第30話

「……いいかクソガキ、物事には順序ってもんがある。まず俺の質問に答えろ」

「嫌だ。つべこべ言ってないでリンゴを渡して」

 

 浩二と会話している時間すらもどかしく、声が次第にささくれ立つ。五年間も手元にあったモノが相手に渡っていると、心臓が早鐘を打っていた。

 目を瞑っているリンゴを見ると「死」という単語が頭を過る。最初から死んでいるモノに人間と同じ概念は通用しないと思っても、白墨の儚い顔つきはこの世から消えてしまいそうな危うさを感じる。

 不意に、リンゴが前に言っていた「モノもその時が来たら死んじゃうの」という言葉を思い出す。


「稚拙で頭の足りないガキが、粋がるんじゃねぇぞ。いいか、お前が『魂物』を庇ったのも所持していたのも、俺の口先一つで誤魔化せる。だが会社にまで乗り込んで迷惑かけたんなら、隠すのも黙るのも無理になって、あっと言う間に警察のお世話だ。刑務所の奴らは子供にだって容赦しないぜ?」

 

 嘘をつく大人の顔はいつだって分かりやすい。父と母が不仲なのを隠す時も、浩二がそれこそ口先一つで私を騙そうとしている時も、頬が強張り目も泳ぐ。

 ただ私が罪を犯しているのは紛れもない事実だった。周りの高校生がやりがちな煙草吸ったぜ、飲酒してやったぜ、なんてのとは訳が違う、れっきとした逮捕案件。稀代の詐欺師は真実に嘘を混ぜると言うが、凡例を見ているような気分にすらなる。

 残り数メートルを駆けようとも、浩二たちの妨害を受けるのは確実だし、久留里は私よりも足が速い。力づくで取りかえそうとするのは得策じゃない。


 でも早く、返して。


「私だってあなたたちが『魂物』と一緒にいること、知ってるから」


 焦燥は思考よりも先に、言葉となって現れる。


「あん?」

 

 あくまでしらを切り、訝しげな表情をする浩二。他人の顔色を窺い続けていた私

 が、危うく自然な反応と受け取るところだった。隣にいる名も知らないモブ君に感謝しなくては。

 黒バンの運転手が、私の発言を受けて明らかに動揺していた。鎌をかけたつもりもなく、切り札を切った気分でいたけれど、無事に効果が出ており安心する。威圧的な上司が近くにいると部下の肝っ玉は小さくなるみたいだ。


「急に何言ってんだ? 確かに仕事柄『魂物』の近くにいることは多いけどよ――」

「へえ、だから『魂物』と一緒に仕事をする機会もあると」

「…………」

「物陰にいたゴエモンを見つけたのも、すぐに三栄高まで来たのも、ずっと変だと思ってた。でも近くに『魂物』がいたなら納得できる。『魂物』なら同族の気配を察知できるし、レーダみたいに索敵する能力があっても可笑しくない」


 口を開閉してうろたえる運転手を、浩二が眼力で黙らせる。射すくめられて静かになっても、この件が終われば何らかの処罰を受けるだろう。

 秘密を洩らしたまでは行かなくとも、答え合わせをしたも同然。

 目星をつけていた『魂物』――カイの方を向くと、意外なことに驚いた顔をしていた。冷たい相貌を宿し続けていたので、眉が動くだけで子供っぽく見える。

 あるいは、人間っぽく。


「『魂物』を捨てるための『回収屋』が持ってていいの? そっちの人だって慌ててたし、きっと駄目なんだよね」

 

 これに異論を唱えないなら、やはり『回収屋』の弱点はここだ。

 運転手には追い打ちをかけるようで申し訳ない。後で叱られることがあれば、私の顔を思い浮かべて呪いの文句でも吐いてくれて構わない。


「交換条件にしよう。リンゴを返してくれるなら、『回収屋』が『魂物』と仕事をしていたのは黙っておいてあげる。その代わり金輪際、私たちの前に現れないで」


 憎き『回収屋』の従業員に同情するよりも、リンゴの取引を成立させるのが先立った。乾いた唇を舌先でチロリと舐めると、切れていたのか淡い鉄の味がする。

 話の大筋が掴めてきたらしい久留里は、私に鋭い視線を送って罵ろうとしたが、旭が開いている方の手で留めていた。私を庇ってくれた――なんてメルヘンチックな妄想はもうしまい。旭は衝動で動くのではなく、理屈を組み立ててから最適を選ぶ。委縮せずに済むのは好都合でも、その必要がないほど『回収屋』に分があると思われているのが気にかかる。


