第34話


 ばずん!


「今度はなんだよもう!」


 柚が立ち去ってから時を待たずに、運転手とゴエモンはで睨めっこをしていた。

 プレハブ、もとい『回収屋』の前で乱痴気騒ぎを繰り広げてしまったせいか、社内にいた人間がぞろぞろと現れたのである。あんな狭そうな室内によく収まっていたものだと感心するほど従業員の数は多く、現在進行形でゴエモンを捉えようとしている職員を除いても五十は超える。もっとも殆どは運転手のように頼りなさそうな人間ばかりで、先刻鳴り響いた爆音に反応する木偶ばかりだったが。


 ――柚とか、あの人みたいに、頑張れる人は少ないのかも。


 気概があると言ってあげてもいい職員の飛びつきを危うい足取りでかわし、柚と自分を助けてくれたお坊さんについて考える。

 手から水が出るのも、慣れ親しんだ鈴緒の音色が出せるのも、持ち主の理想を反映してのことだ。暖かい掌を持っていた彼は、きっと真面目な住職だったのだろう。仕事がそのまま理想になるなんて、他の『魂物』を見てきたゴエモンには信じられない話だ。……お金が出せる煩悩については会ってから問い詰めるとして。


 柚にしても、最後まで彼女の理想がなんだったのか分からなかった。ゴエモンも口数が多い方ではないので確証は持てないが、自分の無口と柚の無口では種類が違う。ゴエモンはただ話すのが面倒くさいのと、暗い賽銭箱に長く滞在していたせいで話し方が下手なだけ。しかし柚は頭で色々と考えている癖に口に出さず、陰鬱な表情をたたえるばかり。あれではよく解釈してもミステリアス、傍から見ればただの根暗だ。

 なんて、壁を貼られた腹いせに、心の中で愚痴を言っているのも大概だろうか。


「前々から虚勢張りまくりのうざいおっさんだとは思ってたけど、ここまでトラブられると流石に迷惑っすわ! んにゃろ、あんた意外とすばしっこいな!?」


 この目の前で飛びかかりを披露している若者の言葉も、そばでスマートフォンの下敷きになっている浩二に対して文句を言っていること以外、語尾が変則的で読み取りづらい。話せるようになったから人間とコミュニケーションが取れると思っていたゴエモンも、考えを改めざるを得なかった。言葉は機械的で法則的でないからこそ、曖昧なところが大切なのだ。

 柚のあれは曖昧過ぎて困ってしまうけれど、最後の最後でそれらしい態度を示してくれたから溜飲を下げてやろう。あそこまでひねくれていると、少しの情が愛おしい。


「もう、ちょいで……!」


 ゴエモンの運動神経は同い年の少女たちと大差ない。故にちゃらついた外見の若者は着実に行動パターンを先読みしつつあり、証拠に服の袖などはもう今にも掴まれそうだった。せめてもの抵抗として水を顔面に向かって吹きかけたり――アルプスの天然水くらいに澄んだ液体で、害はない――鐘の音で攪乱してみたり――少し大きな目覚ましくらいで、驚かれもしない――試行錯誤してみたが、どうにも打つ手がないらしかった。

 最終手段で五円玉を撒き散らすという荒業もあるにせよ、『回収屋』を挑発するだけで大した効果もない。それに、人間に注目されバケモノとして認識されるのはどうにも不快だ。使うほど体から力が抜ける感覚もあるし、鈍ってしまえば本末転倒。


「よっしゃ掴んだ! あんた、よくそんなヒラヒラの服で避け続けたな。その頑張りだけは褒めてやるっす」


 と、鈍るのを待たず、ゴエモンは件の若者によって拘束された。あの人に見つけてもらうために町で五円玉をばら撒いて捕まった時と同じ、右を後ろ手に回してうつ伏せに組み伏せる形。もしかすると『回収屋』の研修でみんな同一の型を教わるのかもしれない。


