第28話

「五丁目に電子レンジの『魂物』が出現したそうです。手の空いている従業員は、至急回収に向かって下さい」

「今日廃棄する予定の『魂物』は第三焼却場に運べだってさ」

「誰かスタンガンのバッテリー余ってる人いませんかー?」

 

『回収屋本舗:安樂』。世間に秘匿されたオフィスは、千葉県の郊外にひっそりと佇んでいた。

 周囲はうっそうとした森が広がるばかりで、他の人工物は確認できない。川沿いの耕作地帯に建設されたプレハブは、一見すればただの掘っ建て小屋だ。

 しかし扉を開けば、マイナスイオン溢れる外気とは隔絶された、熱気に満ちた会話が飛び交っている。


「おーおー。相変らずここは暖房なくてもあったけぇな」


 浩二は頬に当たる温風に目を眇め、手についた結露の水滴をズボンで拭った。面積の割に人口密度が高いため、夏とは違い冬でも快適だ。

 追随するのは黒バンの運転手と、『魂物』のカイ。

 彼らはリンゴを回収した後に、一度『回収屋』へと撤収していた。


「あれ、浩二パイセンじゃないすか。今日はゴエモンを廃棄してから直帰するって言ってませんでした?」


 入り口付近のデスクで事務作業をしていた若者が、突然の寒風に身を縮めながら問いかけた。

 パーマをかけた金髪に、薄すぎる眉。耳につけたカフスが社内規定の緩さを伝えている。

 そんな風貌も相まってか、若者の純粋な質問に、浩二は苦虫を噛み潰したような顔をした。


「……対象の『魂物』には、護送の途中で逃げられた」

「え、マジすか!?」

 

 間髪入れずに若者が大声を出す。彼はその外見の通り、社内でも随一のお調子者だった。

 広くはない社内にたちまち共有される情報。ここの部署で最上位の役職に就いているため叱りに来る上司はいないが、笑い者にされるのは御免だった。

 己の失態を帳消しにするためにも、焼却管理課のデスクへと急ぐ。


「今日の焼却先はどこだ?」

「近くの川沿いにある第三焼却場です。その、『魂物』を逃がしたというのは……」

「別の『魂物』が邪魔に入って取り逃がした。こいつを処分してから速やかに捜索に入る。なにか問題でも?」

「い、いえ。始末書の提出だけお願いします……」


 委縮した様子で定型句を述べる女に鼻を鳴らし、浩二は部下の元へと戻る。今日は緊急の通報がない限り、処分する予定の『魂物』は一匹のみなので、非難される筋合いはなかった。

 一件しかないからこそ、腕の立つ浩二が登用されたのだが。


「電子レンジの『魂物』ですって。そんなモノに愛着を持つなんて、持ち主はどんな奴だか」

「無駄口叩いてないで、車のエンジンでもかけとけ」


 電子レンジの『魂物』が捕まるよりも先にゴエモンを確保しなくては、社内でよからぬ噂を流される。甚だ納得のいかない始末書に記入しているのも、文句を言う時間が勿体ないためだった。


「ちっ、こんな時に限って公式の書類かよ……」

 

 浩二は細かい状況説明まで求めてくる始末書に舌を弾く。記入欄には時刻、対象、事情の他にも第三者による客観説明欄が用意され、社員三名以上の捺印も義務づけられていた。バイトを除いて班にいる正社員はカイ、運転手、浩二のみであり――これでは、それぞれの文章に正当性が認められるまで足止めを食らってしまう。

 危険度の低い『魂物』であれば略式でも構わないが、ゴエモンは社内で情報共有されるほどの相手。いくら上司が圧迫的な態度を取ろうと、焼却管理課は事務を怠らない。

 時計の短針はゴエモンを逃してから四つほど進んでおり、そろそろ日も暮れようかという時刻だ。


「エンジン暖めるのはいいですけど、このままじゃガソリンの無駄遣いですよ……」


 状況が特殊だった故に、三人とも書類の認可に手間取っている。運転手の呟きに合わせて、浩二の文字もどんどんと荒く、読みづらくなっていった。ボールペンの音と、憤りの気炎が室内に満ちていく。

 元から冷静なカイだけは滑らかに手続きを進めるが、他の二人はいつ終わるかすら分からない。


「……このままだと埒が明かねぇ。予定を変えて久留里に『魂物』――リンゴの処分を任せる」

「え!?」


 我慢の限界を迎えた浩二がペンを置き、胸ポケットに入れていたスマートフォンを取り出す。連絡アプリを起動して久留里の名前を探しているようだが、それに慌てるのは運転手だ。


「それは流石にまずいですよ。久留里ちゃんに『回収屋』のバイトを許している時点で特例なのに、社内の決まりまで破らせたら……!」

「『魂物』の焼却には社員が立ち会うべし、だったか? 俺の娘はそこいらの木偶な大人よりも使えるからいいだろ」

「でも……」


 尚も言い募る運転手を手で制し、久留里にメッセージを送る。彼女はリンゴの持ち主と因縁がありそうなので、承諾の返事が来るのも時間の問題だろう。

 それよりも気がかりなのは、部下の弱気な姿勢だ。浩二は自分が親馬鹿なのを自覚していたが、それを差し引いても規律を守ろうとする頭の固さは目に余った。

 大きく、わざとらしくため息をついて。


「あのなぁ、確かに俺たちの給料は歩合じゃなくて固定だけどよ。今回の件が響いて減給される可能性はあるんだぜ? 社内でも笑いものにされて、金回りまで削がれたら、働く気なんざ失せる。馬鹿正直にルールを守って、国の犬になりたいなら構わんが」


