空日日

反田 一(はんだ はじめ)

タコライス

「やっちまった。」


ガスコンロの前に立ち竦んでしまった。


さっきまで食材を炒めていたはずだ。 ただ、いつの間にか考え事をしていたらしい。 気が付いたときにはもう手遅れだった。


目の前には焦げたタコライス。


「いいや、焦げもスパイスだろ。」


誰にするでもなく言い訳をして、フライパンの上の残骸と共に居間の丸テーブルに移動した。 ランチョンマットの上に焦げたタコライスを載せる。 窓を左手に、いつもの定位置に座った。


「いただきます。」


さっそくスプーン一杯分を掬って口に入れる。 やはり、少し苦い。 スパイスにしても、少しばかり無理がある。


「よいしょ、っと。」


俺はタコライスの皿を持ち上げ、開け放たれた窓の手前に腰かけた。 外の空気を感じながら食べれば、幾分マシになるかもしれない。 街に降りそそぐ陽の光を見ながら、また一口食べる。


天気予報によると、今日は快晴らしい。 その予報の正しさを予感させるような空の高さを垣間見ることができる。 まさに散歩日和だ。


目線を下の方に持っいくと、このアパートの二階からの景色が広がっている。 とはいえ、何も目新しいものが見えるわけじゃない。 いつもの見慣れた風景だ。


向いのアパートと、そのアパートと分けるように中央に敷かれた道と、人。 この時間に見る人たちは、通勤や通学というよりは、商店街に用のある人たちだろう。 俺も、じきにその人たちのうちの一人と化す。


「ごっつぉさん。」


流しで食器を洗って、乾かすために立てかける。 手を洗い終えて、ようやく食事完了。


「さて、じゃあ出かけますか。」


いつものカモ柄の手提げカバンを持ってドアを開けた。


この家を出て外気に身を晒す瞬間が、一日のうちで一番ワクワクするかもしれない。 今日はスーパーのタイムセールにさえ間に合えばいいだけで、他に予定はない。 期間限定の自由だ!


一階に降りて表の通りに出たと同時に、ケータイが鳴った。 画面を見ると、叔母さんからだ。 電話に出た。


「はい?」


「おはよう。ねえ、今晩ちょっと話があるんだけど。」


「へー、なに?」


「時間だけ空けといてね。」


「ああ、それはいいんだけど、、」


「じゃあ、後でね。」


そう言うと通話が切れた。


「ええええ。」


思わずいつもでは出ないような声が出た。


呆然とケータイの画面を見下ろす。


いつもは万歩計の意味しかなさないケータイだ。 ケータイが鳴るときは、良い報せであれ悪い報せであれ、俺の生活に起きるイレギュラー。


だから俺の脳ミソの中でケータイの音は、俺の日常が壊される前触れを知らせる警報という認識に自動的になってしまっている。


しかも、相手は叔母さんだ。 叔母さんたち夫婦とは、日ごろからよく会っている。


というか、俺たちは近所に居を構えている。 歩いて数分の距離だ。


毎週決まった曜日に加えて俺の気まぐれで、俺が作った夕食を運びに行くのが恒例になっている。 叔母夫婦が共働きで、しかもそれほど料理をしないということもあり、ヒマで料理を人並みにする俺が駆り出された、というわけだ。


もちろん食事を作って持っていくだけでは終わらない。 見返りとして、食費と称したボーナスが支給される。 どちらがより恩恵を受けているかで言ったら、確実に俺の方だろう。


だから、叔母さんたち夫婦に頭が上がらない。


ただ、今回の呼び出しは異常だ。 少なくとも週に一回は顔を合わせているのだから、わざわざ連絡し合ったりはしない。 連絡があるときは、緊急性が高いときだけだろう。


「ま、いいか。」


そのときはそのときだ。 せっかくの散歩日和なんだ。 夕方までは最大限愉しませてもらおう。



「そういうわけだから、よろしくね。ルイくんって言うの。細かいことは追々決めるけど、とりあえず夏休みの間だけでいいから。」


「はい?」


「だから、ルイくんを預かってほしいの。」


「いや、そこじゃなくて。」


「夏休みの間。」


「いや、そういうことじゃなくて。」


俺は頭を抱えた。


反論しようとしたが、すぐに無駄だと気づいてやめた。 そうだ、この人はそういう人だった。 それは提案なのではない。 もう覆ることがない、決定事項なんだ。


夕方頃、叔母さんの家に出向いて早々、まくし立てられた。 親戚の小学生を預かってほしい。 つまり、そういうことだった。


「だってあんた、ヒマでしょう。」


「まあ。」


「食費もいつもよりはずむから。」


封筒を渡される。


「あんまり手がかからない子だから、大丈夫だと思うけど。」


そのとき、インターホンが鳴った。


「あら、もう帰って来た。早かったわね。」


叔父さんが帰宅したのだろう。 叔母さんが玄関へスリッパをパタパタさせながら向かう。


俺もおじさんに挨拶するために後を追う。


事情は分からないが、たしかに子どもを預かるなら共働きの叔母夫婦より、ヒマで料理もある程度できる俺の方が何かと都合がいいのかもしれない。 そうやって、この状況を第三者からの目線で考えてみて思った。


そんなことを考えながら玄関まで行き、ふと目線を上げた。


そこには頭が3つある。


叔母さんたちに子どもはいない。


果たして、見慣れない少年と目が合った。


「そういえば言い忘れてたかもしれないけど。」


悪い予感は確信に変わる。


「ルイくんを預かるの今日からだから。」



ルイと二人、俺の家に帰って来た。


あのあと、その場にいた4人全員が軽い自己紹介をして、もう夜だからということで解散になった。


なかなか信じられない状況だ。


今朝この部屋を出たときは、まさか帰ってくるときには二人になっているとは夢にも思わなかった。


もし出かけるタイミングでこうなることを知っていたら、激しく狼狽していたはずだ。


ただ、いざ実際に自分の身にこの状況が降りかかってみると、案外あっさりと現実を受け入れてしまえている。 あまりにも展開が急すぎたせいだろう。


ルイを見る。


「とりあえず今日は寝るか。明日になってから色々考えよう。」


ルイに言ったのか、自分に言い聞かせたのか、定かではない。色々考えることがある。ただ、今は、早く眠ってしまってこの現実から少しの間だけでも逃避したかった。


ルイは丸テーブルの前に座った。少し緊張しているようだ。そりゃそうだろう。遠い親戚とはいえ、初対面相手の家に一人でやってきたんだ。緊張しない方が異常だ。


とりあえず何か食べれば気分も落ち着くかもしれない。俺は冷蔵庫を漁って、一番最初に目にした物体を取り出してルイの前に置いた。


「タコライス食う?」


言いながら皿を差し出す。 ルイが皿を見つめた。 そして、何か言いたげな様子でこちらを見た。


「タコライスにタコは入ってねーよ?」


ルイは納得したのかしていないのか、再びタコライスに向き合ってスプーンを取った。


「俺も何か食おう。」


自分の夕食用に残しておいたのはタコライスだけだったので、代わりに冷蔵庫から餡子(あんこ)菓子を持ってきて、ルイの右隣りに座った。


いつもとは違う場所。 いつもの定位置にルイが座っているからだ。


ルイを見ると、苦い顔をしている。


「からい。」


「ははは。」


渋い表情をするルイに、餡子菓子を分けてあげた。 甘い物だと認識するやいなや、ルイは和菓子を口に放り込んだ。


ルイは、口の中が中和され、お腹も満たされ、少しは緊張がほぐれたようだ。

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