とりあえず買っちゃおう。」
「うん。」
ルイが、俺が持っているカゴに枕を入れて、俺たちはレジに向かった。
◆
ホームセンターを後にした俺たちは、駅近くの喫茶店に入った。
そこは、俺がこの地域を訪れたときによく行く喫茶店だ。
外見は地味だが、中は天井が高く、アンティーク調の家具で統一されている。 甘味処を思わせる店名だが、メニューはパスタや丼ものまで多岐にわたる。 価格も財布に優しいのが特徴であり魅力だ。
ここに入ったのはある狙いがあったからだ。
そう。
ルイの好物を探り当てよう作戦だ。
直接好物を聞き出してもいいが、意識させすぎて気を使わせては意味がない。 それなら、実際にメニューを見せて色々ある中から選んでもらう。 その方が正確に好みを把握できるのではないか、と考えたのだ。
「決まった?」
「ハンバーグライスセット。」
なるほど。
「飲み物は?」
「オレンジジュース。」
「じゃあ、俺はチーズケーキセットのプレーンを。ほうじ茶で。」
注文を聞いた店員が去っていく。
ふぅ。
これでようやく落ち着くことができる。
ルイは、まだまだ元気が残っているようで、家から持って来た図鑑を開いて見ている。
俺は窓から雨に打たれているこの街を眺めた。
朝から降り続ている雨は、勢いが衰えない。
雨は、どちらかというと、好きだ。
雨を嫌いと言う人のことも分かる。たしかに雨が降っていると、それだけでなぜか気分が暗くなる。雨の日は、テンションを上げることを難しくさせる何かがある。
ただ、それは逆に、みんなの気分を落ち着かせているとも言うことができる。みんなでこの雨が止むのを耐えよう。そういう共通認識を、みんなで無意識に共有しているかのようにも思える。
それは錯覚かもしれない。ただ、はたからその光景を見てそういった妄想をするのは楽しい。
気づくと、ルイはハンバーグを食べ終わってまた図鑑に目を落としている。
ルイは、雨の日は好きだろうか。
ふと見ると、ルイの皿の端っこに、付け合わせのニンジンが残っている。
なるほど。
雨は、まだまだ止みそうにない。
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