 浩二は書類から顔を上げ、出すべき反論を考えている運転手へと詰め寄る。

 口を動かしながら接近したのは、考える時間を与えないため。


「俺たちが目指すのは国の犬じゃなくて、犬を躾けるブリーダーだ。……班にも『二匹』飼ってることだしな」


 最後は声を潜めて、囁くように釘を刺す。短い、意味の分からない一言。

 班内だけで共有されていた、秘密のパンドラ。

 耳聡い、機械特有の正確さを発揮したカイは、無視を決め込む余裕を失った。最後の一行まできていた書類を放棄して目を見開く。彼の視界は既に赤く染まり始めていた。

 あえて避けていた話題を平然と切り出す浩二に、運転手は戦慄する。


「俺が自首しても、きっと減給だけで済むだろうな。俺ほど仕事の出来る人間は『回収屋』で合ったことがねぇし、処分実績も毎月ナンバーワン」


 ――だが、平社員のお前はどうかなぁ。


 息が触れ合いそうな、いや、実際に生暖かい風を頬に感じて、運転手は唾を飲んだ。首を伝う冷汗はかつてない速度で脊椎を通過し、トランクスのゴムにまで届く。


 これが緊張せずにいられようか。

 浩二の『魂物』処分実績が社内で抜きんでているのは、『魂物』を使役しているお陰なのに。


 浩二は勝利を確信し、内心でほくそ笑んだ。

 運転手は浩二の実績を『魂物』にあやかっているだけだと糾弾したいだろうが、班には連帯責任という規則がある。平社員の彼が罰を受ければ解雇は免れないだろう。そう考える。

 母に毎月の仕送りを欠かさないためにも、高収入の仕事を手放したがらないはず。

 規定無視、それどころか法律まで犯している『魂物』の使役は、通常であれば速攻で牢屋送りにされる。だが、浩二は担い手の少ない『回収屋』ならば漏れても捕まらない――それどころか、事実を隠蔽してくれると踏んでいた。

 この理屈であれば運転手も解雇されないが、その事実を伝えるメリットがない。浩二は処分予定のところを脅して従えた『魂物』のように、人間すらも毒牙にかける。


「バレなきゃいーんだよ。バレなきゃ。それともなんだ? お前だって俺の所業を知っても班から抜けなかった癖に、今さら裏切るのか? 班の実績で甘い汁だけ啜っておいて?」

「う、いや……」

 

 浩二の成果はそのまま班の評価にも繋がる。実際、運転手は社内でこそ浩二の使い走りとして認識されていたが、実態を知らない上層部からの受けはよかった。コバンザメが寄生主から離れて、果たして生きていけるだろうか。

 浩二の中年らしい息の臭さに顔を顰めつつも、二の句が継げない。


「俺がその気になれば、お前を『洗脳』するのだって容易いんだぜ?」

「っ…………分かりました。あなたに従います」


 もう迷うだけの理由が残っていなかった。

 カイはそのやり取りをじっと観察していたが、概ね予想通りの結末を迎えたことに気を落とす。誰にも悟られぬよう、そっと息を吐いて。

 どれだけ法や規則で縛ろうとも、結局は力を持っている方が勝つのだ。

 体裁を取り繕おうが人類は紀元前からなにも変わっていない。

 浩二とカイは奇遇にも、優越感と敗北感の相反する感情を胸に、同じことを考えていた。


「おーし、そんじゃ俺たちは社内で待機。久留里に仮称綿の『魂物』リンゴの処分を一任し、終わり次第五円玉の『魂物』ゴエモンの捕獲に移る。異論はあるか?」


 カイと運転手は、目を伏せて俯く。返事の代わりに靴底が床に擦れ、小さな呻き声を鳴らした。二人の脳裏には機嫌が良さそうな浩二の顔が浮かんでいる。屈服させて愉悦に浸るのは、『魂物』の手なずけ方と一緒に浩二が父として娘に教えたことでもあった。

 

 浩二は考える。

 社内での地位はほとんど揺るがないところまできている。部下は自分の言いなりで、責任を押しつけられそうな傀儡へと育った。地位を手に入れたのだから、後は金が欲しい。名誉は時間が経てばしかるべき程度まで膨れるだろう。

 金、金、金。この世のほとんどは金で買えるが、金は金で補えない。増やすには真っ当に働くか犯罪に手を染めるかの二択である。

 浩二は庶民となんら変わらない素質しか持ち合わせていないが、悪事にはローリスクハイリターンが鉄則であると理解していた。犯罪などの博打は打たない。

 浩二は庶民となんら変わらない発想しか持ち合わせていないが、職業が非凡だった。『魂物』の非日常は彼の思考を変え、その幅を広げた。多くの人々は屈服する『魂物』がいるなど知るよしもなかった。民衆が『メタモルフォーゼ』を恐れるほどに『回収屋』の仕事も増え、浩二にとって有益な『魂物』が集まる。

 

 カイを利用して地盤は固めた。そろそろ倒れそうだと言い出した時は冗談かと思ったが、近頃の緩慢な動きを見ていると、どうやら本当らしい。脅して罵倒して、暴力まで振るっても鈍くなったのだ。誰も検証していないし、されたとしても情報規制されているのだろうが、『魂物』には寿命があると見て違いない。

 ならば、使えるだけ使って、捨てるだけだ。燃やせばいいのだから手間がなくていい。

 幸いにも、代わりのあてはある。

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