第32話
カイはいわゆる『浮浪魂物』だった。持ち主が『メタモルフォーゼ』による罰則を恐れ、山奥に放置されたスマートフォンの生まれ変わり。持ち主の学生は機種変更の言い訳ができたと喜んでいたが、それよりもカイを捨てる際に発した、
「ついてくんな! お前がいると迷惑なんだよ!」
その一言がカイの心を深く傷つけた。機械に心というのもがあれば。
路頭に迷っている存在へと救いの手を差し伸べるほど、余裕と優しさのある人間はそういない。いたとしても、なにかの弾みで『魂物』だと気づかれてしまった暁には、必ず警察へと通報された。少しでも信用しようものなら寝首を掻かれる。二人目の人間に裏切られ、『回収屋』と対峙したカイは、己を作り出した人間がどれだけ自分勝手で、排他的であるかを思い知った。
浩二との契約を経て、人間の社会に属した今でも、その考えは変わらない。
「この手を、離しやがれ……! 追いかけられないだろうが……!」
なら、どうして自分は人間を庇っているのだろう。
「最初から信用なんざしていなかったが、やっぱり手前も『魂物』だったなぁ。人間のことを馬鹿にしてた割に、嫌い嫌い言ってた裏切りしやがって。だいぶ「人」に染まってきたんじゃないか、ああ!?」
「違います、私はただ……」
そこから先の言葉が出てこないことに愕然とする。カイは自身の考えを抽出し、辞書から言語化するのが得意だった。体に染みついた当然の機能だと言ってもいい。舌がもつれる感触に戸惑いながらも、浩二と組み合った手を離さない己に、とにかく困惑する。
背中からは少女の叫び声――柚と呼ばれていただろうか。絶対に助けに来ない、来たとしてもリンゴの処分と自身の保身を天秤にかけて、絶対に後者を選ぶだろうと考えていた。彼女が逡巡せず久留里たちの方へ突貫した直後、カイの中で決定的な変化が起こったことは間違いない。
理屈だけで物事を考えてきたカイにとって、これほど不合理な行動はなかった。
柚が林の奥に消え、ひとまず追跡不可能になったのを確認してから、カイは浩二と距離をとった。力は失われつつあるが、人間との立ち回りでまだ遅れは取らない。突如として運転手の前へと現れた『魂物』――ゴエモンのフォローも兼ねて、横に並び立つ。
「あなたは捕まれば未来がないと知っていながら、どうして現れたのですか?」
仕事であれば捕まえなくてはならない『魂物』を、庇うように動いている致命的な矛盾。それに気づかない、機械として致命的な欠落を伴いながら、カイはゴエモンに尋ねた。
「……そんなの決まってる。柚を手伝うため」
「不可解です。それはあなたにとって有益な行為なのですか? 処分を覆すほどに柚からよい報酬を提示されたとか」
納得のいく答えが返ってこなかったため、カイの声は少なからず上擦った。合成された声帯を持つはずの自分が音を外すなど、エラーが出ているに違いない。
『魂物』は総じて生前の特性を受け継ぐと同時に、持ち主との切っても切れない繋がりがある。所有者との距離が近いほど『魂物』はその能力を増し、遠ければ激減――最悪の場合にはモノの状態から戻れなくなる。
これは浩二と仕事を共にする過程で得た発見だったが、『魂物』を使いつぶす気満々の浩二はカイの持ち主に頑として会わせようとしなかった。
お陰で体は擦り切れて、明滅する赤い画面はいつ暗転しても可笑しくない。
そして、飼い殺しにされていたカイは、運命を受け入れていた。
「カイィィィィ!!」
「あなたは黙っていろ!」
場を弁えずに突貫してくる浩二を易々とあしらう。右利きの彼は掴みかかるタイミングで重心が同じ方向にぶれるので、足で弁慶の泣きどころを押せば簡単に制圧できた。役に立つはずもなし、と諦めずデータを収集していた甲斐があったと思う。
意欲的に人間の感情パターンも仕入れておけば、ゴエモンの言葉に戸惑うこともなかっただろうか。
ただカイは、理屈だけで今の感情を説明できるか自信がなかった。
「……そんなわけない」
「ならどうしてです!? 自己を顧みず危険を冒すなんて、人間のすることです! 我々『魂物』がすることじゃない!! あいつらと同じように馬鹿になる必要なんてどこにも……!」
