第29話
偽札を警察に悟られず大量生産できるとして、果たしてどれだけが使わずに我慢できるだろう。私ならきっと、好きな物を部屋が膨れるまで買い占める。
「……それは、いけないこと?」
そう断言すると、法律を理解していないゴエモンは首を傾げる。リンゴのように長い歳月を人のそばで過ごさなかった彼女は、善悪の基準が曖昧だ。
「やったら間違いなく捕まるね。いや、バレないから捕まらないんだけど、悪いことだね」
「……捕まらないなら、いい」
「捕獲の意味の捕まるじゃなくて逮捕ってことで――うう、なんて言えばいいやら……」
ゴエモンの『魂物』として持っていた能力は多種多様に及ぶ。
出会った人の足跡を辿れる。手から水が出る。鈴乃緒みたいなガラガラ音が出せる。
そして――額から五円玉を無限に出せる。年度年号が別の、柄や重さ、色合いが実物と寸分違わない硬貨で、ゴエモンが実演した時は目を剥いたものだ。
私が自分なりの折り合いをつけてから歩いて歩いて――余りにも遠いので『魂物』の力が嘘なんじゃないかと疑ったのだけど、あれを見たら信じるしかあるまい。
「とにかく、ゴエモンが追われてたのは、その五円玉を作れる力のせいだよ。街中でお金を撒き散らしてたんでしょ? そりゃ目立つって」
「……そうかな」
ゴエモンの力は本物のようなので、この雑木林を抜けた先に『回収屋』があるはずだ。地図アプリを見せたら「ここら辺」と言われて、仕方なしに苦手な電車を使って赴いた僻地。外れていたら困る。
「この件が終わったら私も人探し、手伝うからさ。これからは無暗に五円玉を出さないでよ」
「……ん」
私だけが白い息を吐きつつ、落ち葉を踏みしめて進む。早歩きになっているのは焦りのせいで、鳥の鳴き声にすら敏感になっている。
緊張をほぐすためにゴエモンに話しかけても、上手く会話が続かなかった。間にリンゴがいないと、私たちは人見知りになるのだ。
「……はぁ、はぁ、ふっ」
高鳴る鼓動が、正しい方角に向かっていると知らせてくれる。こんな世俗から離れた場所――千葉県の南西部に『回収屋』があるという根拠はどこにもないけど、微かな痕跡が直感へと導く。先導するゴエモンの脇には、四輪で踏みしめられた落ち葉の跡がある。雑木林に入ったばかりの時は落ち葉が散乱しているだけだったのが、ここに来て深い溝になっていた。
カウボーイの経験もない私には、タイヤの痕跡から走り去った時間を逆算することはできない。ただ、何度も往来したであろう溝が明確になっていく過程で、呼吸を荒くするだけ。
落葉の葉擦れすら聞こえる静謐の中、リンゴの無事だけが気になる。
「……着いた」
目的地は唐突に姿を現した。
高木の群れがいきなり割れたかと思えば、開けた盆地が姿を見せる。木枯らしに運ばれて一面が橙に染まっていた風景も、この辺りだけは剝き出しの地面が主張していた。
伐採したまま放置していたのか、切り株が年輪を天に掲げている――朽ちかけの色褪せた灰色は、生前の力を微塵たりとも感じさせない。
タイヤの模様がくっきりとついた地面を目で追いかけた、その先に。
「ここが『回収屋』……?」
ただの掘っ立て小屋にしか見えない建物は、鉄筋コンクリートが丸出しの無造作な造りだ。ペンキを塗る手間だけは惜しまなかったのか、新緑の不格好な外壁。とてもではないが、進んで入ろうとは思えない。景色に擬態する作戦だとすれば、大人の意地汚さに天晴れとは言ってやろう。
「……そう。柚も見えるでしょ」
私が様子を伺っていると、ゴエモンが一台の車を指し示す。
「あ、黒バン……!」
数台が駐車場の白線もなく適当に停められており、その中には浩二たちが乗っていた黒のバンもある。市民への安心感と権力行使を裏付けるために彫ってある『回収屋』の文字が逆に仇となった。
条件は完璧でないけれど、ここが『回収屋』の拠点だ。
「どうしよう、いきなり中に入ったら怪しいだろうし……」
余りにも視界が開けているために、真正面から突入するのは難しそうだ。
かと言って、裏口がある気配もない。本当にただの直方体らしい造りで、私たちに都合がいい要素はなさそうだった。
「……ここで、誰かが来るのを待つ?」
木の幹に身を潜める私に向かって、ゴエモンが提案する。
確かに、慎重を期すなら十分でも一時間でも、『回収屋』の穴が見えるまで待つべきだろう。