「にしても捕まるって分かってたのに、どうして自分からノコノコ出てきたんすか? もし俺なら護送車から逃げられた段階で別の町なりにトンズラして戻らないけどなぁ」

「おい、お前も仮には『回収屋』の従業員なんだから、もっと仕事に対して責任を――」

「へへ、さーせん。でも気になったんすよ。こいつ躱し方は上手かったくせに、立ち回りが馬鹿だなと思って。自分ギャップにはツッコむ派なんす」


 合理的に考えればそれが正解だ。電車? とやらに乗ったりして移動すれば、あっと言う間に遠くへと行けると、ゴエモンも聞いたことがあった。どれくらいの範囲の『回収屋』が捕まえようとしていたかは不明でも、市や県を跨ぐだけでリスクは格段に減らせるはずだ。護送車から離れた後に柚たちと速攻で別れ、全神経を逃亡だけに費やせば、終わりまでの時間を静かに過ごすことも出来ただろう。

 そうしなかったのは助けてくれた恩人に会えないのと、あと――柚やリンゴと別れるのが寂しくて……いや、


「……人のあなたなら分かるはず」

「ん? 謎かけっすか? すいませんけど自分そんなに頭がよくないのでもっと明確に――」

「……自分で考えもしないなら、もういい」


 会ってから精々五分の若者に自分の核心を教える気になどなれない。歩きながら見つけたこの複雑で曖昧模糊な感情様式は、ゴエモンにとってモノでありながら人との繋がりを見いだせる宝物だった。


「気になるけど、ま、いっか。聞いてあんたに情が移っても困るし、燃えるごみは早めに処分~~ってね」


 上にのしかかった体重は約六十キログラム。リンゴのように綿を使った馬鹿力もないゴエモンには荷が重すぎる数字だ。微動だにできないまま周囲の従業員が自分を取り囲む気配を感じて、寂寞と仄かな達成感を胸に滲ませる。

 

 そして。

 遠方から急速に接近する白い綿の塊は、そんな彼女たちもろとも射程に捉え、色褪せた白の世界へと誘う。


「――!? こりゃ一体――」


 自分たちの業務を全うしながらも、イレギュラーの連続に動揺をきたしていた『回収屋』たちは、直前の反応虚しくモフモフの楽園へとご招待。ゴエモンを取り押さえていた若者も開いた口から喉奥にまで綿が侵食し、ザラメと違って涎でも溶けない窒息物に目を見開く。

 戸惑いの声や叫喚は渦巻く奔流の中で瞬く間に消え去り、ゴエモンは圧迫感をそのままに、軽くなった背中を弄んでいた。太陽の香りを存分に吸い込んだ柔らかい風と、熱くて暖かい抱擁を想起しながら。


「……そっか」


 遠くで、とても近くで生まれそうな絆を祝して、ゴエモンは今度こそ満面の笑みを浮かべた。


「おめでとう」


 羨ましいな。

                  

                ***


 私は宙に浮いていた。

 厳密に言えば浮いているのではなく、綿の土台に体を支えられて、高くなった地面に立っていた。ふかふかの土地は作物すら育たず、家を建てるにも建築基準を満たしていないのは明らかだったけれど、崩れないという安心感だけ類を見ない。

 ずっと私を包み込んでくれた、目が細かくてサラサラの塊が、容器の枠を超えて永遠に広がっていく。まるで感覚を共有したような、妙にこそばゆい感触が顔からつま先まで満遍なく埋め尽くしている。不思議と呼吸は苦しくない。


 ――行かなきゃ。

 

 どこに行けばいいのか。そんな愚にもつかない質問はもうしない。

 目の前にある綿に向かって両腕を突き出し、爪を立てないようにそっと掻きわける。弾力のあるそれは最初こそ私の介入を拒んだものの、指先にそっと力を入れただけで左右に引いていった。綿が閉じるのを迷って揺蕩っている間に、ずんずんと先に進む。

 腕を幾度となく振るっても景色は変わらない。永遠にも思える連続でも、私は彼女がどこにいるか手に取るように分かった。その感情さえも。

 所々に煤けた汚れがついているのが、私たちの過ごしてきた年月の証だ。家族に悟られないようひっそり泣いた日に、初めてつけた染みの跡。お菓子の粕をこぼしたのは、買ってからすぐだっけ。

 確か――。


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