浩二を組み伏せながら叫ぶ内容ではないと自嘲しつつも、思わず叫んでしまう。引き返せないところまで愚行を犯してでも、カイを突き動かすものはなにか。
視界の明滅が早くなる。
もう時間がない。
「……必要はない。わたしがやりたいから戦う」
ゴエモンは運転手の前に立ち塞がり、白くならない息を中空に登らせる。体温のない『魂物』ならではの呼吸。人とモノの差は厳然として存在するのに。
深く呼吸を吸っているように見えるのは、震えを誤魔化すためだ。観察眼に優れたカイには彼女が深い恐怖の中で戦っているのが分かる。声は裏返り、意思とは関係なく暴れ出す指を袴の裾にぎゅっと抑えつけて、細い太ももの線が浮き上がっている。
カイの知るゴエモンは、いつも誰かを探して逃げ続け、運命に抗えない小さな廃棄対象だった。同族として唾棄するべきな、誇りを感じない少女。
「馬鹿になってもいいくらい、柚とリンゴを助けたいって思うから」
無表情な横顔が、くしゃっと歪む。
目を細めた表情は泣いているのではなく、郷愁を追いかけるように笑っていた。化粧もしていない少女のはず――自分の感情を制御しきれないお子様『魂物』の背中のはずなのに、変に大人びている。
「――ふふ、あははは。そうですか、やっぱりあなたも変ですね」
そのゴエモンを羨ましいと思ってしまったカイも、やはり変なのだろう。機械は常に合理的な答えを出し続ける必要があるのに、感情に惑わされるなど、なるほど確かに壊れている。
「おい、いつまでも上に乗ってんじゃねぇ! ぶっ殺すぞ!」
半年ほどつき従ってきた上司は、矮小な肉の塊でしかない。人間にしては筋肉質な方ではあるが、合金で作られた機械の体にとって基準以下の負荷はないのと同じだ。教養を投げうって叫んでいる姿も尊敬どころか嫌悪に値する。
カイは浩二を取り押さえたまま、とあるデータを送信する。全国の有名な動画度投稿サイトに片っ端から編集しておいたサムネイルとタイトルを添付し、公開設定を全体にする。これまで溜めてきた膨大な情報をまとめて吐き出したので、電池の残量が底をつく。自分を作った工場のメーカーが視界に移り、辺りが深紅に染まる。
「ッ……黙れよ人間の屑がァ! お前みたいなやつ大嫌いだッ!」
指先から感覚が遠のいていくのを自覚しながら、浩二の肩に手をかける。
データに書かれていた通りの模範的な方法で、そのまま関節を外す。ゴキリ、という臼ですり潰すような音と、皮膚の中にある骨が別離する不思議な感触が重なって、右腕があらぬ方向へと曲がった。
「カァッ――――――!?」
「機械だって、最期くらいは自分で考えるんですよ――」
涎を撒き散らして悶絶する浩二の上へと倒れこむ。もはや体の自由は効かず、基盤が集まっている頭で思考を垂れ流すことでしか生きている証明ができないようだった。
機械のカイに死への恐怖はないが、もう自分で考えることも動くことも叶わないと思うと、なぜか寂しい気がした。辞書の中にこの感情を的確に表す言葉は存在せず、残された時間は余りに少ない。
心残り――そう、名残惜しいのは、機械の生で初めてやった賭けの答えが知れないこと。
「すいません、ゴエモンさんでしたっけ……?」
「…………うん」
「一つお願いがあるのですが、私がモノに戻ったら、柚さんたちの元まで連れて行ってくれませんか……? どうなったのか、見てみたいんです……」
この世にはカイを製造したと受け入れがたい愚かな人間と、機械の想像を超える特殊な人間がいる。傾向と様式に当てはまらない原石がいると知れたのは、最期にして最初の発見だった。
そして、この考えが本当に当たっているのか、これから確かめにいきたい。外れて欲しいとは微塵たりとも思わないが、後になって柚を攻める気もない。
辞書に書いてある通りなら、博打は外れても打つものだから。
「……あなたは嫌い。でも、柚を助けてくれたから、面倒だけど連れて行く」
「ありがとう、ございます……」
ゴエモンの承諾に安心し、赤いだけの視界に別れを告げる。これから訪れる永遠の暗闇がどう彩られてゆくのか。答えを考えるのも一興だろう。
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