「リンゴがここにいるかも分からないのに?」
頬が強張るのを意識しながら答える。この場所以外の当てがない癖にどこを探すんだという話だけれども、可能性としては充分にあった。
「……それは」
平行線の会話が続きそうな、その時。
「――――っぁー! 運ぶのめんどくさっ! 旭、焼却炉まで持っといて!」
無人だと思っていた黒バンの後部座席から、二つの人影が躍り出た。片方はサイケピンクの女子高生で、もう片方はアイドルでも通用しそうな男の子。
久留里と旭だ。
「燃やさせてもらえるのは嬉しいけどさー。焼却処分は煤がつくから嫌だよねー」
「うん。そうだね」
正直、化粧を気にしている久留里や、気味の悪い微笑を浮かべて賛同している旭はどうでもよかった。ただ、引きずられている少女だけが眼中にある。
漁師が魚を運ぶように、右腕だけを肩にかけて、地面で体を汚しながら運ばれている少女。純白のポニーテイルも今ばかりは土煙に汚れ、着ている服もそこらかしこが破けていた。気を失っているのか、成すすべもなく項垂れている。
リンゴが、塵芥も同然の扱いを受けている。
「……柚!?」
破けている服の隙間から、白い肌と少し日焼けした綿が見えた瞬間に、私の理性は消えていた。体が、幹の後ろから開けた大地へと。
ゴエモンの制止も振り切って、ただ我武者羅に走る。息の吸い方すら忘れてしまった体を、前へ、前へ、前へ。
「くぁ、やっと書類掻き終わったぜ。シャチハタじゃ捺印を認めないとか、焼却管理課も器がちいせぇよな」
不意にプレハブの扉が開き、中から三人組の男が姿を現した。一人を除いて体の関節を回している集団は、瞼を重たそうに擦ったり、大きく伸びをしたり、一様に疲れを滲ませていた。
先頭にいた浩二は愚痴を吐きつつも、迷いのない足取りで黒バンへと向かう。数分前からエンジンをふかしていた車体は、マフラーが白い煙を吐いている。彼は部下が家臣の如く社内にも暖房をかけていることを期待しているのか、心なし早歩きだ。
「パパはずっと暖房の効いた会社で書き物してるだけだったのに、よく言うよ。久留里はこれからゴミを捨てに、寒空の下を歩かないといけないんだからね」
「そうカッカするなって。面倒臭い仕事が片付いたら、なにか好きなもの買ってやるから」
「本当!? 実は前から欲しかったコスメがあって――」
浩二のご機嫌取りよりも、久留里がリンゴのことを「ゴミ」と言ったのが許せなかった。頭の片隅では死地に飛び込む愚行を止めているのに、振り切ってでも加速する。引きこもりの加速は筋肉が足りなくて愚鈍だけど、確実に距離が縮まっている。
私はいつもみたいに躊躇しなかった。
「――――パパ。待って」
先んじて久留里が、私の不格好な登場に気がついた。女の子走りとギリギリ言えそうな、ほぼ競歩のような格好の私を見て、顔を顰める。落ち葉がクッションにでもなっていたのか、残り二十メートルを切るまで認識すらされず。
「あ……? なんでここに女子高生がいやがるんだ……? 誰かがここを教えでもしない限り、来れねぇ場所だろ」
服を引かれてようやく首を回した浩二も、遅れて口を開いた。眉が怒りよりも困惑に染まっており、思案するためか髭を指でなぞっている。
運転手も驚いていたけれど、カイは澄ました顔で佇むのみ。余裕のある態度は、息が切れて思考の纏まらない私を不安にさせる。せめて負け犬根性を発揮しないよう、肩で息をせずに胸を張る。肺の空気が変な形で圧迫されたせいか「コヒュ」と小さく鳴いた。
――ゴエモン、ごめん。
隠れているゴエモンに向かって、心の中で詫びる。林の深くへと入るにつれて震えていたのに、気づかない振りをして案内させた。トラウマの根源へと立ち向かっていたのに、私は酷い女だ。
「リンゴを……私の友達を、返して」
ゴエモンの想いを無駄にしないためにも、私は息も絶え絶えに宣言する。
いや、「ゴエモンの想い」なんていうのは、ただの後づけだ。考える間もなく走り出していた癖に、思考が尚も建前を述べやがる。
痰の混ざった苦い感情を、あえて喉を鳴らして飲み込む。清濁併せて、エゴを通すと決めたのだから、人間にもモノにも通すべき筋ってものがある。もしゴエモンが攫われたのなら、一緒に救い出してやるくらいの気概が必要だ。
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