3章 あなたはあなた自身で

第27話

 外に出ようとすると、母親が物音を聞きつけ、玄関で腕を組んでいた。

 曰く、


「あなたは家の面汚しなのに、これ以上迷惑をかけるつもりか」

 

 と云々。


「どうしても果たさないといけない用事があるの」


 答えて曰く、


「私もどうしたってあなたが心配で、とても家から出す気になれません」


 とにべもなし。

 …………なので。


「母さんが大切なのは、私じゃなくて世間体でしょ」


 こんな捨て台詞を残して、母の脇をすり抜けた。

 玄関を飛び出して叫んでいる母の体が、あっと言う間に縮んでいく。

 息が切れそうになっても、全力で曲がり角まで辿り着けば、金切り声も遠ざかるというものだ。長年喉に詰まっていた文句も、言ってしまえばなんてことはない。


「で、これからどうしたらいいの?」


 むしろ、重要なのはこれからだ。


「私、『回収屋』がどこにあるかなんて知らないんだけど」


 そもそも『回収屋』は政府公認の組織でありながら、付近の治安維持のために会社の位置が秘匿されている。ホームページも運営方針や活動記録が載っているだけで、位置を特定できる情報は皆無だった。


「……そのためにわたしがいる」


 当然の如く後ろをついてきたゴエモンが、私を見上げながら胸を張る。その脂肪が詰まっていない胸中に、一体どんな自信を抱えているのか。

 多くは話したがらない性格なのか、どんどんと離れていく背中を、仕方なしに追いかけていく。早歩きではあったものの、子供の歩幅なら呼吸を整えながらでも余裕があった。


「……わたしもリンゴみたいに『魂物』としての力がある」


 数日前にリンゴと歩いた道をなぞりつつ、不意にゴエモンが話し出す。顔は相変わらずの能面でも、声が得意げな気がする。


「ごたごたが重なって忘れていたけど、ゴエモンも『魂物』だもんね。それで……どんな力があるの?」


 他の人には頼らないと誓った手前、すぐさま救いの手に飛びつくのは考えものだが――リンゴの居場所に見当がつかない状況では、尋ねるしかなかった。

 勝手に失望しないよう、期待だけはしないでおこう。


「……わたしは縁で、出会った人やモノの足跡を辿れる」

「えにし?」

「……そう。だからこの力を使えば、リンゴが連れて行かれたおおよその居場所が分かる」


 しかし。

 後にゴエモンから伝えられた情報は、私を驚愕たらしめた。

 言葉が足りないゴエモンに質問を重ねること数回。ようやく掴めた能力の全貌に、

 空いた口が塞がらない。


「……元は賽銭箱に挟まってた五円玉だから」

「……神社っぽいことなら大体できる」

「……すごいでしょ」


 自分の力を自慢するところは、年相応の少女である。いや実際に凄いのだから、誇っても構わないのだけど……もう少し早く教えてくれていれば、私の意欲回復も早かっただろうに。

 それとも、私が立つ気力すらない抜け殻にでも見えていたのだろうか。

 いたんだろうな。


「……リンゴとは縁が生まれてる。こっち」

 

 ゴエモンには『回収屋』の移動ルートが痕跡になって見えるらしく、迷いのない足取りで案内してくれる。土地勘がないのに行き止まりにぶつからないあたり、本当に追えているようだ。

 ここ最近は慣れない運動を繰り返しているせいか、足首やふくらはぎが鈍痛を訴えている。

 泣き言もなしに黙々と歩いているゴエモンは凄い。と言うか、一度助けた義理をここまで果たそうとしてくれるなんて、そこいらの人間よりも情がある。


「そう言えばさ、どうしてこんなに手伝ってくれるの?」


 ゴエモンは『回収屋』に指名手配犯のような扱いを受けている。

 私はまだ確認していないが、いずれホームページに『危険魂物』のお触書が載るだろう。なにせ私たちは、ただ散歩をしているのではなく、『魂物』にとっての死地へと赴いているのだ。

 このままでは犯罪者が脱獄して、また牢屋に帰るようなもの。


「…………わたしも同じだったから」


 曲がり角を二つ分超えるまで返事はなかった。質問攻めが苦手というのはもちろん、今回は言葉を選んでいる印象を受ける。

 ゴエモンなりの速度を尊重するために、耳だけを傾ける。

 最初に会った時のように――口数が少なくとも、想いは伝わるから。


「……賽銭箱の奥は、暗くて、いつも冷たくて」

「……上からお金が振ると、どんどん重くなる」

「……苦しくなる」

「……でもね、助けてくれた」

「……あたたかい、おっきい掌をした男の人」

「……凍えて、眠りそうなわたしを救ってくれた」

「……あの人にお礼を言うまで、消える訳にはいかない」


 ゴエモンの横顔が、ぱっと朱色に染まる。

 錯覚でも、そう見えるくらいに綻んだ顔。闇の底で光を浴びた瞬間から、『魂物』としての命が始まったのだ。

 目を細めた彼女は、在りし日の追憶に浸っているようだ。包まれた感触を確かめるように、肩のあたりを触っている。

 すぐ色恋に結びつけるのはどうかと思うけど、乙女の顔をしていた。


「……それで」


 余計なことを言ったと思ったのか、足早になりつつ語り直す。

 私は『回収屋』までの距離を気にしつつも、会話に意識を向けた。


「……リンゴも今は、暗い場所にいる」

「……わたしと一緒」


 リンゴの悩みに気づかず――いや、頭の何処かで意識しつつも、彼女に限って不安や後ろ向きな感情など存在しないと決めつけていた。暗い場所で放置していたのは、他でもない自分。

 そんな私を攻めたりなどせず、ゴエモンは目指すべき方向を見据えていた。

 少女の背中が、やはり大きく映る。


「それなら私は酷い奴だね」

「違う」


 ふと。

 自虐的になった私をすぐに覆したのは、ゴエモンだった。息継ぎもなく立ち止まり、私のお腹と胸を叩く。

 見当違いの発言をした親に文句を言う、拗ねた子供のように。

 コンプレックスな胸を触られるのは下着屋の店員でも嫌だったのに、どうしてか不快感がない。むしろ、暖かな振動が胸中に広がる。


「……柚なら今からだって、リンゴの救世主になれる」


 その胸に聞いてみなと言わんばかりに、もう一度叩かれる。


「……たった一回、上手くいかなかっただけで、どうして諦めちゃうの?」


 それこそ違う。

 私は家族との対話も、学校での立ち回りも、『魂物』との関り方も、全部間違えてきた人間だ。私だけで正解を選べた記憶もないし、欲しかったものは全て降り逃がしてきた。


「ゴエモンって、意外と熱血少女なの?」


 でも、失敗したって人生は終わらない。

 どれだけ消えたいと願っても、自殺だけはしなかった。苦しみながら生にこびりついていたのは、やはりどこかで救いを求めていたからだろう。

 私はリンゴを助ける。

 なら私は誰に救われる?


「……柚こそ、さっきよりいい顔になった」


 リンゴに支えられた今だからこそ分かる。

 私を救うのは、私だ。

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