「ふ、ふ、ひ。その程度で俺を追い詰めた気になってるなら、やっぱりお前はおつむの足りないガキだよ」


 黄ばんだ歯を見せて笑う浩二が、私の予感を裏づけている。寒空の下で冷えている体と相反して、緊張した頭は湯気が出るほど熱かった。

 頬が乾燥した空気に触れて「お前は失敗したんだ」と囁かれた気がした。頬の赤くなっている部分に触ると指先が痺れ、かじかんでいる肌が熱を求めて痒くなる。ポケットに手を突っ込んだらじっとりとかいている手汗が蒸れて、どの道うっとおしい。


「私に言い負かされそうだからって強がらないで」

「いんや、強がりなんかじゃねぇ。どこから話せばいいか迷うなぁ……馬鹿でも分かるように説明すんなら、取り調べの辺りから教えてやるか」

 

 そう言って胸ポケットから煙草を取り出し、片方の蓋が錆びたライターで火をつける。色のない空気に石灰じみた汚れが舞い、西に隠れ始めた太陽と真逆の方に流れる。私は先端から飛び散った火の粉が落ち葉へと零れ、浩二の靴が踏み締めるのを眼球だけで捉えた。


「『魂物』を持ってたガキが捕まると、まずは精神鑑定をする。カウンセリングっつー名目でな。そんでガキの頭がおかしいと判断されると病院へ、正常でも『魂物』を使って被害を与えたなら少年院で反省してもらう。これがどういう意味か分かるな?」


 汗をかいてから生乾きになっていた体が、一際ぶるりと震える。


「お前は既に俺たちを『魂物』で押さえつけて、仕事の邪魔をしてるだろ。で、俺はどうあっても警察に丸ごと説明する気でいるわけ。少年院に行く前の奴が俺に向かって『お巡りさん! こいつ『魂物』で悪いことしてました!』なんて言ったところで、せいぜい逆恨みだとしか思われないだろうよ」


 煙草の煙を私に向かって吹きかけてから、浩二は喉をガラガラ鳴らして笑った。話を理解した久留里もようやく女王としての振る舞いを思い出したのか、安全な遠くから甲高い罵声を浴びせている。


「なにも言えないかお嬢ちゃん? 悔しけりゃ出所してから政府にクレームの電話でもかけるこったな。そしたら今度は国の金で病院暮らしができるぜ」


 もう話は終わりだ、と言わんばかりにシケモクを握りしめて、浩二は私から踵を返す。指示の内容は曖昧だったけれど、会社に私の侵入を知らせるよう命じているようだった。運転手がコバンザメよろしく後を追うので、周囲の空間がぽっかりと空く。

 私は震えた体を放っておきながら、ひたすらに久留里の方を見ている。カイだけが私を――私の奥にある真意を見定めるように、その場から動かない。


「それじゃぁユズっち~! また今度、学校で合おうね~!あたしがリンゴを燃やした感想と、少年院での思い出交換しよーね~!」


 哄笑を上げた久留里は、旭の肩にかかったリンゴを掌で叩き、これからの快感を想像して悶えている。新しい玩具を手に入れた上機嫌さを抑え切れないのか、体を九の字に折ったまま揺れた。ハーフツインの両端も額の前でゆらゆらと。

 

「久留里は予定通り『魂物』を燃やしてから戻って来い! 暇だったら友達と遊んどいていいからな!」

「はーい! 今日でお別れだから、しっかり楽しんできまーす!」

 

 勢いよく返事をして二人は背を向ける。勝利を確信した足取りは緩慢で、片方の足が浮いてからつくまでに瞬きが終わるほどの鈍さだった。私がこの理屈っぽい舌戦で心を折られ、ただ立ち止まるのだと思い込んでいるのだろう。


 ――舐めるなよ。

 

 私の体が震えているのは、恐れているからではない。

 

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